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佐藤可士和コミュの可士和さんのいう「本質」についての疑問

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はじめまして。東京で芸術について勉強をしています、&と申します。
今回は皆さんにご意見を伺いたくて、トピックを立ち上げました。

僕は個人的に、可士和さんのデザインは鋭くて好きなのですが、
彼が「(商品、ブランドの)本質」を表現しているようには、到底思えないんです。


まず、ステップワゴンとシフクノオトとフジ幼稚園のデザインコンセプトの違いがよく分かりません。去年のGood Design Presentationと、UNIQLOのUTGPも酷似しています。あと、国立新美術館とN703IDのフォントはstencilか否かの問題であって、基盤が一緒です。
ブランディング、もしくは広告に於いて、製作者がもしその商品の「本質」を突き詰めているのなら、他の商品とイメージ、ヴィジュアルが被るということはあり得ないと思うんです。

可士和さんのデザインは、ただ人の目を引くような「インパクト」を持った物であって(ただと言ってもそれは凄いことなんですが)、「本質を表現した」物ではないのではないでしょうか。彼の言う「本質」云々は、大貫さんのウケウリにしか思えないんです。


皆さんはこの点について、どうお考えでしょうか。

コメント(34)

インパクト。
まさにそれが彼の才能、意図してるものです。
人間工学に基づいた洗練されたデザインは、他の地味な人々がやってます。
インパクト、個性があるからクリエイターとして、おいしい仕事が舞い込むし、埋没せず、かなりのネームバリューがありますよね。
彼はデザインというより、インパクト狙いです。
それは簡単そうで、極めて難しいんですが(笑)。
実績と結果が重要な世界で、信頼を勝ち得てますし(^-^)v
可士和さんの「本質を掴む」というのは”何が問題なのか”という点を見つけ出すこと。
よく可士和さんは自身の仕事を「医者」に例えています。
医者というのは患者の症状を見て”何が原因でこの症状が起こっているのか”を見つけ治療することが仕事です。
原因が同じなら同じ治療法を取りますし、違う原因であってもさまざまな理由から似たような治療法を取ることがあるでしょう。
つまり、本質を掴むというのはロジックの部分なわけですよ。ヴィジュアル表現が似るということはロジックの部分に似たところがあったということなのではないでしょうか。
と、私は考えているのですが。
デザインってクライアントの思いを形にするってのがまず前提にあって、デザインの好みもデザイナーそれぞれ持ってると思うんですよ。
違いはない。たしかにそう思うところはあります。
が、デザイナーはアーティストとはちがい自分の個性だけだせばいいのではなく、消費者のことまで考えてデザインなり提案をしていかなければならない。
だから、矛盾が多少あれど、佐藤可士和氏のデザインが世の中に認められて、それで、結果としてブランディングなり売り上げが上がるのであれば、広告のデザインとしては成功していると思います。
デザインでお金をもらうということはなにより結果が大事で似てようと似ていまいとそれがクライアントの意向とあって結果でていればいいわけなので、毎回違うデザインをして個性をだせばいいだけならデザイナーなどせずにアーティストになって作品発表していればいいわけで。
だから違いがないってそれほど大きな問題ではないと思います。
可士和さんのデザインは好きです(^O^)/

新しいジャンルに次々と飛び込んでいく姿勢も尊敬してます。
それに僕は可士和さんでもアートディレクターでもなく、コピーライターになる人間ですので、こんなことしか言えませんが「広告は、いくらインパクトがあっても商品が売れなくては意味がないもの」だと思います。

最近読んだ、「ある広告人の告白」というアメリカの広告会社の社長さんの本にも書いてありました(^-^)/

逆に、&さんがそのように思えるならば、&さん自身が新しい、更に洗練されし道を見つけられるんじゃないですかね?
あくまで私的見解ですけども(^-^)/
「本質」とは、イメージ付けという足し算をした後、余分なものを
削ぎ落とすという引き算をした結果、見えてくるもの。

おのずとシンプルになるので、比べると似てくるのは当然です。

似て非なるものをデザインするのも、難しいことと思います。

今の世の中は、余分なものが多いので、シンプルなものの方が目立
つのでしょう。

シンプルに差別化しているのが可士和さんのデザインだと思います。
そうですね〜、彼の「直線」に対する「潔さ」に基づくコンセプトには若干、食傷気味ではありますが・・・あせあせ

ただ悔しいかな、いずれも「商品が売れた」「企業ブランディングが成功した」という素晴らしい結果が出ているので、彼は彼の責務を十二分にマットウできているのではないでしょうか?

彼は「広告」を作っているのであって、芸術活動を行っているワケではありませんから、もしかすると佐藤可士和氏を芸術という観点から論するのは難しい(=もしくは無理がある)のかもしれません・・ダッシュ(走り出す様)

ikkoさんと重複してスミマセン。。。
僭越ながら、&さんが挙げている例から考えますと、「本質」と「スタイル」が混同している様に思います。

可士和さんがおっしゃっている「本質」っていうのは、ステップワゴンで言えば
「週末に家族で楽しむ」って事で、フジ幼稚園は「子供達が楽しむ場所」って事になって、「(子供が)楽しむ」ってあたりが同じだから、デザイン要素の一つである「スタイル」が似ているんじゃないですか?
でも、あるキーワードに対する「スタイル」ってデザイナーによって違いますから、同じ「楽しむ」っていうキーワードに対して他のデザイナーさんは違う解答を出してくるでしょう。ただその広告なり、商品なりを一般の人が見た時にその楽しさを感じて、商品に魅力を感じることが重要ですよね?そして、そこで難しいのが「本質」である「楽しさ」って言葉が導きだせるかどうかって事だと思います。

結局、スタイルは「本質」を伝える手段の一つであって、もし世の中の広告がステップワゴンの広告と同じスタイルの広告ばかりが溢れていたら、(そんな事は無いですけど、)可士和さんはインパクトを出す為に違ったスタイルで本質である「楽しさ」を表現していたんじゃないかと思います。
皆さん、ご意見ありがとうございます。
もしかすると、「僕が芸術をやっている人間(=アーティスト)であるということ」が引っかかってしまっているんじゃないかなと思いました。芸術といっても、僕は演劇をやっている人間なんですが、同時に公演フライヤー(自分の公演だけではなく)の製作もしています。演劇をやっている時と、デザインをしている時は、全く違う回路で仕事をしていますので、「所詮芸術家には分からない」というご意見は誤解です。

アーティストとデザイナーの違いを、僕は自己表現か、他者表現かの差だと考えています。その上で、僕は、可士和さんのデザインが、「他者表現」になりきれていないんではないかと思うんです。ちなみに、皆さんの言う、結果論=「クライアントの満足」と「売り上げの向上」は、勿論広告の最低条件、ひいては存在意義ですから、有って当たり前だと思います。僕がここで問題提起しているのは、果たして「可士和さんが『本質』を表現しているのかどうか」です。
確か、プロフェッショナルという番組で可士和さんが「解決の糸口は必ずクライアントにある」というようなことを仰っていたんですが、最終的にカタチになって出てくるものが似通っていると、「結局表面に出てくる物は本質ではなく、可士和さんが+αしたものじゃないか」と思ってしまうんです。

「スタイル」という問題ですが、kenさん他、皆さんの意見を統合した結果、かなり納得してしまいました。僕は可士和さんのデザインを見る上で、大貫卓也さんの方法論をかなり重要視していました。可士和さんが、大貫さんの下で仕事をしていて、かなり影響を受けているということも知っていたので、可士和さんと大貫さんの方法論(もしくは彼らの言う「本質」というもの)を同一視してしまっていたんです。多分それは違いますね。おかげで謎が解けました。ありがとうございます。
本質ってなんなんですかね?
答えは一つではないと思います。
人それぞれこれが本質だと言えばそれはそのものの一つの側面に間違いはないと思う。
佐藤氏が本質を見抜けているか?
にかいたことからいえば見抜けているということでしょう。ただこの問題に関しては答えはないと思います。
一人一人視点が違うように答えもそれだけあるという事ですからね。
難しいですね。
全くの素人考えではありますが…

何の広告かがガツンと伝わってくる、
のは『本質を表現している』ことにはならないですかね?
勿論伝わらないのはプロ失格じゃないかとも思うのですが
インパクトだけで結局今の広告って何?
と思うものも多いですよね

また、今までにない斬新な提案をしていくことも
特にトップクラスの方にこそ続けていただきたいわけですが
今までの"カラー"とは全くの別モノを
クライアントは求めるのでしょうか

佐藤氏クラスのデザイナーは一握りとはいえ1人ではないわけで
選ぶ決め手は"カラー"もあると思うのです
(色々な兼ね合いもあるでしょうが)

イメージが被るなぁとは私も感じますが
そういう理由もあるのかな?
なんて、まぁ、想像してみたりします


長文失礼しました。。
>ブランディング、もしくは広告に於いて、製作者がもしその商品の「本質」を突き詰め
>ているのなら、他の商品とイメージ、ヴィジュアルが被るということはあり得ないと思
>うんです。

コンセプトと成果物(ロゴや広告など)は、概念と実体の関係があるので、異なる概念であっても実体は類似しているというのは良くあります。

依頼主(企業)と製作者(デザイナー)が本質を突き詰めているのであれば、おっしゃるとおり実体は被らないと思います。
しかし、商品やサービスのブランドを考慮し価値を高めようとするなら、本質を突き詰める作業だけでは終わりません。

そして強烈な個性の佐藤可士和氏を起用した時点で、ブランドの一部に可士和色が組み込まれるということは企業側も承知な筈。

そこには、結果的に類似した実体があってもそれは違うジャンル内/マーケットに位置してますし、一方、同ジャンルでは明確に識別できるので問題ないという論理があると思います。

ステップワゴンと幼稚園は競合しないけど、日産がミニバンでやっちゃうとバッティングしちゃう、という感じでしょうか。
デザイナーがクライアントの意向をかたちにするにあたって、
自我を捨てる(&さんのいうところの他者表現)ことを心がけ
ることがあります。

自我を捨てたつもりでも、出来上がったものを並べてみると、
やはり一つの統一感と言うか、似た部分が出てきます。

それがデザイナーの個性なんだと思います。

これは最初から出そうと思って、つくった個性とは異なり、
本当の意味での個性だと思います。

つくった個性は他人から見たら気持ち悪い要素もあります。

自我を捨てることで、広く一般に受け入れられやすくなる
と思います。
昨日から参加した人間が言うのも烏滸がましいですがあせあせ(飛び散る汗)
コマーシャルは売れてナンボですたらーっ(汗)
暫くコマーシャルの世界で写真撮らせて貰いましたが、地方では10年やそこらで名指しで仕事は貰えませんあせあせ(飛び散る汗)
個性を出した分だけ仕事は減りますバッド(下向き矢印)
感性の遭う(ホント遭遇)クライアントに廻り合えたらラッキーですよ手(チョキ)
自分の感性≠他人の感性です。
斬新はリスクと表裏一体です。
サンプルを評価して貰っただけでラッキーですバッド(下向き矢印)
コマーシャルは狭くて深い世界ですね。
カメラマンしてたから少しコメしました。
佐藤可士和さんが‘本質’ってものを理解しているかどうかとか、違いが分からないとかではなくて、その広告本体を見て私達がどう思ったのかが全てだと思います
先般、ラッキーにも取材で佐藤可士和さんにお会いすることが出来たのですが、
「何処に軸を置くかによって、プライオリティーが変動する」
全ては軸を何処におくのかが重要であると、ご本人がおっしゃっていました。
それは仕事上だけではなく、プライベートも含めての意味でした。

だから、彼の仕事をこなすスピードは、通常のアートディレクターより、
迅速だと思います。軸がブレてないということです。

後は、彼自身が今やブランドになってしまっているので、
多少飽和的な印象のデザインといっても、それは彼のスタイルであると思います。
決して、妥協したり手抜きしたりして、
にたりよったりの作品を創造しているとは思えません。

そして、確かに本質が分からないのは、
受取手の感性によるところも大きいと思います。

クライアントのニーズに求められているものを単純に創造しても、
それは二番煎じだと思います。
クライアントの希望をヒアリングして、
その本質を汲み取り、戦略(=軸)を極めて提案していけば、
結構な確立で良い結果が生まれると、経験上思います。

100%を要求されたら、それ以上の結果を出して、
クライアントの期待以上の期待に応え、
彼自身のブランディングを確立していったんだと思います。
もちろん奥様の悦子様の内助の功も多大なる影響があると思いますが…。

お話を伺った印象だと、無邪気で好奇心旺盛なパワフルな方だと思いました。
そしてとても気さくな方で、ガチガチに緊張していたのですが、なんとなく取材後半はエネルギーをいただいた気がしました。霧が晴れるようなそんな感じです。

彼は、状況の変化に適応できる素晴らしい柔軟性と順応力をお持ちなんだと思いました。

とてもおもしろいですね。
私は10年デザインの仕事をしています。その前はアーティストとしての写真を学んでいました。
そしてすごくその違いも考えて来ました。考えざるを得なかったと言うか。。。

>アーティストとデザイナーの違いを、僕は自己表現か、他者表現かの差

アーティストはそうだと思います。
デザイナーは違うと思います。
デザイナーの位置づけを「他者表現」とするならば「オペレーター」という事だと思います。

クライアントの望むように。
もしくは商品がもつ「本質」をなぞる。

それではオペレーターという名でじゅうぶんです。
そしてそういう事をすることをデザイナーと思ってるクライアントがとても多いからこそ、名もないデザイナーはホントは違うものを見たがっているだろう消費者との狭間で苦しんで仕事をしています。

そこを突き破って仕事をされている可士和さんや大貫さんや有名なデザイナーがいる。
「クライアント(商品)と消費者を結ぶ。」それがデザイナーの本当の仕事です。
そしてそれを完全にやり遂げたものが有名になり、自分が結び目となる仕事ができるようになるのです。

いいクライアントは私たちが服を選ぶようにデザイナーを選んでいます。
可士和さんを選んだのにまったく違う原研哉さんみたいなデザインがでてきたら(それはそれですごいですけど)ちょっとびっくりします。

確かに似通いすぎて「あら」と思う事もありますが、それは可士和さんカラーという事で。
そろそろおもしろい展開がこないかなーと心待ちにしています。
はじめまして。コメントでは、少し結果にこだわりすぎているように思います。

私はデザインのことはまったくわからないドシロートですが、
モノの価値について今よく考えていて、それは本来は「絶対価値」じゃないかと思っています。

一人の人から生まれるデザインがどことなく似ている、あるいはそこでの特長がひとつの同じような個性(直線的など)を持ってしまうのは、それがその人の好きな表現技法だからではないでしょうか。

一人のアーティストが似たテイストの曲を生んでしまうのと同じだと思います。

可志和さんは、私も好きな人物の一人なのですが、それは彼なりにいつもものの「絶対価値」を追求してそれにまつわるデザインをつくろうとしているように思えるからです。

たとえば、世の中にこのデザインはもうたくさんある、だからこれは選ばないでおこうと考えるのは「相対価値」からのデザインだと思います。

それは、珍しいものをつくるために珍しいデザインを探すことであって、そうした気持ちからのデザインはたぶん「新しいもの」を生むかもしれません。
でもそのときのデザインの根拠は、主に珍しさになります。

これは私の考え方ですが、ものもデザインも人が介在したら珍しくなくてもほぼ無条件に「絶対価値」を生むと思います。

それは、我が家が、新しく同じ建造物を建てても、そこに暮らす家族がいなければ絶対に人工的には我が家にはならないということで・・・。
また、古臭い携帯でも、持ち主のなくなったあと、遺族にとっては値段には換えられない大切な遺品になるのと似ています。

でも、ものはあわれなことにいつもそれ自体で完結できるような気がしていて。
そして、現代の人もまたそっちに傾いているように思えます。
だから、ものの「相対価値」がたしかさを増しどんどん消費されていくだけで。

可志和さんの考え方が私と同じかどうかはわからないけど、彼の中でUNIQLOと幼稚園と今治プロジェクトのデザインは、全く別の「絶対価値」にもとづいて構想したものだと思います。
可志和さんの話には、デザインの背景にいて、デザインのスピードやトーンや実用性に関わる人の存在がいつもあります。

デザイン(彼自身のものも含めて)の山のなかで較べられることは仕方ないとしても、較べることにはあまり意味はないと思います。

「本質」を大小さまざまな要素からつくられる「絶対価値」だとすると、ミキサーにとりあえずそれをくまなく放りこんでいること、そして放り込んだことを言葉で説明できること、最後に一杯のジュースにして飲める形で他人に供せることが、可志和さんの非凡な才能なのではないかと思います。

ぜんぶ私の個人的なはなしなんですが。



本質を表現する際に作品に個性がでてしまうのは仕方ないことじゃないでしょうか?
特に、本質を突き詰めるほどその商品・ブランドのコンセプトは抽象的になるため、そのコンセプトに沿って作るぞってなったときは、やっぱり作者の個性がなくては表現できないですよね。
そしてできた作品の共通性こそが佐藤可士和のアイデンティティであり、デザイナーである所以なんだろうと思います。
関係のない話を一つ…。
昔、広告学校での講義のあと、可士和さんと受講生で
居酒屋に行ったことがありました。
そのとき、運良く隣に座れたので色々聞いてみたのですが、
「町医者のようにクライアントの問題を解決する」
「いろんな思考錯誤の中で苦しみながらクリエイティブを生み出している」
「答えは1つじゃないから、それが当たるのか外れるのかは結果を見るしかない」
というお話をしていただいた記憶があります。
自分たちとそれほど変わらないんだな、と思い、妙に安心したのを覚えています。

デザインもディレクションも、一つとして同じロジックで
解決する案件はありません。
細かい検証に検証を重ね、最終的に出てきたクリエイティブが
都度結果をしっかり出せているというのは、
一人のディレクターとしてすばらしいことだと思います。

可士和ブランドが一人歩きし始めて久しいですが、
ご本人はボクらと変わらず、毎日悩みながら制作をしているんだとおもいますよ。

興味があったので、僭越ながら書き込ませていただきます。

佐藤さんの言う、本質とは、問題解決の事だとおもいます。
表現とは違う軸です。

多くの人は、特に学生さんはみえているものでのみ評価する傾向があります。
大事なのは、ポスターではみえづらい部分だと思うんですね。

私はグラフィックデザイナーですが、グラフィックだけでモノが売れるわけがないとおもっています。売れるためには、いろいろやる事があります。なので、ワークショップをやったり、コミュニケーションとったりするんですね。成果をあげよう、例えば「ちゃんと売れるもの」をデザインするときは、ヒアリングに時間を書けるんじゃないでしょうか。私もそうゆうときは10時間以上のヒアリングをしたりします。

佐藤さんの「超整理術」を読んで感じた事は、
情報生産をしっかりやっていることと、問題解決の視点でデザインをしている、という事です。問題対処と問題解決はちがうと思うんですが、多くのデザインは、問題までは認識しても、じゃあグラフィックはこうしようという対処しかできなかった。そこを、佐藤さんは問題をヒアリングし、みえづらい案件を定量分析して、物事が動く道理、人の心理など因果関係を考慮して設計し、「解決」までもっていくわけです。この手法は従来の絵が得意系のデザイナーにはなかなか理解できない部分だと思います。優れたコンサルの仕事に近いんじゃないでしょうか。なので、成果が出しやすい。

単体のアプリケーションだけでなく、領域複合的なトータルデザインが求められる近年では、佐藤さんを「デザイナー/アートディレクター」というくくりにしないほうがいいかもしれません。たぶん、「さとうかしわ」という職業なんだとおもいます。

これからも佐藤さんの動向が気になりますね。
ありがとうございました。
hexa(坂本)さんのいう
問題対処ではなく
問題解決だというのは、
言い得て妙な
本当にいい表現だと思います

佐藤さんのいう「本質」の表現というのは
デザイン専門家の表現枠を超えてしまってるわけで
超整理術にかかれている内容も
すでにデザイナーの枠を超えています

いわば自分は本当は何者で
何をやりたいか 
そして夢を実現するためには
どう現実化させていくかの
ハウツー本みたいな感じになってしまっています

佐藤さんの「佐藤可士和のクリエイティブシンキング」
に以下のようなくだりがあります

「何かを追求し続けて究めると
どこかである一線を突き抜ける事ができ
今までみえなかった本質の世界がみえてくる」

クリエイティブを追求して
やはりご本人も突き抜けたのでしょうね
デザインの枠だけでモノを考えられなくなってしまった

というか
世の中という全体を俯瞰して
クリエイティブの仕事をしている
自分を眺めるうちに
クライアントに間に合わせで対処するのではなく
本当の意味での問題解決が
佐藤さんのいう本質なのかなぁと
思います

真理に目覚め、世の人に
自分を通じて道を示していく人の
もとには多くの共感者が増え
ますます本人も豊かになっていく

これがクリエイター
「さとうかしわ」という職業なのでしょう








拓海さん

ありがとうございます。

>真理に目覚め、世の人に
>自分を通じて道を示していく人の
>もとには多くの共感者が増え
>ますます本人も豊かになっていく
そうですね。
佐藤さんがもっと有名になって、
デザインと問題解決を結びつけた実績とあげてくれると、
デザイナーに権限が与えられるきっかけになるのではと思います。
そうすると、ジャチェック・ウツコのような事例が、
日本各地で起きてくると期待しています。
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/jacek_utko_asks_can_design_save_the_newspaper.html

経済産業省の掲げる「感性価値創造」というデザイン施策も、
より現実的なものとなるとおもいます。
http://www.meti.go.jp/press/20070522001/20070522001.htm

私のような地方のデザイナーや、
これからの活躍が期待される若手デザイナー。
さらに未来を担う学生達に求められるのは、
自分の世界で絵を作って行く事だけではなく、
デザイナーという職業を今一度「疑う」ことかもしれません。

ありがとうございました。
海外にも佐藤可士和さんのような方がいるのですね
驚きました

確かにジャチェック・ウツコや
佐藤可士和さんは素晴らしいですが
果たして多くの人が佐藤可士和さんのようになれるかというと
ちょっと考え込んでしまいます

佐藤さんのインタビューとか著作をみると
どっちかというとそんな絵が得意ではなかった
けれど「こうこうだからこうなんだ」と
自分の内面をきちんと説明する事は出来た
と言っておられるように、
まず自分の得意、好きがあって
今のアートディレクターというジャンルを
自分に合わせてクリエイトしてしまった感があります

佐藤さんの言葉で
「本当に好きな事は、自分で求めてこそ楽しい」
というのがあります
佐藤さんは結果を出して、素晴らしいとは思いますが
その手法が他のデザイナーにもそのまま
あてはまるかと疑問符がつきます

佐藤さんは本質というものは
クライアントの数だけあると言われていますが
そのクライアントの本質に至る手法もデザイナーの数だけ
あるのではないのでしょうか

おそらく佐藤可士和さんも自分のやり方で
クライアントの本質を表現して欲しいと思っては
いないと思います

デザインで本質を表現できるというメッセージの他に
一人一人が本質に至る道を自分を軸に追求して欲しいという
メッセージを発しているように
自分には思えるのです










拓海さん

あくまで私の意見なので、
適当に読んでいただけたらとおもいます。

>そのクライアントの本質に至る手法もデザイナーの数だけ
>あるのではないのでしょうか
本質に迫る・・・つまり、情報生産と問題解決の方法という事になるのですが、それぞれ自分にあったものを模索する必要があるとおもいます。例えばフレームワークを効果的に使う事も必要だとおもいます。

知的生産力が劇的に高まる最強フレームワーク100
http://xfs.jp/WEETb

また、「本質に迫る」という事を普段の業務の中でどのようにして活かすか、というところには知恵が必要です。多くのデザイナーがクライアントワークに追われ、本質に迫ったデザインができるような環境でない事も事実だとおもいます。

海外は問題解決にもとづく「デザイン」は、日本より遥かに進んでいる印象です。
日本のデザインには、まだまだ伸びしろと可能性があるという事でしょう。

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