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蔵原惟繕主義!コミュの第9回東京フィルメックス「蔵原惟繕監督特集 〜狂熱の季節〜」

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本日から、フィルメックスの蔵原特集開幕です。
めったにないお祭りだと思うので、特設トピックを立てておきます。
作品の感想やトーク・イヴェントの様子など、お気軽にお書き込みください。

コメント(23)

初日にいらしたみなさま、お疲れ様でした。レアなものばかり3本で様子見のひとが多かったのか、それとももともと蔵原だからこんなもんなのか、客席はわりと空きが目立ちましたね。

時間がないので作品の感想は省略するとして、記録という意味で、白鳥あかね(スクリプター)+黒須孝治(元・日活企画部) のお話からいくつか。

・「第三の死角」の原作を読んだ黒須さんが原作者の小島直記に会いに行ったら、立派な部屋に通された。小島氏はブリヂストンの総務部長だったそうです。

・「執炎」の準備でいろんなところに出かけた。余部鉄橋(あの、高いところを通ってるやつ)を見たとき、脚本家の山田信夫が「これで話ができた!」と叫んだ。

・後年の、ネイチャーものへの移行について。蔵原は日活退社後、TVのドキュメンタリーで、小編成で海外を回る仕事をしていて、それでもってドラマ以外の映像の魅力に取り付かれたのではないか。

……わたしの印象に残ったのはこんなところでした。

本日も瀬川昌治監督のトークなどありますね。行かれる方は、トークの様子、作品の感想など、書いてみてください。
今日はフィルムセンターはお休みですので、蔵原関係の催し物は丸の内カフェの小西康陽×ミルクマン斉藤のトークだけです。重山さん、報告よろしく!

シュートさん、連日お疲れ様。瀬川監督のトーク、わたしは聞けなかったのですが、行ったひとからのまた聞きによると、あのラスト(最後の最後、向かい合っているふたりのところに○○がやってくる)は原作にはなくて、「悪いやつがのさばったままのラストではよくないからどうにかしろ」と言われて無理やりくっつけたのだとか。

ちなみに昨日は、1本目の「われらの時代」はがらがらでしたが、2本目の「ある脅迫」からだんだんお客さんが集まってきたようです。明日はいよいよ浅丘ルリ子の登場です。
11/22、11/23のトークの様子がフィルメックスのサイトにアップされています。

*2008年11月22日 舞台挨拶「兄、蔵原惟繕の思い出」
http://filmex.net/mt/dailynews_2008/2008/11/1122.html

*2008年11月22日 トークイベント「蔵原惟繕を語る」(『第三の死角』上映後)
http://filmex.net/mt/dailynews_2008/2008/11/1122_4.html

*2008年11月23日 トークイベント「蔵原惟繕を語る」(『ある脅迫』上映後)
http://filmex.net/mt/dailynews_2008/2008/11/post_3.html
重山さん、ご丁寧にどうもありがとうございました!

岡本喜八については上記発言と同じことを小西氏がどこかで書いていました。しかし氏は、たとえば「血と砂」も認めないのでしょうか、気になるところです。わたしはといえば、「ああ爆弾」について非常に疑問を持っていまして、日本語の言葉が音楽に乗っていないし、歌詞が聞き取れない。こりゃダメだなと思ってしまいました。

『執炎』と『愛の渇き』、スクリーンで見るのはひさしぶりなので、楽しみなところであります。
本日、フィルムセンターで『黒い太陽』を鑑賞してきました。
英語字幕付きの上映ということで、海外の方たちもいらしていたのですが、
上映中、絶えず失笑が漏れていました。
映画自体がディスコミュニケーションを描いているので、
海外の方たちの反応というのも気になるところだったのですが、
やはりモンドなものとして捉えられてしまったのでしょうか
(単にチコ・ローランドが大根だったのかもしれませんが)。

ちなみに僕も初見だったのですが、
あのラストはせっかくのタイトルを台無しにしているようで、
ちょっとどうかと思ってしまいました。
(もっと隠喩的なニュアンスだと思っていたので…)
山田さんは原作(『腐ったオリーヴ』)をどの程度脚色しているのでしょう?
森田森さん、

そうですか、失笑が漏れていましたか。
あの時期にあの内容の映画、しかも英語部分に字幕なし、というのは相当にラディカルな試みだったと思うので、もし英語圏のひとにモンドな感じでとらえられてしまうと残念ですね。明日、たぶん知り合いのアメリカ人がフィルムセンターに来ていると思うので、聞けたら感想を聞いてみます。

わたしは逆に、あのラストがすばらしいと思ったクチです。中川信夫の「東海道四谷怪談」のラストと印象がダブります。いま、原作をざっと見てみましたところ、やはり最後はアドバルーンとともに空に浮かび上がっていく描写でした。
44年ぶりに「執炎」を観てきました。
私の大学1年のときに公開され、全くヒットせず、以来再公開を待ち続けてきました。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52160383.html

観客は私の世代の人ばかり、若い人がほとんどいないので、残念でなりません。
30日にもう一度上映されるので、また行きます。
日本映画最高の美に乾杯!
フィルメックスのサイトに、24日のミルクマン×小西のトークの様子がアップされています。

http://filmex.net/mt/dailynews_2008/2008/11/post_6.html
ときの忘れもの亭主さん、

わたしも昨日の3本、見に行ってきました。44年ぶりの再見とのこと、感慨もひとしおだったのではないでしょうか。やはり客の入りはさびしいものがありましたねえ。開始時間ぎりぎりに着いて、ちょっとびっくりしました。

森田森さん、

すいません、昨日は外人部隊はこぞって不参加でした。会う機会があったら、「黒い太陽」の感想、聞いておきます。
鈴木並木様

そうですか、ということはむしろあのラストから
映画版のタイトルを持ってきたという感じなのですね。
あまりの衝撃に賛否両論あるかもしれませんが、
作品全体としては異様なテンションが漲っていて、
「この時代にこんな映画があったのか!」と感動しました。

ところで、劇中でミンガスの『The Clown』が効果的に使われていましたが、
マックス・ローチの『Black Sun』というアルバムは実在するのでしょうか?
“on a train that runs somewhere〜”という歌も気になりました。
どなたかご存知でしたら教えてください。
森田森さん、

あの時期の数年間、ローチのグループのスタジオ録音はなかったと思います。あのアルバムも架空のものです。ですからあれは、世界のジャズ史的に見ても貴重な音源と言っていいのではないでしょうか。

アビー・リンカーンが劇中で歌っていたのは、ラングストン・ヒューズの詩をもとにした「Six-Bits Blues」です。曲をつけたのはジャズ評論家のレナード・フェザーのようですね。ちょっと調べてみたところ、bitとは1ドルを8つに分けた単位(12.5セント)で、したがって6 bitは75セント、それでクレジットが「75セントのブルース」となっていたわけです。

歌詞はこちらに載っていました。
http://blogaurelia.blogspot.com/2005/10/six-bits-blues.html

ちょっと調べてみないと分かりませんが、これ、もともとは「The Weary Blues」というタイトルの詩なのかもしれず、そのタイトルの詩にチャールス・ミンガスが曲をつけたものもあるようです。
フィルメックスのサイトに、トークの様子の動画があがっています。ありがたいです。

*11/22「蔵原惟繕を語る」(白鳥あかね×黒須孝治)
http://filmex.net/mt/broadcast/2008/11/1122_5.html

*11/23「蔵原惟繕を語る」(瀬川昌治×高崎俊夫)
http://filmex.net/mt/broadcast/2008/11/1123_9.html
「The Weary Blues」は違う曲みたいです。
鈴木並木様

迅速かつ丁寧なお返事ありがとうございます。自分でもいろいろと調べてみます。
川地民夫の部屋の壁に貼られたポスターやレコードなど、
当時の日本におけるジャズ熱が伺えるという意味でも、
大変貴重な作品ですよね。
個人的には芦川いづみさんの現在の旦那さんである
藤竜也さんが端役で出演していたのが嬉しかったです。
26日に続いて今日も「執炎」を観てきました。奥さん呆れ顔でしたが、44年ぶりに会えたんですもの、何度でも観たい、会いたい。
ネットでいろいろ見ていたら、「寥川亭通信」というのを発見。
http://homepage3.nifty.com/fujino/koyu/kurahara.html
共同通信社の新聞記者だった方のようですが、「郷里の兵庫県・但馬海岸の平家落人伝説の村が舞台になっており、方言指導を頼まれたのである。もともと私は映画が好きで、映画監督を夢見たこともあったので、喜んでこの仕事を引き受け、あげくは大学の授業はそっちのけで4人の助監督の、さらにその下働きのような感じでのめり込んでしまった。夏休みに越中五箇山から能登、越前海岸への長期ロケ撮影に付いて行き、秋になって大学の授業が始まっても、調布の日活撮影所でのスタジオ撮影に毎日のように通った。」という貴重な回想記です。
浅丘ルリ子演ずるヒロインの育った家は「能登の時国家」で撮影されたのだそうです。
会場では、弟の蔵原惟二さんにもお会いしました。観るのは公開時以来とか。「私は全シーン覚えています」と自慢したら、「ボクは傘の落ちてゆくシーンだけしか覚えていないなあ」とのことでした。
*森田森さん、

本日、「黒い太陽」だけ見てきました。川地民夫がチコ・ローランドを見つけて、「あんた、黒人だったのか!」と言うところで、外人(たぶん)がひとり、爆笑しておりました。

おっしゃるとおり、当時の日本のジャズ状況を窺い知る上でもとても貴重だと思いますが、生演奏を聴くシーンはないですね。当時の日本とアメリカの距離とか、いろんなことを考えてしまいました。

*ときの忘れもの亭主さん、

ご紹介いただいた記事、本当に貴重な証言ですよね。「執炎」、わたしが前回見たときにいちばん印象に残っていたのは死神のような宇野重吉でした。見直したら、いろいろ思い出しました。

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