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水流と水神コミュの八大龍王

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仏法の守護者のうちの“竜”であり、
法華経で以下の異なった性格を持つ8尊を指す。
一般に下記の順に番号がふられている。
各竜の性格を個別にみることよりも
8尊の性格を合わせた『八大龍王』としてみられることの方が一般的だが、
特に娑羯羅竜王の持つ雨乞いに対応する性格は深く信仰された。
観音菩薩から授けられた宝珠(玉=慈悲心)を持ち、
天海の竜宮に住む井戸・水道の守護神であり、
古来から干ばつのときに請雨経(しょううきょう)をあげ、
龍王を供養することで降雨祈願がされた。

1難陀竜王(なんだ)    
 八大竜王の第一とされる竜で、海洋の主。
 ニ十八部衆の一尊であり、水天(すいてん)の眷属でもある。
 釈迦誕生の時、弟の跋難陀竜王とともに浄水を注いで
 釈迦の体を清めたというエピソードがある。
2跋難陀竜王(ばつなんだ)   
 難陀の弟。頭上に7匹の竜が着く。
3娑羯羅竜王(しゃがら)
 天海に住む龍宮の王。雨乞い、航海の神として信仰される。
 善女(ぜんにょ)竜王(如意輪観音の化身)の父。
 竜を食べるといわれる金翅鳥王でも取ることができない龍。
4和修吉竜王(わしゅきつ)   
 水中に住む九頭竜。 綿津見神(ワダツミノカミ)。
 インド神話では長大な胴体を持つことが特徴とされ、
 天地創造時にマンダラ山を乗せた大亀に絡み、
 海を撹拌することに使われた。
 日本でも海の嵐を起こす龍神とされている。
5徳叉迦竜王(とくしゃか)  
 吉祥天の父。
 見つめるだけで人を死に至らせる“邪視”という能力と毒を持つ。
 金翅鳥王でも取ることができない龍。
6阿那婆達多竜王(あなばだった) 
 龍族のわずらい一つ“炎熱の苦しみ”のない
 雪山の池にある五柱堂に住む竜。
7摩那斯竜王(まなし)   
 大身大力の龍神で、
 阿修羅が海水で喜見城(きけんじょう:帝釈天の居城)を攻めた時、
 その海水を押し戻したというエピソードがある。
8優鉢羅竜王(うはつら)   
 青蓮華の咲く池に住むといわれる竜。


八大龍王は役行者、空海とゆかりが深く、秩父市の今宮神社や
奈良県天川村の龍泉寺は役行者が八大龍王を祀った地であるとされている。

●八大龍王を祀った主な神社仏閣
今宮神社(埼玉県)=書き込み1
http://homepage2.nifty.com/imamiya/
龍泉寺(奈良県)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E9%BE%8D%E6%B3%89%E5%AF%BA

●神奈川県横浜市 東峯八幡宮 石碑=書き込み22
●滋賀県長浜市 都久夫須麻神社 竹生島八大竜王拝所=書き込み27/28
●東京都大田区 天八大龍王社=書き込み6/7
●東京都八王子市 高尾山 薬王院 八大龍王堂 =書き込み4/5
●埼玉県秩父市 今宮神社=書き込み1〜3
●奈良県吉野郡 玉置神社末社 八大龍王神社 =書き込み9〜13/20
●三重県伊勢市 金剛證寺八大龍王社=書き込み29/30
●宮崎県西臼杵 八大龍王水神社=書き込み14/16/19


↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&om=1&t=k&msa=0&msid=113844027188609943916.00000112c3426118218b5&ll=35.994861,139.080144&spn=0.00296,0.002639&z=18

コメント(33)

●秩父 今宮神社 境内
埼玉県秩父市中町16-10

2006年5月の初頭、
埼玉県に役行者像があると知ってバイクで秩父市に向かった。
299号線で途中、何ケ所かの神社仏閣、峠に寄り道して、
秩父市に入った。
露地を通って、今宮神社境内にある駐車場に滑り込んだのは
pm2:30ころだったと思う。
境内は何か澄み渡った空気があった。
そういうフィーリングを感じたのは初めてだった。
ぼくは役行者を探す必要があった。
役行者がここに八大龍王を祀ったことは知っていたが、
たぶん小さな祠でもあるのだろうと思っていた。
最初に神社などに行く時は下調べはしないようにしている。
境内には人がいたので、あいさつがわりにお参りしようと思い、
そこにいた白い衣を着た男性に
「八大龍王はどこですか」と聞いたところ
その方は境内の真中にある大木(写真左)と、仮社殿を指差した。
今思うとそれが神官の西沢さんだった。
ぼくは八大龍王がこの神社の主神であるとは思っていなかったので、
意味がわからなかったのだが、とりあえず拝殿にお参りした。
それから境内を見て歩こうとしたのだが、
西沢さんに女性の宮司さんを紹介していただいた。
そのまま、宮司の塩谷さんと役行者のことなどで社務所前で話し込み、
気が付いたらpm6:00になっていた。
役行者は撮影禁止なのだが、なんとか撮影の許可をいただいた。
20分ほどで役行者像の祀られた行者祠、滝、馬頭観音石像、井戸、
弁財天、龍神池、龍神木(写真右)を観た。
役行者は金色の光に包まれていた(写真中)。
珍しく二枚目の行者像だなと思った。
木造の行者像としては小さな方で、珍らしく錫杖ではなく
木の枝を持っているのだが、おそらくけやきの枝なのだろう。
祠は西向きで、夕日が金色の厨子内に反射していた。
秩父最古といわれる龍神池は武甲山の伏流水が湧き出ているらしいのだが、
水面は油を撒いたように静かで、秩父の空を映してたゆたっていた。
陽はかなり傾いていたが、パラパラと境内を通り過ぎる人がいた。
たいていの人が幹まわりが8.56m以上という龍神木を見上げて
立ち止まっている。
全体をIXYのフレームに収めるには境内ギリギリまで下がる必要があった。

宮司さんからお借りした今宮神社の資料をお土産にして
東京への帰途に着いた。
●秩父 今宮神社 龍神祭
埼玉県秩父市中町16-10

4月4日am10:00今宮神社着
前週に初めてお会いしたばかりのカメラマンのミクトモ
<[◎]∀・)ノみよさんはすでに到着していた。
<[◎]∀・)ノみよさんはこの日行われる
龍神祭と水分祭(みくまりさい)の撮影をすることになっていた。
龍神木の前に折り畳みの椅子がかなりの数並んでいる。
さっそく龍神祭に続いて午後に行われる
水分祭(みくまりさい)に関係のある龍神池を見に行った。
龍神池は前回来た時と違って池の真中にある塚から水が噴出して、
水底まで澄んだ池には波紋が広がっていた。
お会いしたことのないミクトモのてるりんさんが
どこにいるのかわからないので、
この日の行事に参加していた、
以前、群馬県の役行者関連の場所を
一緒にツーリングしたハクさんに
てるりんさんを紹介してもらおうとしたら、
彼女のお子さんたちふたりが見つかった。
かわいい女の子とそのお兄ちゃんだった。
ふたりにてるりんさんのところに連れて行ってもらうと
以外や(笑)小柄な美人だった。
てるりんさんは
龍神祭と水分祭(みくまりさい)の行事のサポートをしているので
忙しそうだった。

まもなく龍神祭は始った。
龍神祭は明治維新の神仏分離以来、
1994年に130年ぶりに復活した水を司る八大龍王神の祭りだ。
大宝年間(701〜704)ここに役行者が飛来し、
宮中八神と八大龍王を合祀し、以後、明治維新の神仏分離まで
『八大宮』と称されていた。
龍神祭は境内にある推定樹齢1000年以上の大ケヤキである
龍神木の前に祭壇を設けて行われた。
背景の境内の桜は満開だ。
祝詞が唱された後、
今回、龍神木の横に設けられた野外の舞台で
流泉の会代表中村文子氏とふたりの若い女性によって、
琉球舞踏が奉納された(写真左)。
龍神(海人)がインド、インドネシア、ミクロネシア、 沖縄諸島、
鹿児島経由で日本にやってきたことを想定しているぼくには
興味深い催しだった。
踊り手は琉球独特のヘアスタイルと鉢巻から足袋まで深紅の衣裳に
金の襟の着いた黒の羽織りで
超スローで微妙な動きで舞った。
続いて参加者全員で般若心経が唱えられ、
150人ほどの参加者が玉串を奉納(写真中/右)。
参加者がお神酒をいただいて、
午前中の龍神祭神事がすべて終了した。
当日は寒かったが、境内で昼食。
革ジャンを着て行ったのは正解だった。
今回、ぼくが運営している
[役小角ゆかりの場]コミュのメンバー
Mythiqueさんも参加していたので、御挨拶。
この方も美人だった。
水に興味のある女性は美しくなるもんらしい。
Mixiのメンバーが4人も集まったので、昼食はさながらオフ会となった。

●秩父 今宮神社 水分祭
埼玉県秩父市中町16-10

午前中の龍神祭の間は雨は持ったが、
午後の水分祭(みくまりさい)が始る前に雨が降り始めた。
水分祭は今宮神社境内の龍神池(写真左)から湧き出る
武甲山の伏流水による水幣(みずぬさ)が
今宮神社から秩父神社に授与される祭だ。
この水によってその年のこの地方の稲の栽培が始る。
その稲収穫の豊饒の祭が秩父神社の有名な『秩父夜祭り』だ。
秩父夜祭りでは“水”が武甲山に戻される。
水分祭は徒歩で15分ほどの秩父神社から
行列を組んでやってくる一団を今宮神社宮司ほかが迎え、
拝殿前で執り行われた。
一団の多くは白装束に笠を被り、
田植えに関係した竹の道具を手にしていた(写真中)。
今宮神社と秩父神社との間でさまざまなやりとりがあり、
拝殿に種々のものが奉納され、祝詞があげられた。
水分祭の途中から雨は小雨になった。
水分祭の神儀は仮社殿で行われるため、
ぼくのバカチョンデジタルは役に立たない。
望遠レンズ持参のミクトモのカメラマン
<[◎]∀・)ノみよさんは大活躍だ。
ぼくは<[◎]∀・)ノみよさんのサポートに回った。
神官の西沢さんから水分祭の撮影ポイントの指示が飛んでくる。
神儀が滞りなく終了すると
最後にお神酒と大根のスライスされたものがが皆に回され、
ぼくも塩を付けていただいた。
味は塩のみだった。
こういう状況ではそんなシンプルな食べ物を
ちゃんと味わうことのできるのが不思議だ。
大根は生で食す場合はお腹を太らせるものではなく、
香辛料の一つでもある。
中世から香辛料は薬膳の重要な要素であり、
西洋医学が導入されるまでは陰陽五行説にのっとって、
身体と精神のコンディションを整えるためのツールでもあった。

水分祭が終了するころには雨も上がって、
秩父神社からやって来た人たちは
やってきたときと同じように隊列を組んで去っていた(写真右)。
高尾山 薬王院 八大龍王堂

http://www.takaosan.or.jp/index.html

昨日は毎年のお護摩を受けに登拝してまいりましたのでお写真をあげさせて頂きます。
四天王門をくぐり右手に座します八大龍王堂は2年ほど前に建立されましたまだ新しいものです。
それ以前は今は後ろに控えました苔むした味わいのある石碑の龍王様のみが御鎮座なさっておられました。
本院は本坊の裏手山腹に弁天洞、山中には琵琶滝、蛇滝といった水行場もございます。

●高尾山 薬王院 八大龍王堂
東京都八王子市高尾町2177

八大龍のUP写真も載せておきますね。

●天八大龍王神(清水窪弁財天) 境内
東京都大田区北千束1-26

大田区の細い路地を入ってゆくと、森になっている一画があった。
細い路地にバイクを止めて、境内に曲がりくねった石段を下っててゆくと、
小さな池中にある中島に乗っている流造の小さな社殿の裏側に出た。
中島は直系が30cmくらいの丸石で組んである。
境内にはあまり聞かない名称の小祠が祀られていた。

・天大国
・馬頭観世音
・天五色大天空大神
・三徳大明神
・三社大口真大神
・天国蔵五柱五成

境内はけっして広くはないのだが、これらの小祠が立体的に
変化を付けて参道脇にうまく祀られていて、大木もあり(写真左)、
住宅街の狭間に位置するのに、霊場を感じさせる雰囲気がある。
正面入口の石製明神鳥居はやはり石段を下った場所にあり、
鳥居をくぐると石灯籠がある。
境内全体が窪地になっており、この付近一帯が清水窪と呼ばれていた。
この都内に残された数少ない湧水は千束池の源流になっている。
千束の谷が水田であった時代には用水として利用されていた。
ここはその昔は大森海岸の入江だったようで、
もちろん千束池は海であったというから驚く!
現在はここから大森海岸までは5kmも離れており、
その間はびっしりと住宅街になっている。
境内にある由来書によると、現在は
通称になっている『清水窪弁財天』から
『天八大龍王神』に昇格して改称されているという。
天八大龍王社前に渡された橋の入口には銅の神明鳥居が立てられている。
(写真中)
社殿の脇には滝が設えてあった。
●天八大龍王神(清水窪弁財天) 水脈環境
東京都大田区北千束1-26

天八大龍王社の池は落葉樹に囲まれていることもあって、
お世辞にも水はきれいとはいいがたく、
土色に濁っている(写真左)。
ここから流れ出した水は暗渠を下って洗足池に向かう。
(写真中)の左に見える金網の下に境内がある。
暗渠は住宅街の間を縫う道路の下を流れている。
この道路が谷底にあたるので、
この道路と交差する道路はどちらに向かっても上り坂になっている。
暗渠は東急目黒線の下をくぐり、さらに下って、
洗足池のある公園の入口から暗渠を抜けて地表に姿を表わす。
その水流は弁財天の祀ってある中島脇で洗足池に注いでいる。
(写真右)
その入口付近の水路には30〜45cmクラスの巨大な鯉が
ひしめき合っている。
天八大龍王社から洗足池までは900mくらいだ。
●八大龍王神社 玉置神社末社
玉置神社所在地 奈良県吉野郡十津川村玉置川1
玉置神社公式サイト
http://tamakizinjya.hp.infoseek.co.jp/

玉置神社は、熊野三山=本宮・新宮・那智の熊野奥宮である。
本地仏は大日如来。
玉置山の山頂近くに鎮座し、神仏習合の修験道の神社である。
修験道の奥駆修行のルートに位置し、七十五靡の一つでもある。

さて、八大龍王神社だが、玉置山の山麓に鎮座している。
玉置神社までは、徒歩で山道を10km位かな。
現在は車道が整備されているので、車で玉置神社まで行ける。
初めて玉置神社を訪れた際、国道168号線から玉置神社に向かった所、いきなり神社があって、驚いて車を止めた。
それが、八大龍王神社だった。
神社の奥には滝があり、その手前は、禊ぎ場となっている。
これは玉置神社に縁の神社ではと直感した。
玉置神社に参拝し、宮司さんに確認した所、八大龍王神社はやはり玉置神社の禊ぎ場であるとのことだった。
玉置神社に参拝する者は、八大龍王神社で禊ぎをしてから参拝するのだとの事だった。

以来玉置神社の参拝の際には、八大龍王神社で滝行をしてから、玉置神社に参拝している。
滝の手前には、神道の禊ぎも出来るように整備されているが、修験の者はやはり滝行だろう。
●八大龍王神社 玉置神社末社 由縁

境内に由来の碑が建てられていた。
碑文には、八大龍王姫松明神とある。
終戦後のドタバタで、新興宗教がこの地の木を伐採して、道場の建立に使った由縁が書かれているが、それはどうでも良いだろう。
社殿は新しく、この新興宗教の手によるものだろう。
所有者も、その新興宗教の物のようだ。
だが、竜神信仰は、その遙か昔からあったし、昔からの禊ぎ場であることは、玉置神社の宮司さんに確認済だ。
まあ、間借りしている宗教があると言うことで、この問題はスルーしよう。

さて、玉置山の「玉」は「霊(たま)」であることは異論がないであろう。
そしてその玉は如意宝珠であり、役行者や空海がこの地に埋めたとされる。
如意宝珠は竜神の持物であり、雨乞祈願に繋がる。
玉置神社の祭神、大祭をいずれ詳しく紹介したいと思うが、山麓に戻ろう。

さてここでの本題は、玉置山麓の八大龍王神社の奥に位置する滝である。
地名で言うと、十津川村折立。
滝の名を「ネコマタの滝」と言う。
この地には龍神が住むと昔から信じられていた。
そして、村人はこの滝で雨乞いをしたのだ。
その驚異の修法とは……!
この地の竜神を怒らせて雨を降らせるという物だ。
具体的には、大勢でネコマタの滝に行き、小便をするのだ。
そうするとネコマタの滝の主、竜神が怒って雨が降るという訳だ。
これは……、修験道や神道の世界じゃないですね。
民間信仰というか、民俗学の世界ですな。
●八大龍王神社 玉置神社末社 ネコマタの滝


■写真左
見ての通り、二股になって、流れ落ちている。
ネコマタの滝の名の由来だろう。
妖怪ネコマタとの関係は、調査中である。
もう少し時間を頂きたい。

■写真中
滝壺の手前は、宮司さんのおっしゃる通り、神道の禊ぎ場として整備されていた。
水深も浅く、禊ぎには最適だろう。
ただ、少し水量が多く、水流がキツイ。
僕はここで、法螺を立て、九字を切り、滝行の作法を行った。

■写真右
禊ぎ場を越えて、滝壺に向かうと、足がつかない。
深い。
立ち泳ぎをしながらの滝行となる。
泳げない人は、無理ですから、最初に申し出てください。
それと水量が物凄いので、かなり体力もいります。


この時、滝に入ったのは午前中だった。
位置関係から、十月だと午前中の十時頃、この滝の滝壺まで陽が差す。
奇跡だった。
あんなに綺麗な水の色は見たことがない。
何色と言ったらいいのだろう。
エメラルド・グリーン?
エメラルド・ブルー?
いや、既製の色の名前じゃ、表現出来ない。
滝壺まで泳ぎながら見た色。
滝の水量で、滝壺に飲み込まれた時に見上げた水面の色。
僕は完全に、ネコマタに取り憑かれたようだ。
今年も、ネコマタの滝に会いに行くことになるだろう。
●八大龍王神社 玉置神社末社 ネコマタの滝

その他の写真です。
●八大龍王神社 玉置神社末社 ネコマタの滝

その他の写真です。
みなさんのように 詳しい 説明は できませんが。。
先日 行ってきたので アップさせていただきます。
場所は 宮崎 天岩戸の東本宮 近くの 八大龍王です。
>ルシノさん

書き込み14の基本情報を追加しておきますね。

●八大龍王水神社
宮崎県西臼杵郡高千穂町

(写真左)の右側の樹の根が巨大ですね!
>さとちゃんさん

書き込みに気付いてませんでした。

書き込み9の石祠に付いている梅に松?は神紋ですか?
ネコマタの滝は岩と瀧と水流の配置が、庭師が配置したみたいに、格好良い!
すみません。情報は わからず お掃除に行った時に 撮った写真でした。

AYUさんが おっしゃる その樹の 根本から 湧いた水が その井戸の写真に
なります。

木の写真もあるので こちらに 補足します。
大きいので 斜めになり 補強してあります。
写真では 小さく 写っていますが。。
この木のアーチの下を くぐって 中に 入ることもできます。
>18

祭神が、八大龍王姫松明神ですから、御神紋でしょうね。
それから、美しさで言えば、修験の瀧の中では、個人的にベスト3に入れます。(笑)
亀と八大竜王石塔の組み合わせは
亀と蛇の石塔と意味的には同じですね。
宗像三女神を祀った江島神社の銅の鳥居の装飾も亀でしたから(写真)、
同じ組み合わせと言えますね。
>うほっちゃさん

確かに江島神社の銅の鳥居は境内の北(=玄武)に位置していますが、
青龍(=東)の居る龍宮(奥津宮の隣)は西です。
探せば、島内に朱雀と白虎もあるのかもしれないですね。
●竹生島八大竜王拝所(都久夫須麻神社)
滋賀県長浜市早崎町1665

山の中腹にある都久夫須麻神社本殿は南向きで、
本殿正面の石段下の正面に竹生島八大竜王拝所(写真左)はあった。
八大竜王拝所は壁の無い銅板葺き屋根の建物で、中央部が神社売店になっている。
短い石段を上がって拝所内に入ると、
奥の正面に太い注連縄が張られた拝所が設けられていた。
ここには表の社票と違い、
「琵琶湖水神 竹生島竜神拝所」と墨書きされた素木の額が掛っていた(写真中)。
祭壇は日本酒などの奉納品で埋まっており、両側に木造の阿吽蛇像。
正面に明るい琵琶湖が眺望できる。
拝所脇から琵琶湖を見下ろすと、拝所正面下に石造の明神鳥居が立っていた。
(写真右)
それは島にやってくる時、観光船から見上げた石鳥居だった。
鳥居の立っている場所は少し突き出しているらしく「宮崎」と呼ばれている。
鳥居の向こう側に真左、つまり東を向いた流れ造りの小祠が祀られており、
その向こうに湖面が広がっていた。
●竹生島八大龍王拝所(都久夫須麻神社)水脈環境
滋賀県長浜市早崎町1665

長浜市の琵琶湖観光船のりばから観光船で宝厳寺のある竹生島に向かった。
船上から眺める琵琶湖は山が迫っているせいか、
日本一広い湖という感じはない(写真左)。

都久夫須麻神社のもっとも高い場所は本殿だが、もっとも低い場所には
魚を放してやる儀式、放生会(ほうじょうえ)の行われる斎庭(ゆにわ)がある。
斎庭は「清められた場」を意味する。
斎庭には狭い岩場があって、そこから稚魚を放流するらしい。
眼下の海底には大きさのそろった石が並べて棚が造ってあるように見え(写真中)、
その棚に足場になるような大岩が
平らな面を上にして置かれているように見えるので、
あるいはここは禊ぎ場になっていたのかもしれないと、想像した。
帰途、竹生島を遠ざかる観光船の尾部から湖面を見ていると、
波は自分の乗っている観光船の曵くものしかなく(写真右)、
琵琶湖の湖面にはまったく波が無いことに気づいた。
●金剛證寺八大龍王社 水脈環境
三重県伊勢市朝熊町 朝熊ケ岳山頂

伊勢ツアーに誘ってくれたTさんによれば、
神宮内宮から鬼門に当たる朝熊ヶ岳の尾根に向かって
龍脈があると言われているとのことだった。
(地形図左)で朝熊ケ岳の尾根の形を見ると、
東に向かって大きな口を開けた大蛇が 東西に横たわっているように見える。
その尻尾の部分が内宮の鬼門に当たっている。
今回同行したMさんは拝殿でピラミッドのイメージを見たというので、
伊勢内宮前のおかげ横丁にあるうどん屋で早めの昼食を摂りながら
詳しく聞き出したところでは、
エジプトのピラミッドを俯瞰して見たときの十字形の稜線を
強く意識したようだ。
前回同行したTさんは内宮拝所で十字形を観たと言っていたので,
基本的に同じものを感じたのかもしれない。
そして、それはここ朝熊ヶ岳の稜線の形でもあった(地形図左)。
朝熊ヶ岳の稜線は東西南北に稜線を延ばしており、
その十字形の稜線の起点である、朝熊ヶ岳の頂に金剛證寺八大龍王社は在った。
朝熊ヶ岳の頂下にある金剛證寺山門内には方角を示す天測点標石があったが、
それも、この十字形の稜線の方向を意識したものだったのだろう。
北に伸びる稜線だけが短いものの、朝熊ヶ岳をピラミッドとみることもできた。
十字形の西部分が伊勢、東部分が鳥羽であり、
「鳥羽」の地名由来には複数の俗説があるが、ここが空海の関係地であり、
私見では「羽」が窯場を指していることが多い事から
製鉄地であることに由来しているとみている。
「鳥羽」とは「十羽」でもある可能性もあるのではないだろうか。
参道の右手に沿って、境内の砂利が敷きつめられた中に
自然石で護岸され、龍王の棲処を暗示するような細長い池が設けられていた。
(写真中/右)
ここ朝熊ケ岳は尾根の北西側を流れる五十鈴川、南東を流れる加茂川に
多くの支流を流れ込ませている水の豊富な山だが、
池のもとになる湧き水があったのだろうか。
●金剛證寺八大龍王社 水脈環境
三重県伊勢市朝熊町 朝熊ケ岳山頂

伊勢ツアーに誘ってくれたTさんによれば、
神宮内宮から鬼門に当たる朝熊ヶ岳の尾根に向かって
龍脈があると言われているとのことだった。
(地形図左)で朝熊ケ岳の尾根の形を見ると、
東に向かって大きな口を開けた大蛇が 東西に横たわっているように見える。
その尻尾の部分が内宮の鬼門に当たっている。
今回同行したMさんは拝殿でピラミッドのイメージを見たというので、
伊勢内宮前のおかげ横丁にあるうどん屋で早めの昼食を摂りながら
詳しく聞き出したところでは、
エジプトのピラミッドを俯瞰して見たときの十字形の稜線を
強く意識したようだ。
前回同行したTさんは内宮拝所で十字形を観たと言っていたので,
基本的に同じものを感じたのかもしれない。
そして、それはここ朝熊ヶ岳の稜線の形でもあった(地形図左)。
朝熊ヶ岳の稜線は東西南北に稜線を延ばしており、
その十字形の稜線の起点である、朝熊ヶ岳の頂に金剛證寺八大龍王社は在った。
朝熊ヶ岳の頂下にある金剛證寺山門内には方角を示す天測点標石があったが、
それも、この十字形の稜線の方向を意識したものだったのだろう。
北に伸びる稜線だけが短いものの、朝熊ヶ岳をピラミッドとみることもできた。
十字形の西部分が伊勢、東部分が鳥羽であり、
「鳥羽」の地名由来には複数の俗説があるが、ここが空海の関係地であり、
私見では「羽」が窯場を指していることが多い事から
製鉄地であることに由来しているとみている。
「鳥羽」とは「十羽」でもある可能性もあるのではないだろうか。
参道の右手に沿って、境内の砂利が敷きつめられた中に
自然石で護岸され、龍王の棲処を暗示するような細長い池が設けられていた。
(写真中/右)
ここ朝熊ケ岳は尾根の北西側を流れる五十鈴川、南東を流れる加茂川に
多くの支流を流れ込ませている水の豊富な山だが、
池のもとになる湧き水があったのだろうか。

一枚目・大峰山頂・龍泉寺

二枚目・天川村洞川・龍泉寺

三枚目・天川村洞川・竜泉寺八大龍王堂



初めまして、家の地域にも八大竜王が有ります。中世はその辺りには、茶臼山城が有りました。 家の地区の由来は神が集うとの由来が有ります。氏神が海津見神社、隣には万福寺、行基(後の天智天皇)建立の伝承が有ります。総本社が大山祗神社。 八大竜王は竜なのでしょうか?神社に関連している伝説には蛇もあるのです。八大竜王がどんな関係になるかはまだ調べてます。
いいね、有り難うございます。八大龍王があった高知県の場所は中世には茶臼山城と言うお城が有りました。藤原宗勝(西和泉守宗勝)の城でした。他の県の八大龍王との関係、又、八大龍王を祭った一族はどんな方々だったのでしょうかね。
土佐は昔から伊予の関係が古くからあったようです。海や山、そして戦いの神が大山祗神社にはついてます。古くは水軍も関係していたと。海津見、綿積見、もっと古くは阿曇連等の関係もあったかと。あちこち飛びましてスミマセン。謎が多く有りますね。

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