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葬儀、家族葬、法事、明朗相談所コミュのお寺でサロン 茶・論・音

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 音の案内人 民画絵師 市瀬 俊治
   第6回 2008年2月7日午後7時〜午後9時 円常院にて
第6回のテーマ曲は、グループサウンズの夜明けです。
64年当時、私は、東京で働いていました。週末の楽しみは、ジャズ喫茶に行くことでした。
ジャズ喫茶といってもジャズを演奏するのではなく、今で言うロックのライブハウスです。
新宿と銀座にACB(アシベと読む)と言う店があり、新宿店には、ブルー・コメッツ、銀座店には、スパイダーズがよく出ていました。
スパイダーズは、当時、インスト・ロック・バンドが主流であったのですが、ボーカルも自身のバンドの堺正章と井上順、かまやつひろし等が担当、リバプール・サウンズのコピーやアメリカのR&B等をレパートリーとして人気を博していました。
ブルー・コメッツは、鹿内タカシ、フランツ・フリーディル(ドイツ人)のバック・バンドで、ライブバンドの中では日本一の実力を誇っていました。
翌65年には、スパイダーズがクラウンからシングル「フリフリ」を発表するが、マニアだけのものでした。
翌66年に尾藤イサオのバック・バンドになっていたブルー・コメッツがディヴ・クラーク・ファヴ風の編成で自作の「青い瞳」英語盤をCBSから発表。フジテレビの「ザ・ヒットパレード」で やらせ 一位をやっていたら、本当に火がついて大ヒットとなる。それではとスパイダースはヒットメーカーの浜口庫之助作品「夕陽が泣いている」を発表。これまたビッグヒットとなり、ベンチャーズのコピーバンド達もボーカル・インスト・ロックバンドに次々と生まれ変わったのです。
アメリカン・ポップスに日本語の歌詞を付けて楽しんでいた若者達にとって、日本語で自らの感動をロックにする画期的な時代を作り出したこの時期を境にG・Sサウンズと呼ぶようになったのです。
今回は、ブルー・コメッツがロック・バンドであった証のLP「ヤングビート」で、インストの名曲「ブルー・コメッツ」をCDで、
スパイダーズはカバー曲をLPで、
なんとオリジナル曲をサウンドトラックよりのCDで楽しんでいただきます。
 ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、
実力派ゴールデン・カップス、ザ・テンプターズ、ザ・ワイルドワンズ、ザ・カーナビッツ、ザ・ジャガーズ、ザ・モップス等満載です。お楽しみください。
次回2月 7日午後7時〜9時 円常院
京都市上京区寺之内通大宮東入 妙蓮寺内 円常院
連絡先 市瀬俊治 携帯09082380307

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