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ライアル・ワトソンから考えるコミュの『生命潮流』工作舎

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コメント(13)

事例が多いからねー
持ってないと心許ないかもね。話に出す時に。
抜粋
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1236/1084113283/l100
 こんにちは (^^)/

 ご参考までに m(_ _)m。

http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/saru.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?tag=ii-22&path=tg/listmania/list-browse/-/31GEJ5P89SV0U/

http://homepage3.nifty.com/kadzuwo/monkey.htm
わーこれこれ!
大好きな本です。
かなり前になりますが、夢中で読みました。
それにしてもワトソン君の調査・探求のものすごさ!
そして、世界を解き明かそうとする情熱とその確かさに
ただただ感動してました。
読み直す時間がないのが残念ですが、
そばにあるだけで、手に取るだけで、感動が蘇り安心しますね☆
 
 別トピでも申し上げましたが、また一つ、ウソが見つかりました (-_-;)。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1116672721
目の前でテニスボールが裏返ったとか書いてる人ですから
ウソとかなんとか追及するのはナンセンスでしょw
みなさんはじめまして。
ヒルカワと申します。
(夜帆さん、こちらでもよろしく)

生命潮流、高校生のころに読んで、けっこう好きでした。たしかあのころテレビ化されて、見た覚えがあります。ビデオがあればゼヒまた観てみたいものです。

ワトソン氏は、けっこう、ハッタリだと思います。
が、身体に根ざしている語り口というか、あまりルサンチマン入っていないというか、悪い意味での宗教っぽい説教臭さがあまりなくて、わりといい感じだと思っています。
まあ、文句つけたい科学(?)妄信者は科学的に可能なはずの
火渡りでもしてからでしょう。
ワトソンの勇気や汗は評価すべきじゃないの?
悪人とは思えないし作文うまいし。

方法論や言い方はちがうけどアインシュタインも湯川秀樹も
似たようなこと(=科学の限界や自然への畏怖などについて)は
言っていて、私の読み方もその程度です。

ワトソンを引用するのもそういう場合。
「生は死の異常事態」とかね。
これにしろ科学者も宗教者もよく言うことですけどね。
適用を間違えると単なる諦観・マイナス志向にしかならない。
まあ、酒や薬と同じですな。

今頃になって批判の孫引きなんか紹介して悦に入ってちゃだめ。
目前のNASAやロボットカー競技やブッシュ批判くらいまで
持っていくなら読む。かもしれない。
狂牛病や鶏インフルエンザや石綿とかまで演繹するとか。

日本でも1970年代に科学的実験の大失敗があって
それ以前から公害・環境汚染あたりには反省もあったのに
科学者は真摯さが足りなかったんじゃないかということで
学術会議が本にまとめられたりしたですな。
別トピの西山卯三のやつ。

NIRAなんかも1980年頃だったか日本小児科学会のシンポジウムで
「原っぱ」をキーワードに都市開発やこども教育・予防医学の見地
からレポートをまとめたりしてる。
反省の時代だったんだよ。ネット以前だし。

かたや脳死と臓器移植の問題や遺伝子組み換え、AIDSなんかも
出てきたし。
ワトソンのおかげで似非科学が広がるなんてのは杞憂。
悪用する団体はあるかもしれないけど一部を引用したり否定すること
だけで何か主張しようとするのが手抜きだし、そんなもので
悪影響を受けるのは受ける側の問題。

つまり、気軽に眉に唾つけながらも「へー」と読めばいいだけでしょ。
読者に何かしろなんて煽動してるような箇所はないでしょ。
木だけでなく森を見ましょう。

立花隆の紹介した最新科学さえ古くなりつつあるけど
せめてそこいらへんと比較してみるとか
養老先生の本あたりに触れるとか寄生虫の藤田紘一郎とか
もう少しましな参照対象があると思う。

批判のために元本を読むような人生は悲しいでしょw
宗教書なんか読めば読むほどダメダコリャと思ったりするけどねー
mixiでもダライ・ラマのコミュに掲げてある言葉なんかは
素直に肯定できるのに宗教系コミュに長文を書くような人たちは
妙に頑なで否定的で突っ込むとキレるし。

哲学は悪文だらけで意味わからんしね。観念的だし。
科学自体がいままで間違いの連続で、これからも
あ、違ってました!が続出することは必死です。
間違いがいいとは言いませんが、
間違いはあってあたりまえ、そのもっと向こうに
有効な何かを見つけられるかどうかが、その作品をものにできたかできなかったか、だけじゃないでしょうか。
ものにできないと思ったら、そこに執着しないで、ものにできるものを自分でさがす旅にでるのが建設的な生き方かと。
ここではあくまでも、評価、批判しながらもワトソンの仕事を肯定的に見た上ででなければ建設的な議論にはならないでしょう。
ライアル・ワトソンについては厳格な科学論争をしている訳ではなく可能性として生命についての想像力をかき立たせてくれるところを高く評価したいと思います。
一番貴重なもの。カールセーガンがこういってます。
科学にとっていちばん貴重なものはなにか?相対性理論、量子力学?
いやいや、そんな一つ一つの理論をとやかくいうつもりはありません。
 いちばん貴重な物は科学自身に”エラー修正機能”が組み込まれているということです。
 そして似非科学と決定的に違っているのは、本当の科学のほうが、人間の不完全さや、誤りやすさをずっと認識している点です。むしろ「人間は間違うことを断固として認める」ぐらい積極的な機能をもっているのです。
ですから、誤りを含んだ科学と似非科学はまったく異質のものなのです。
 科学は誰かが境界線を進まねばならないのです。ワトソンは似非ではありません、ちゃんと否定できる科学です。
ワトソンはただ先駆者であり、評価できると思います。
ガリレオをまた裁く過ちを犯してはなりません。
100匹目のスワン
科学とエセ科学をどのように判断したらよいのだろうか?

 次の科学史の事実を例題に考えてみる事としよう。

 [アインシュタインの相対性理論は1919年の皆既日食によって「確認」された。同時にニュートン力学は「過去のものになった。]

 さてまずここで理解しなければならないのは「確認」されたことは「証明」したことにはならないことだ。なぜなら、例えば「スワンは白い」という命題は、1000匹のスワンを白と観測できても、1001匹目に黒いスワンが観測されれば、たったひとつの「反証例」によってその命題は完全に否定される。これは「証明と反証の非対称性」と言われる。

 次に、理解しなければならないのは、過去のものとなったニュートン力学も科学的理論であることを止めないという点だ。占星術や宗教などであればいくらでも言い逃れができたのだろうがニュートン力学が反証されたのは、それがもともと科学的であったからである。

 この「反証可能性」が科学とエセ科学の境界となる。

ワトソンの話は反証可能であり、科学的姿勢の範疇にある。

例え、1つ2つの見識が否定されたとしても、冷たい科学に暖かな生命感を与えた、底辺を広げた先駆的著書だ。

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