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水流と水神コミュのワタツミ(海の神/水神)

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綿津見(ワタツミ)は「海の神霊」の意。
神産の段でイザナギ、イザナミの間に生まれた
底津綿津見神(ソコワタツミ)、中津綿津見神(ナカワタツミ)、
上津綿津見神(ウワツワタツミ)の三神の総称でもある。

別称= 
 大綿津見神(オオワタツミ)
 海神(ワタノカミ)
 海若(ワダツミ)

航海と漁業の守護神とされている。

●代表的な渡海神社
渡海神社(千葉県香取市)

《目次》
千葉県
●末社水神社(千葉市 登渡神社)=書き込み4/5
東京都
●末社漁呉玉神社(品川区 鮫洲八幡神社)=書き込み2/3
滋賀県
●渡海神社(草津市)=書き込み1
三重県
●境内社 竜宮社(伊勢市 二見興玉神社)=書き込み11
兵庫県
●海神社(神戸市)=書き込み6〜10
三重県
●竜宮社(伊勢市)=書き込み11

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&ie=UTF8&hq=&hnear=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%E5%9E%82%E6%B0%B4%E5%8C%BA%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E7%94%BA%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%91&msa=0&msid=113844027188609943916.000437aa50870a919f365&ll=34.629319,135.054315&spn=0.002781,0.003417&z=18

コメント(12)

●渡海神社
滋賀県草津市山田町3

am7:00 息子とタンデムで
近江八幡で宿泊したビジネス・ホテルを出た。
気温は涼しいが、Tシャツ1枚でも寒くはない。
街で朝食のできそうな店を探すが、
それらしき外食産業はまったく見あたらなかった。
近江八幡市は来る前に想像していたよりも小さな町だ。
「琵琶湖に沿って走ろうよ」という
息子のリクエストでそのまままっすぐ琵琶湖に向かい、
食事は店の開くam10:00まで我慢して、
琵琶湖の望める奇麗な場所でということにし、
琵琶湖畔を周回する自動車道を湖南へ向かった。

湖南に向かったのは日本に2氏族しか存在しない、
自分の姓である『横江』姓の集中している
草津市の北山田町に向かうためだった。
この情報は横江姓のコミュニティーのメンバーから知った。

非常に大ざっぱな地図しか用意してなかったので、
ほとんど無計画で“感”で動く。
これが方向転換、その場駐車の自由度の高い、
バイク・ツーリングの楽しみだ。

『横江』姓の表札を探しながら
琵琶湖に続く水路に沿った路地を走っていると、
神社の前に差しかかった。
入口の石柱と石鳥居の額に『渡海神社』とある(写真左)。
おもしろいのは額に専用の屋根が付いていることだ。
鳥居の奥は石製の雪洞がある。
拝殿は琵琶湖湖南地域のほかの神社と同じように
四方の壁が無い素通しの建物。拝殿の前には石灯籠がある(写真中)。
本殿前には狛犬があり、鈴、注連縄、賽銭箱が設置してある。
(写真右)
この神社は境内に説明板の表示も社務所も無いので創祀は不明だが、

・渡海神社祭神が、航海と漁業を守護する綿津見大神であること
・綿津見大神が紀記に登場しない日本神話の神であること
・この周辺にある神社がいずれも古社であること
・山田町が延喜年間姓氏録に名を連ねる豪族、
 山田宿弥(やまだのすくね)に由来するものであること
・現在、面影は無いものの、
 中世には山田の港が軍事的に重要な港であったこと

これらを考慮すると中世に創祀された神社である可能性が高い。
琵琶湖の水位が低下していることを考えると、
琵琶湖から1200m地点にある
この渡海神社の近くに海岸線があった可能性が高そうだ。
●末社漁呉玉神社(品川区 鮫洲八幡神社)境内
東京都品川区東大井1-20-10

初めて鮫洲八幡神社(写真左)を訪れたのは
品川宿の旧東海道を歩いた冬の週末ことだった。
鮫洲八幡神社は旧東海道から東の路地を入った突き当たりにある。
そこは京浜急行本線の鮫洲駅のすぐ南でもある。
「鮫洲」といえば、
かつては都内唯一の自動車運転免許更新場所だったので、
誰でも知っている場所だった。
鮫洲八幡神社内の末社祭祀場所に掲示されている地名由来によると、
『砂水(サミズ)』からの転嫁説と鮫にかかわる縁起説がある。
砂水とは干潟に湧き出る清水のことだという。
末社厳島神社はこの砂水にまつわる祭神として祀られたのだろう。
八幡神社拝殿の左奥には固定されていない素木の靖国鳥居があり、
その先の数段下に広い池があった。
池中には出島があり、そこに2つの社が建っている。
この時は神社には興味の無いころで、出島へのゲートが閉まっていた。
2つの社を池の外から眺めただけだったので、
どちらが漁呉玉神社(なごたま)神社なのかもわからなかった。
漁呉玉神社は通称水神社と呼ばれている。

2度目に鮫洲八幡神社を訪れたのは秋の週末で、
境内に入って、間もなく境内の明かりが点灯された。
ここの境内は近所の人が通路にしているようで、
多くの人が境内を斜めに通行していた。
この日の目的は漁呉玉神社の左隣りにある末社厳島神社だった。
出島へのゲートは鍵がかかっていなかったので、
ゲートを開き、短いコンクリート橋(太鼓橋ではない)を渡り、
大きくはない石製靖国鳥居をくぐると、
銅板葺き屋根の漁呉玉神社の社(写真中)と
瓦葺きの切妻屋根を持った厳島神社があった。
漁呉玉神社の方が厳島神社よりも屋根が高い。
両社とも社殿前に低い石製靖国鳥居が持っていて、
頭を下げなければくぐれない、
スペースの割に鳥居が多すぎる感じがする。

2社のある出島からさらに枝分かれした出島があり(写真右)、
そこには鮫祠(さめし)というアンコールワットの

http://hukumusume.com/366/world/world_gazou/world_tour/pc/Scrn46.jpg

http://www.wbf.co.jp/photos/REP-I-angkor-001.gif

ミニチュアのような小祠が祀られている。
池の水は暗い緑色に濁っている。
橋を渡ると、
耳の部分にオレンジ色のラインが入っている、
アカミミガメが寄って来た。
●末社漁呉玉神社(品川区 鮫洲八幡神社)支脈環境
東京都品川区東大井1-20-10

江戸期には鮫洲八幡神社の東にまで大森海岸が広がっていた。
日本の考古学発祥のきっかけになった大森貝塚が
この海岸で発掘されているから、
縄文期からここは海岸だったことになる。

東京湾が埋め立てられた時、
陸続きにしないで、勝島という島にして、大森と勝島の間に
勝島運河が残された。
その後、勝島の外側にさらに埋め立て地が設けられ、
役割の終わった勝島運河は大部分が埋め立てられたが、
鮫洲から立会川に沿う部分だけが、
小型船舶係留地として、袋小路の水路として残された。
その係留地は
漁呉玉神社(なごたま)神社から250mほど南東に位置する。
15年ほど前にここに来た時には堤防は自然の土手だったが、
久しぶりにきたらすっかり護岸工事がされていて、
9月の末だったので、花壇をかねた堤防には
黄花コスモスが咲き乱れていた。
●末社水神社(登渡神社)  境内
千葉市中央区登戸3-3-82

千葉神社(元千葉妙見寺)の西2.2kmあたりにある、
千葉妙見寺の末寺であった、登渡神社(とわたりじんじゃ)に寄った。
ここは千葉氏の末孫、登戸権介貞定胤(のぶとごんのすけさだたね)が
生保元年(1644)、白蛇山真光院定胤寺(=登渡妙見寺)として建立し、
別殿に妙見大菩薩が祀られた。
ここも神仏分離によって神社となり、
天御中主神(=妙見大菩薩)が主祭神となっている。
地元での通称は登戸神社(のぶとじんじゃ)となっている。
現在は別当寺の堂宇が社務所になっているらしい。

鳥居は境内の南東の端の三叉路の角にあり、
石製明神鳥居が10段ほどの石段の上に立っていた(写真左)。
鳥居をくぐると参道両側に上部に切り込みを入れた竹筒が並んでいる。
初めて見るものだが、切り込みは節のすぐ上に入れられており、
夜灯をともすためのもののようだ。
どれも、切り込みの上に「謹賀新年」「登渡神社」とプリントされた
ビニール・シールが張ってある。
その竹筒の並びが尽きた場所にまた、10段ほどの石段があり、
石段の斜め右に日吉造のシンプルな拝殿があった。
屋根は銅板葺きになっている。
神紋は千葉氏支流の使用した九曜紋だ。
http://www.sengoku-expo.net/design/images/Crest/M/009-m01a.gif

拝殿の左手に金刀比羅神社の末社の祠が祀られていた。
祭神は大物主神であり、千葉氏と多部(多氏部曲)との結びつきを暗示している。
さらにその外側には浅間神社の祠と
古峰社、阿夫利社、抉長田社の3社の連棟祠が
すべて拝殿の方を向いて祀られている。
拝殿の前には拝殿と90度の角度で水神社が祀ってあり、
それはこの神社で唯一、海の方角を向いていた。
祭神は綿津見神とあった。
水神社はここの末社の中ではもっとも大きく、妻入りの入り母屋根で瓦屋根で、
ここが寺院であった名残だ。
地元に人にうかがったところでは、
登渡神社は昔から漁師さんたちの崇敬を受けてきたとのことだが、
祭神は千葉氏の崇敬した妙見菩薩でしたから、
漁師さんたちが祀ったのは妙見菩薩はもちろんですが、
この水神だったと思われます。

357号線、14号線を境に南側は埋め立て地になっており、
江戸時代の海岸線は高台にある登渡神社から100mほどの場所に
迫っていたようです。
千葉港に戻ってきた漁師たちは
丘の上の登渡妙見寺の社殿を見上げて、着岸市位置の確認をしていたのでしょう。
●末社水神社(登渡神社)  水脈環境
千葉市中央区登戸3-3-82

登渡神社から千葉港に下る旧道は千葉街道を超えてすぐ357号線に遮られている。
江戸時代には357号線のすぐ外側が海だったのだろう。
広い357号線を渡り、京葉線のガードを潜って、
きれいに整地された街路を抜けると未整地になっている広場にぶつかった。
その向こう側は海で、海沿いには厳重にワイヤーネットの塀が巡らせてある。
登渡神社からそこまで、1100mほどだ。
歩道にバイクを停めて、立ち入り禁止の広場を突っ切って、
海を見に行くと、そこは両側が護岸された入り江になっており、
左手に千葉ポートタワーが立っていた(写真左)。
周囲は10年前と変わってなく、寂しい。
ポートタワーの麓まで移動して西側を見下ろすと、石油タンクの並ぶ工場地帯が
夕日にかすかに染まっていた(写真中)。
海岸線に出てみると、千葉ポートパーク部分だけは砂浜になっており、
夕暮れの海辺を散歩している人たちがいる。
みんなカップルだった。
●海神社
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

主祭神は、
 上津綿津見神
 中津綿津見神
 底津綿津見神
相殿、
 大日孁貴尊

社伝による縁起を要約すると、
神功皇后が三韓征伐から凱旋の時、海神社の沖でにわかに暴風雨になり、舟が進めなくなった。
神功皇后は身を祓い清め、海神三座をこの場所に祀られた。
波風は静まり、舟は無事に進み、皇后は都に帰還された。
その後、当初に社殿が建てられたのが、海神社である。

JRと山陽電鉄の垂水駅からすぐの所に鎮座している。
余談だが、境内の駐車場より、駅前のコインパーキングの方が安いので、長居しないのならそちらの方が良い。
駅からだと、神社の横手から入ってしまうので、いったん国道に出てから、一の鳥居を潜るのが良いと思うが、初めてだったので横手から入ってしまい、社務所脇を国道に抜けて鳥居を潜るということをやってしまった。
写真の一の鳥居の内側に、二の鳥居が有ったということだが、今は跡が残るのみ。
一の鳥居の浜手には、朱塗りの浜大鳥居がある。
●海神社
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

海神社は地元では、“かい神社”と呼び慣わしている。
神社側では、“わたつみ神社”と言っている。
これが大きな問題なのだ。
“海”を、“わたつみ”と読ませたのは、実は本居宣長である。
明治になって、本居説をとり、国家神道が綿津見神社に改称させている。

浜大鳥居の扁額を見てみよう。
山手から見ると、「綿津見神社」とあるが、
浜手から見ると、「海神社」となっている。
陸=神社=権力の側から見れば綿津見神社だが、
海=氏子=まつろわぬ者たちにとっては、海神社なのだ。
海の民の反骨精神を感じて、嬉しくなってしまった。

海神社は本来は、“あま神社”、“たるみ神社”と呼んでいた。
ここは神戸市垂水(たるみ)区である。
垂水の語源の神社を改称してどうする!、と言いたい。
このように国家神道は、結局神道自体も分かりにくくしてしまっているのではないかと思う。

※別称、衣財田(えたからだ)大明神、垂水明神、日向大明神。
●海神社
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

境内社は三社。

写真左:天神社

写真中・右:稲荷社・蛭子社・猿田彦社
神像ミュージアム、七福神トピックも参照ください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46650710&comment_count=8&comm_id=4490692
●海神社
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

もう一つの境内社が、濱ノ海神社。
浜大鳥居の向かって右にある。
祭神は、金比羅大権現、恵美須大神、大黒天大神。

海神社のもう一つの性格は、海の塞の神である。
ここは明石海峡である。
そして、摂津國と播磨國の國境。
さらに、畿内と畿外の境である。
海からの禍津神を塞るのは、綿津見神だったのだろう。
(後に金比羅大権現にバトンタッチしたのか?とも考える)
●海神社、水脈環境
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

写真左
浜大鳥居のすぐ目の前は、垂水漁港。

写真中・右
間近に明石海峡大橋が見える。
訪れたのは、午後3時くらいだった。
神社は南面しているので、正午なら垂水漁港の向こうに太陽があるはずだが、明石海峡大橋の方に日は傾いていた。
相殿に大日孁貴尊を祀り、日向大明神とも称しているので、古くは日神信仰でもあったと思う。
天照の源像、海照を写真に撮りたくなった。
真ん中の写真である。
南中する太陽が海照らす、海神社。
昔は本殿から見る海が、光輝いていたことだろう。
●竜宮社(二見興玉神社境内社)
伊勢市二見町江575

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)というより、夫婦岩といった方が全国区でしょう。
二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神。
その二見興玉神社境内には、天の岩屋が有ります。
天の岩屋(天の岩戸)の伝承は、各地に何カ所かあると思うのですが、ここもその一つです。
二見興玉神社の天の岩屋は、石神(しゃくじん)=宇迦御魂大神(豊受大神)を祀っています。
日の出=天照大神、日の入=宇迦御魂大神(豊受大神)という関係だということです。

さて、境内社の竜宮社の祭神は、綿津見大神。
面白いのは神事の神饌が、茄子・胡瓜・みる・まつ菜などだということです。
『津波を急に見るな、待つな』の意味だとか。
かつての大地震で、何度も津波に襲われている地域なんだと思います。
津波の襲来を鎮めると同時に、避難の際の心得を教訓にしているんでしょう。

水脈環境は、あまりにベタですが、夫婦岩です。^^
AYUさん  はじめましてほっとした顔 すぐそばに、住んでます。早速行ってみますわーい(嬉しい顔)

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