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埋もれた偉人 無名の偉人 コミュの小笠原登 - ハンセン病患者への偏見と戦った医師

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小笠原 登(人権ふれあいセンター内) - あま市歴史観光スタンプラリー特設ウェブサイト
https://amadego.amebaownd.com/posts/1720007/

京都帝国大学を卒業。
その生涯をハンセン病患者の診察と治療にささげる。
日本では戦後まで、ハンセン病は不治の病で感染力が非常に強いとされ、
患者の隔離政策を推進した。

これに対し小笠原は「癩(らい)に関する三つの迷信」と題する論文を発表、
ハンセン病は治療をすれば治り、感染力が非常に弱いことを主張し、
国の政策(終生に及ぶ強制的な隔離等)を批判するも、その当時、
隔離政策を推進する医師たちによって封殺された。
ただ、彼のハンセン病に対する信念は変わることなく、
患者への献身的な治療と、その生活と人権を守ることに尽力した。

孤高のハンセン病医師――小笠原登「日記」を読む
https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A4%E9%AB%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E2%80%95%E2%80%95%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E7%99%BB%E3%80%8C%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%8D%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E8%97%A4%E9%87%8E-%E8%B1%8A/dp/4905421950

出版社 ‏ : ‎ 六花出版; A5版 (2016/3/3)
発売日 ‏ : ‎ 2016/3/3
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 224ページ

らい予防法廃止から二〇年、
ハンセン病国家賠償訴訟熊本判決から一五年。
ハンセン病患者をことごとく療養所に収容しようとした癩予防法のもとで、
自らの医学的知見にしたがい、絶対隔離の必要なし、と
療養所外での自宅治療・通院治療を敢行した
医師・小笠原登の「もうひとつのハンセン病治療」。
その思想と実践を、遺された日記・諸資料を駆使して検証、実体に迫る。

小笠原登 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E7%99%BB

小笠原 登
(おがさわら のぼる、1888年(明治21年)7月10日 - 1970年(昭和45年)12月12日)
は日本の医学者(専攻は皮膚科学)でハンセン病(らい病)の研究者。
元京都帝国大学助教授。僧侶。

愛知県出身。京都帝国大学医学部卒業後、
同大学医学部の皮膚科特別研究室助教授となり、1948年まで在職した。

彼はハンセン病の発病は体質を重視すべきことや不治ではないことを主張し、
当時行われていた患者の強制隔離・断種に反対したが
学会から葬り去られる結果となった。

コメント(1)

小笠原登に師事した大谷藤郎は、遺志を受け継ぎ、
「高松宮記念ハンセン病資料館」(現:国立ハンセン病資料館)
設立に尽力し、1993年開館、初代館長となり、
ハンセン病患者への差別と偏見と戦い続けた。

そして1996年(平成8年)、「らい予防法」廃止へ。
2001年、国は間違った政策であった事を正式に認め謝罪し、
大勢のハンセン病患者に賠償金を支払った。

大谷藤郎初代館長略歴 - 国立ハンセン病資料館
https://www.hansen-dis.jp/pastevents/20th_anniversary/20th_ootani

【大谷藤郎初代館長略歴】

 1924年滋賀県に生まれる。
戦時下京都大学皮膚科特別研究室小笠原登助教授のもとで、
ボランティアとしてハンセン病患者にかかわる。

1952年京都大学医学部卒、1959年厚生省入省、1981年医務局長、1983年退官、

1988年財団法人藤楓協会(現社会福祉法人ふれあい福祉協会)理事長。

1992年財団法人藤楓協会40周年事業として、
高松宮記念ハンセン病資料館設立に尽力、1993年開館、初代館長となる。

1994年「らい予防法」廃止と新法制定を求めるいわゆる「大谷見解」を発表、

1996年「らい予防法の廃止に関する法律」制定の契機となる。
 誤ったハンセン病隔離政策と苦難の歴史を後世に伝えるとともに、
偏見・差別の解消と患者・回復者の社会における共存に尽くす。

1993年レオン・ベルナール賞、2007年東京弁護士会人権賞受賞。
同年、当館名誉館長となる。2010年逝去(享年86歳)。

国立ハンセン病資料館 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8

国立ハンセン病資料館(こくりつハンセンびょうしりょうかん、
旧高松宮記念ハンセン病資料館)は、
東京都東村山市にあるハンセン病に関する資料を保有する博物館・図書館である。

目的は、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律に基づき、
ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発と、
ハンセン病回復者に対する差別解消と名誉回復を図ることにある。


差別と偏見の歴史【ハンセン病】人を狂わせ続けた悪魔的感染症との戦いが凄い!
「非株式会社いつかやる」さんのこの映像、
ハンセン病の歴史がとても分かりやすく説明されています。

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