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回避依存って何?コミュの?回避依存って何?

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簡単に言ってしまえば、
「束縛を怖れるあまり、愛されることまで無意識に怖れ、健全な関係を築けなくなること」
ではないかと思います。

これのどこが「回避」「依存」なんだ、ということになりますが、
「人と親密になりすぎるのを怖れ、相手の気持ちや関係の前進を無意識に『回避』すること」に『依存』してしまう。
そう捉えてください。

実は回避依存症の人(ここでは〜タイプとせずあえてこうします)を表す言葉に、
「幸せになるのが怖い人」というのがあるのですが、
ありえないように見えて非常にわかりやすい表現だとボクは思います。
これは「周りの人が、回避依存症の人の行動を見て受ける印象」だと思います。
もちろん本人は不幸になりたくてそうしているわけではありません。
その人は、「幼いころのトラウマのせいで、自分だけ普通の恋愛が出来なくなっている」ことに気付いていないだけなのです。

「相手との相性も良くて、あれだけ愛されていたのに、どうして別れちゃったの?」と不思議がられた経験はありませんか?
そして今も自分で、「なぜ愛せなかったんだろう?」と思っていませんか?

コメント(7)

ちょっと考えがまとまった気がしたので独り言を。

これまで色々調べてきて、
回避依存を説明する上で外せないキーワードっていうのは
どのへんなのかなぁ…と考えてたんですが、
わかりやすいのは、

?『親密さへの恐れ』
?『見えない壁』
?人間関係以外へのアディクション

ではないかと思いました。
より詳しく理解するためには、恋愛依存のメカニズムやその恋愛サイクルについても
知る必要があるのですが、とりあえず「回避依存症者の最大の特徴は」
と聞かれたらこの3つをあげるのが手っ取り早いのでは、と。

長くなりそうなので、それぞれについての詳しい説明は
別のカキコにさせてもらいます。
立ち直りについても触れ始めましたが、こっちもコツコツ書き足していきたいと思います。

まず、?『親密さへの恐れ』について。
回避依存タイプの人が恋愛下手なのは、全てこの『親密さへの恐れ』のせいだと言えます。多くの場合原因は複合的ですが、もっとも多いのは『過干渉な家庭に育ったことによる一種のトラウマ』で間違いないと思います。ひとくちにトラウマといっても実際に生理的な息苦しさを感じることもあれば、知らず知らずのうちにその人の価値観に混ざりこんでいることもあるようですが、いずれの場合も、今の自分が愛すること、愛されることをどれほど望んでいても、過去の自分がそれを拒んでしまう、という点がとても厄介です。ボクが回避依存の問題をACの問題と絡めて考えている理由がここにあります。

ところで、ボクのように比較的放任主義の家庭で育った方の中には、「家庭での束縛がトラウマになるなんて大げさじゃないか?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?(回避タイプの方で気に触った方おられたらごめんなさい。)
ボクはあまりそういうことはなく、すんなりと納得できましたが、回避依存について知る以前にたまたま読んだ教育関係の専門誌で、発達心理学の先生がおっしゃっていたことが印象的だったからでは、と最近は思っています。曰く、現代の子供たちの心の問題を考える上で、もっとも考慮しなければならないストレスの一つが、「自分でできること、やりたいことを自由にさせてもらえないことによるストレス」なのだそうです(かなりうろ覚えですが)。世の中の複雑さを知らなかった子供が思春期を迎えたとき、「どうにもならない窮屈さ」が自分の最も身近な世界(=家庭)にあると気付いてしまったら、その後の数年間は苦しいものになって当然だと思います。学校というもう一つの身近な社会に自分より自由な同年代の人間がたくさんいることも彼らにとっては残酷かもしれません。その世界から逃げ出すことのできない、追い出されるわけにはいかない子供は、それを表に出すことさえできずに苦しむことになります。いわゆる「いい子を演じる」というやつもこれに近いかと思います。

話が少し逸れましたが、DVやその他の強烈な体験がなくても、若い頃の日々の鬱屈が一種のトラウマを生むのは十分に理解できることだと思います。それなのになぜ、回避依存が注目されないのか?というと、一つにメディアの性格というか、マイノリティを無視する傾向に原因があるとボクは考えています。試しに何かの小説、マンガ、映画、ラブソングの歌詞など恋愛もののことを思い浮かべてみて下さい。どれもこれも恋愛の、恋愛依存的な面を強調したものばかりではないでしょうか?別に作為的なものではないでしょう。おそらく恋愛依存的な切なく狂おしい内容のほうが「絵になる」とかそんな感じでではないかと思います。実際、回避依存的な恋愛ものと言われても作りにくいんでしょうけど、何より見る者の半数半数以上が恋愛依存タイプの人なので共感を得るためには都合がいいのです。

そういうわけで、回避依存タイプの人の中には、自分の『親密さへの恐れ』の正体が理解できずに、メディア的な「恋愛はこうではないといけない」という一種の思い込みから、本来ならいい経験を与えてくれるはずの身近な『恋愛の種』を見逃している人もいるのではないか、と言うのがボクの個人的な考えだったりします。

だらだらと長くなってしまったので、とりあえずこの辺で失礼して、次は『見えない壁』について書かせてもらいたいと思います。
今回は、?『見えない壁』についてです。
回避依存タイプの人が、パートナーに対して張る精神的なバリアのことで、
・避け方が極端
・一定以上の親密さになるとあるとき突然表面化する
・距離をコントロールしているのが常に回避タイプの人
ということが主な特徴のようです。

一般的なのは、
・無言、無表情、作り物の笑顔などで感情を極端に隠す
・怒りや倦怠を相手にぶつけ威嚇する
・会えないと言って精神的・肉体的接触を実際に断つ
・仕事などに没頭して相手のことを意識から締め出す
などです。

(この分類に異常なほどの熱意を示している本もありますが、あまり意味は無いように思えます。具体的な手段は人それぞれです。)
本来は、「前と同じに付き合っているはずなのに、最近は相手の感情が全くわからない」、という恋愛依存タイプの人の心境からの、『見えない』という表現だったはずなんですが、
上記のように「実際に接触を断たれて相手の心が見えなくなること」も混同されていることがあります。ここでは大雑把に、恋人に対して特別に張る強力なバリア、と理解してもらっていいかと思います。
いずれにせよ、精神的接触がほとんどできないのでは(それこそ友人や同僚以下になっては)、いい恋愛が成立するはずがありません。
かといって好きだという感情が急に嘘になるわけでもないので、自分から近づいたり、突き放したり、という関係が続くことになります。

どれも恋愛でのすれ違いには付き物と言えますが、
回避依存において問題となるのは「相手を傷つけることなく、NOと言うことができない」、という場合です。
(共依存にもの共通の言い回しでは、「健全な境界線が引けない」、と呼ばれます)
これは『親密さへの恐れ』による衝動であると同時に、『親密さへの恐れ』というものについて相手の理解が得られないからだと思われます。自分ですら原因がわからないぐらいなので、パートナーにそれを求めるのは酷かもしれません。

イメージとしては、『見えない壁』は「高いコンクリートブロックの塀」のようなものだと想像してみて下さい。突如として現れた塀に、パートナーは始め様々な別の理由を探しますが、最終的に痺れを切らして、塀の上から相手の庭を覗こうとしたり、しつこく電話をかけてくることになります。隣人との良好な関係は、あっさりと壊れてしまいます。

一方で、『健全な境界線』とは「芝生の庭に打たれた柵」のようなものです。パートナーは柵ごしに回避タイプの人の顔を見ることができ、良好なコミュニケーションと安心感を得ることができます。柵があれば本来必要な距離感は保つことができますし、時期が来れば本人の意思で取り払うこともできます。パートナーが了解なく柵をまたいで侵入してきたら、『親しき仲にも礼儀あり』だ、と日ごろからたしなめておいたほうがいいかもしれません。

とはいえ、回避依存タイプの人と、恋愛依存タイプの人では、『快適と感じる距離』が違うので、結局は妥協点を探しながら信頼関係を築いていくことが必要になります。そのため、回避タイプの人から、あらかじめ『柵』によって自分の満足を伝えておけば、大慌てで『塀』作って、相手を締め出すことなく距離を保つことができ、その後のトラブルを減らすことにもつながります。
こんばんは。
少しでもお役に立てたならうれしい限りです^^
向き合うべき自分の問題が抽象的すぎると、何をしていいかわからないまま気力まで失ってしまいかねませんよね。
一歩は一歩でも、本気でどうにかしたいという方には大きな一歩目だと思います。

次のステップというか、ここで(皆さんに)少し注意していただきたいことなのですが、
回避依存というものの本質について具体的なイメージができたら、次はこのこのコミュにボクが書いていることについて、疑ってみて下さい。

『回避依存』で検索すればいくつかサイトも出てくるかと思いますが、ここで紹介している内容とは本質が同じでも、細部が大きく違います。
皆さんの反応から、自分が様々なところから取捨選択しこのコミュでとりあげた内容のほうが、実際の問題からの乖離が少ないとの実感はありますが、全ての人を立ち直りに向かわせるのに最善の内容ではないかもしれません。

ここにはこう書いてあるけど、むしろ自分はこう感じた。これは本当に正しいのだろうか。正しいとしても、本当に自分に当てはまるのか、という素朴な疑問を忘れないで下さい。あたりまえのことですが、『自分と共通点は多くても、全て一緒ではないかもしれない』、ということを再確認しておいて下さい。
(「問題を認識できたら、次は疑って掛かれ。必要以上に型にはまり過ぎないように気をつけろ」、というやつですね。)

とはいえ、関心を持ってくれる人が増えるのは単純に喜ぶべきことです。何か疑問やご意見等あればどんどん書き込んでくださいね。


さて、書籍の件に関してですが、残念ながら人様に紹介できるような内容の本(基準は自分の中で☆3つ以上)は今のところありません。自分が読んだものもあまり多くないのですが、回避依存について触れた本の数が絶対的に少ないからです。

実際、著者―水澤都加佐、と紹介されている本で、共依存との線引きが的確なものを見つけ一度は喜んだが、実際はここのレビューにあるメロディ氏の本と同一で、著者ではなく訳者の間違いだった、という経験があります。。。
(目次が全部一緒な時点で気付かない自分もどうかと思いますが…)

繰り返しになりますが、非常に残念なのが恋愛/回避依存と共依存の問題をごっちゃにしているものが多いことです。有名なものでは、伊東明という方の『恋愛依存症―失われた愛情と心の傷を癒す』という本がそうです。個々の記述は良いので、『自分に当てはまる!!』という声も多いようですが、いかんせん問題の整理が全くできていない気がします。
素人の自分が現役の学者先生の本を否定するというのもえらいことですが、現状を見る限り、この一点においてボクは一切譲るつもりはありません。
(様々なサイトにある内容はこれらの本に基づいて書かれているようなので同様にオススメできませんが、ある程度参考にはなるかと思います)

それほど日本での回避依存への関心は低いということです。もちろん、それはその存在を知らないからであって、取るに足らない問題だと世間が思っているわけではありません。むしろACや共依存として捉えるより、より多くの人に生き方の指針を与えてくれるものかもしれないと自分は思っています。
(回避依存について語らずに恋愛依存をどうにかしようとするのも、片手落ちというほかありません。)

とはいえ、恋愛依存症について書かれた本ならば、回避依存についてもなんらかのヒントになるかと思いますので、とりあえずメロディ氏の本を何度か読まれたあとで色々と参考にされることをオススメします。
ただし、心理学や恋愛のコーナーにあるものでも、
・モテ術を匂わせるもの
・「男と女」という基準で書かれるもの
・共依存についての記述が全く無いもの
は避けたほうが無難かと思います。
心理学ブームに乗っただけの、的外れなものや、薄っぺらなものも非常に多いです。知識の外堀を埋めるのにはいいかもしれませんが、遠回りすぎるのもどうかと思いますので。

それと、掲示板等に寄せられた生の声が一番参考になる、と自分は思っていますので、むしろそちらをいろいろご覧になってみてはいかがでしょうか?
すみません。
ほかのトピでもコメントさせていただきましだが、

「幸せになるのが怖い」
というのがものすごくわかります。
周りの人に言うとだから不幸になるんだ、男運が悪いと言われます。
幸せが目の前にくると向きあうのが怖くて逃げます。
今までの付きあってた人との別れからが全部そうです。
私病気なのかなとも思ってました。
向きあうことができず、こちらで勝手に壁を作り、
連絡を取らなくなり、急に別れたい、もしくは自然消滅を狙う・・・
最悪ですね。。。

>「相手との相性も良くて、あれだけ愛されていたのに、どうして別れちゃったの?」と不思議がられた経験はありませんか?
そして今も自分で、「なぜ愛せなかったんだろう?」と思っていませんか?

まさに婚約者とはこれでした。
周りにも言われますし、自分でもそうですし、
とっても後悔しています。

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