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「いのちの風」通信コミュの?祖先の目を意識する/おがら

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いのちの風 ?515―その2 
平成19年8月22日(水)発信 大圓(だいえん)
 

今回のテーマ 

迎え火/先祖への感謝と絆/祖先の目を意識する/おがら/尊い命の散華


(その1からの続き)
  

亡き人を偲びて日々が生かされる

『家族が亡くなってからの49日までの法要もその後の法事も、亡くなった人との心のつながりに改めて目覚めさせるものでしょう。 それを見ている先祖の目を意識することが大事と思います。

8月15日は終戦記念日。 戦没者慰霊祭が行われる大阪護国神社に参りました。 戦争中に亡くなった人々は今この空の上で、自分たちがいのちを捧げたこの国がどれだけ立派になっているか、を見つめていると思います。 それが死者の目を意識するということです。 



ただ単に戦争反対の記念日にするのではなく、亡き人々がどんな思いで祖国と家族を思って死んでいかれたか、を思い起こす日です。 その目を意識するときに自分の人生はこれでいいのだろうかという反省の心が芽生えます。 

亡き人はその意味で私たちに向かって問いを、いつも投げかけていてくれる存在です。 決して死んでお墓の中でじっとしているのではないのです。 生きて私たちの中で働いてくれていると、そう思います。 



仏教伝来の前から、大昔から先祖が帰って来ると言い伝えられている特別の日があったはずです。 日本人は、人は死んでも山の上の特別の場所で暮らし、季節のときどきの日に下界に戻ってくると信じられていました。 そして祖先はその家族の誰かに生まれ変って戻ってくると信じられていました。 先祖との心の絆が結ばれていました。 


老人は近い将来に亡くなって神になる人。 幼児は神の世界から来て間がない人。 両方が神に近い存在として大切にされた。 今の唯物的な世界ではこのような見方ができない。 だから年寄りも子供も単なる弱者として保護の対象にされているだけ。

そんなヒューマニズムの視点から見ていては、弱者の方が強く見えて加害者のように誤解されたら、逆に反撃されて被害者に転落してしまう。 年寄りや子供への犯罪が多いのは神に近いという昔からの言い伝えが消えてきているからだ、と私は思うのですが。 霊的な視点で社会の現象を見ることが大切と今思っています。』


伝統がすたれて 祖国滅び行く

  今年もお盆に入る前に妹が、お盆のお供えの果物や野菜を買ってくれました。 その時に「『馬』としておがらで足をつけるのはキュウリですか、ウリですか」と聞くと、スーパーの店員はわからず、まわりの人に聞いたら、皆が「ウリ」だというのでウリを買ってきてくれました。 

「馬は軽くて足が速いから、お先祖さん、馬に乗って早く帰ってきてね」という意味で細いキュウリを使う。 『牛』になるナス、はゆっくり歩くので「ゆっくりして帰ってね。 別れるがつらい」という意味。しかし、もうこの伝統を知らない人ばかりになっている。 もうがっくりです。 


  先日も市場でレジ係に「おがら、ありますか」と聞くと「おがらを知らない」との返事。 そばに「麻から」と袋に入って売っていたのに。 もう日本の伝統がすたれつつある兆候が出ています。 団塊の世代の親もお盆の祭りも迎え火、送り火もしない。 当然その子も孫もしない。 

そして日本は日本でなくなっていく。 地球市民の方が日本国民より「かっこいい」という風潮です。

  フェミニストはジェンダーフリー思想で伝統を教えない教育が進歩的だと喧伝する。 祖国日本のアイデンティティのない根無し草の市民など、どの国も尊敬してくれない。 世界は祖国の伝統を尊重し、国歌と国旗に敬意を感じる人間を尊敬してくれる。 祖国の悪口をいい、伝統を知らないことを誇りに思う「地球市民」など軽蔑の対象でしかないのです。


(その3へ続く)


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