ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

戦後保障と日本コミュの東京裁判の神話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「いのち」を考える立場から「いのちの風」という通信を全国に発信しています。 今回のテーマは韓国への贖罪意識を持つべきでないということです。 

戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判によって日本は気違いに刃物を持たせたものという神話が生まれました。 今フセインはアメリカではなくイラクが裁こうとしています。 裁判するなら日本でも日本人が裁けばよかったのです。 

もっとも東京裁判の数年後には戦犯釈放の嘆願書が日本人口の8割ほどの数も集まったとのこと。 またその後国会では戦犯の名誉回復宣言をしている。 日本国民は戦争犯罪人とは考えていなかった。 

戦後マルクス歴史史観が日本国民の目を覆ってしまって真実を知らせないようになったのが、反戦平和主義の蔓延につながっています。 気違いに刃物を持たすな、という神話が、軍備を持つのが常識の世界の中で堂々と論議されています。 

同じように目隠しさせられてニセの神話を信じさせられている日本の戦前の朝鮮統治時代のことを書きましたので、知らなかったという方はサヨク神話の夢から覚めてください。
   
      
           『「いのちの風」?411より』

(略)私の一番の親友は韓国人です。彼も以下の歴史的真実を理解していました。 ただ今の韓国人は、日本の妾のようになって裕福に暮らすより、李氏朝鮮のもとで奴隷のように暮らすことが民族的誇りだった、と思っているようです。 私は決して民族的偏見から以下の文章を通信に書いているのではないことは知ってください。

           天動説信じる人に目を廻されて

韓国の真実の歴史については台湾人評論家の黄文雄氏や多くの日韓の学者の研究書が山のように出回り始めています。 
比較的によくまとまっていた三好誠氏の著書「この目で見た北朝鮮」を中心に戦前の朝鮮の実情をまとめさせていただきます。 この本の後半部分には「日韓併合の軌跡」があります。 
1910年の日韓併合当時1331万人の朝鮮の人口が1942年には3064万人と2倍以上(日本や満州に移住した500万人は含まず)。 
また識字率は併合時10%だったのが1936年には65%と6倍以上に達している。 
この数字だけを見ても「日本統治が残虐極まりない圧政であった」とは信じ難いのです。 
我々は日韓のサヨク歴史学会に地動説でなく「天動説」を信じ込まされていたのではないか、と思いました。 欧米の歴史学会が日本善政説をとる理由は数字の面からもわかります。

           祖国よりわが身可愛さ山河荒れ

(略)他の外国人もこの国の治安の最悪さ、不衛生極まりなさ、流通の不合理などを共通にあげ指摘しているのは、民族が劣るのではなく結局国政の反映から来ているということです。

500年間もの李氏朝鮮時代には人口がほとんど増えなかったというような悪政が続きました。 そして最後の最後に閔妃が現れて最悪の政治をしてしまったのです。 

            伊藤より安が大事かマルキスト

当時の朝鮮の荒廃ぶりを見て伊藤博文は黙っておれないという感想を持っていました。 しかし彼は「朝鮮人は気難しく気位が高い。 こんな民族を併合したら火の中の栗を拾うことなる」と洩らしていました。 

また彼は自分の目の黒い内は韓国を併合しては ならない、とも語っていました。 日本の国家財政にとって大変なお荷物になると考えていたからです。

彼は明治政府の元老としてこの明治日本をつぶしては明治維新を築いた先輩たちに申し訳ないと考えていたのでしょう。 国際問題では大変に慎重な対応をしています。 

「眠れる獅子」大清帝国や、世界一の陸軍をもつロシアとの戦争には反対していました。 ロシアとの友好協商を結ぼうとして日露戦争につながる日英同盟締結にも反対しました。 彼が外遊している間に留守政府が締結してしまったのです。

彼をハルピン駅で暗殺した安重根は閔妃を殺した黒幕は伊藤というデマのウワサを信じて、それを暗殺の理由の第一にしていました。 日本の歴史教科書ではまるでこれは韓国教科書かと思うくらい、外国人犯罪者安重根を民族的英雄として説明しています。 

逆に伊藤は日韓併合を進めた犯罪者のように扱い、殺されて当然という書き方です。 日本の最高政治家が殺されたのにその悲劇が描かれず、殺した外国人を黙殺せずに逆に讃える歴史は、本当に日本人の歴史でしょうか。 

事実を正確に伝えず、歴史を子供たちの洗脳の道具にしているのがサヨクと日教組なのです。

              数字こそ真理を語る雄弁家

さらに日本の朝鮮統治時代の数字をご覧下さい。 

  【併合当初(1909年)〜独立直前(1942年)】

学校数 併合時 100以下 〜 1943年 5213校  52倍 
(ハングル文字は朝鮮支配階級がこれを軽蔑して普及していなかった。 日本の朝鮮総督府はハングルの辞書や教科書を作り、マスコミにもハングルを使うように指導した。 
そうして朝鮮は漢字文化からハングル文化へ飛躍的に変身した。 また京城(ソウル)帝国大学は大阪帝国大学より先に設立された)

中学生数 同 32,7倍(中学生は当時のエリートである)

電灯普及戸数   同 178,6倍
(併合当時は電灯普及は官庁や学校、病院、外人宅、民間会社などで一般家庭にはわずか。 一般家庭電灯の比較ではこのようなものではなくもっと膨大になる。 普及速度は戦後には日本本土を追い抜いた)

造林面積     同 54,2倍

林業生産     同 2,57倍
(朝鮮は暖房のオンドル用に木々を伐採して山々ははハゲ山だった。 日本は毎年1000万本を植林し続けた。 農民には農業以外に安定的な仕事と収入源となった)

米生産高     同 2,58倍
(日本の東北産の寒冷地米を北朝鮮に持っていき増産を高めた。 約3倍も増えたら人口も当然増加する。人口増加は民族繁栄の最大のバロメーターだ)

鉄道距離     同 約60倍(約6000キロ)
(全国に支線が張り巡らされて国民の利便を高めた)

工業生産 (1914年〜37年) 6,57倍

この数字を見れば世界の歴史学会が日本の朝鮮統治は善政であったと判断するのは当然です

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

戦後保障と日本 更新情報

戦後保障と日本のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング