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ナチス・ドイツ空軍コミュの88mm高射砲18・36・37型

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 88mm高射砲(8.8cm Flugabwehrkanone)は第三帝國の主力高射砲ですが、本来の対空戦闘任務以外にも、対戦車戦闘や陣地攻撃にも威力を発揮した優秀な牽引砲です。独特な発射音から、連合軍将兵は“eighty-eight”と呼んで恐れ、ドイツ軍将兵はその音を聞くと“Acht-Acht(88;アハトアハト)”と沸いたと言われます。
 第一次世界大戦(1914〜18)中に航空機の技術は大幅な発展を遂げ、以前と比較すると遥かに高高度を飛び、速度も向上しました。そのため各国では対空兵器も大幅な能力の向上を求められることとなり、プロイセン王国陸軍でも新型対空砲の開発が進められ、77mm・80mm・88mm・105mmの高射砲が実戦配備されました。
 特に1917年にクルップ社及びエーアハルト(後のラインメタル)社によって開発された口径88mmのKw FlaKは後世の高射砲のスタイルの原型となったもので、水平スライド式の尾栓で自動排莢と全周旋回可能な十字型砲架を持ち、水平射撃も可能でした。
 しかし1919年に調印されたヴェルサイユ条約の軍備制限条項によって、ヴァイマール共和国は高射砲の自国生産や新規開発を禁止されてしまいます。このためクルップ社は1921年に同社が株主になっていたスウェーデンの兵器メーカーたるボフォース社と交渉し、クルップ設計砲をボフォース社の名で販売する見返りとして少数精鋭の設計チームを送り込み、極秘のうちに新型対空砲の開発を行いました。
 ヴァイマール共和国のオットー=ゲスラー国防相は1922年迄にベルリンのコッホ&キンツェル社を通じて秘密裏に資金援助を行ないました。
 この結果、1930年に75mm高射砲(7.5cm FlaKL/60)が完成し、1933年にボフォース社から大英帝国・スペイン共和国・南米諸国に売却されました。1939年にはドイツ海軍もこの砲を輸入して沿岸防衛用に配備しています。
 一方、1928年に国防相に就任したヴィルヘルム=グレーナー陸軍中将は、近い将来大きく進歩するであろう重爆撃機からドイツを守るためには、更に威力のある重高射砲の開発が必要だと考え、国防省陸軍兵器局長マックス=ルードヴィヒ中将は105mm砲の採用を検討します。しかし、105mm砲弾は重量15kgに達し、手動装填には重過ぎる事が明白であり、他方、自動装填機構は実戦部隊から煩雑さを厭われていたため、クルップ/ボフォース社高射砲開発チームは、砲弾重量が9kg程度で手動装填に適した88mm砲の採用を提案、これが採用される事となりました。1931年にクルップ本社に戻ったチームは75mm高射砲をベースに試作を行ない、1932年には大量生産体制が整ったため、パーペン男爵内閣の国防相クルト=フォン=シュライヒャー陸軍歩兵大将は制式化を決定したのです。これが88mm高射砲18型(8.8cmFlaK18)です。
 FlaK18とは1918年に生産開始、もしくは部隊配備した高射砲を意味しますが、これはヴェルサイユ条約で新規開発と保有が禁じられていた兵器であったため、この砲は第一次大戦中に既に生産されストックされていたのだと言う欺瞞工作として命名されたものです。
⦅写真左⦆

 88mm高射砲18型の要目は以下の通りです。
・砲身長 4930mm
・重量 5150kg
・初速 820〜840m/毎秒
・発射速度 15〜20発/分
・最大対空射程 10600m
・最大水平射程 20000m
・射角 360°
・俯仰角 −3〜+85° 

 1933年1月にヒトラー内閣が成立すると、88mm高射砲18型は大量生産に入り、各種の実験と並行して防空訓練に多用されました。
 88mm高射砲18型の優秀さは、820〜840m/毎秒の高初速に加え、特に15〜20発/分と言う発射速度にありました。これは当時の他国の標準的発射速度に比べれば、倍の速度であり、実戦で大きな戦果が期待出来ました。
 しかし、これは反面、薬室から発射された砲弾が砲身内筒の施条(ライフリング)に添って銅の砲弾バンドを削りながら施転して砲口に向かう際、特に砲尾に近い部分で激しい磨耗を引き起こし、砲身寿命が早く尽きてしまう現象を齎し、900発発射すると砲身交換が必要となる事が判明したのです。敵の猛空襲が続いたら毎日砲身を取り替える必要がある事になってしまいます。
 ところが、当時の国防相ブロンベルク陸軍上級大将や陸軍総司令官フリッチュ砲兵大将は「次の戦争は短期に終了する」と想定していて、交換用砲身の大量ストックを行なおうとしませんでした。
 しかし、余りにも短い砲身寿命は現場で大きく問題視される事になったため、ラインメタル社に対策研究が要請される事となったのです。
 そこで、ラインメタル社は、従来の一体型砲身を改め、砲身をニ分割・内筒を三分割する構造にして前後を中間リングによって接続、磨耗した内筒部分のみを戦場でも容易に交換出来るようにし、磨耗度が高い砲尾部分のみを大量備蓄しておく方式を提案、国防省陸軍兵器局長クルト=リーゼ歩兵大将はこの案を採用します。
 三分割方式は砲身構造の複雑化を招き、却ってコスト高になってしまいましたが、大戦勃発前は予算や資材に余裕があったため、大量生産が開始されました。
 なお、1935年3月のヒトラー総統による再軍備宣言に伴い、空軍が陸軍から分離し、高射砲部隊は空軍の管轄に移されますが、高射砲の開発・生産は引き続き国防省陸軍兵器局が担当する事となりました。
 こうした状況下の1936年7月にスペイン内戦が勃発すると、ヒトラー総統は同年9月、フランコ軍を支援するためフーゴ=フォン=シュペルレ空軍少将を軍団長とするコンドル軍団をスペインに送りますが、88mm高射砲18型を装備した高射砲中隊もこれに参加しました。
 コンドル軍団はスペイン内戦を通じて計335機の敵機を撃墜していますが、うち58機が対空砲火によるもので、その大半は88mm高射砲の戦果でした。88mm高射砲は極めて優秀な対空火器である事が証明されたのです。
 スペイン内戦序盤では、ドイツ陸軍が投入した軽戦車であるI号戦車やII号戦車が、共和国軍の装備するソ連製T26軽歩兵戦車やBT5型中戦車に全く通用しなかったため、大口径砲を持つ高射砲中隊にも対戦車戦闘への参加が求められましたが、88mm高射砲18型では鉄鋼弾が発射出来なかったため。地対地戦闘では充分な戦果を挙げる事が出来ませんでした。また、射撃に際してトレーラーから砲を外す必要があったため、敵の奇襲に対して即応出来ないと言う大きな問題点も明らかになったのです。
 さて、三分割砲身の方ですが、これは中間リング接続部が高圧の発射ガスによるガス漏れを起こす問題が顕在化したため、内筒部も砲身と同じくニ分割方式に改める大幅な設計変更を余儀無くされ、その際にはスペイン内戦の戦訓が取り入れられました。
 こうして1936年末にクルップ社によって設計されたのが88mm高射砲36型(8.8cmFlaK36)です。
⦅写真中⦆

 18型との要目の違いは、重量が5150kg(固定砲架型は3710kg)に減少した点、及び砲身寿命が2000〜2500発分になった外、トレーラーを砲の前後に関係なく取り付ける事が出来るようになりました。この結果、移動が迅速になったのみならず、トレーラーを外さなくても発射が可能となりました。さらに、発射方向の切り替えを電源で行う事が出来るようになったため、即応力が大きく向上しています。
 36型は1938年初頭から大量生産体制に入り、対戦車戦闘に有効な鉄鋼弾の配備も始まりました。鉄鋼弾は勿論8.8cmFlaK18でも使用可能でした。
 同年2月、スペインでは、世界史上空前の戦車戦となったテルエルの戦が起こります。この際、共和国軍のソ連製T26軽歩兵戦車やBT5型中戦車がフランコ軍や独伊軍の軽戦車を蹴散らして突進、フランコ軍は戦線崩壊の危機を迎えましたが、満を持して待機していた88mm高射砲36型の発射する鉄鋼弾は敵戦車の装甲をボール紙のように易々と打ち抜き、120両もの敵戦車部隊を壊滅させる事に成功、88mm高射砲は対戦車戦闘にも極めて有効である事が証明されたのです。また野砲としても活用され、スペイン内戦中の88mm高射砲の任務の93%は対地戦闘でした。
 この時の経験により、対戦車戦闘向きな直接照準器や、強力なタングステン芯を用いる特殊徹甲弾も開発、配備される事になりました。
 1940年5月の西方戦役において、ドイツ陸軍はイギリス軍のマチルダII歩兵戦車やフランス軍のシャールB1といった重装甲の戦車に苦戦を強いられました。特にロンメル少将麾下の第7装甲師団はアラスにおいて英軍戦車部隊の奇襲を受け、III号戦車・IV戦車・37mm対戦車砲ではマチルダIIの装甲を打ち抜けなかったため、戦線崩壊の危機に晒されました。しかし、ロンメル少将は空軍野戦高射砲中隊の8.8cmFlaK18を活用して敵戦車を撃破、戦線維持に成功しています。約1500m先の100mm以上の装甲板を貫徹する能力を有する88mm砲は当時の世界に類例の無い強力な兵器だったのです。
 続いて、1941年4月13日、ロンメル中将麾下のドイツ・アフリカ軍団がエジプト西部の港町ソルームを攻略した際には8.8cmFlak18が英駆逐艦を大破させて撃退し、6月15日に開始された英軍のバトルアクス作戦をアフリカ軍団が邀撃したハルファヤ峠の会戦でも第104狙撃兵連隊第1大隊長ヴィルヘルム=バッハ陸軍大尉麾下の僅か4門の8.8cmFlak18が前面装甲78mmのマチルダII歩兵戦車58輌を2000m以上の距離から撃破して英第4機甲旅団を壊滅させる大戦果を挙げています。以後、英軍はハルファヤ峠を“Hellfire Pass”(地獄の業火峠)、マンハイム福音教会牧師だったバッハ大尉を「業火の牧師」と呼ぶようになりました。この大戦果は砂漠特有の陽炎のため、遠くで砲身だけを出して構えている敵砲が見えづらいのと同時に、当時のイギリス戦車の搭載砲が対戦車用の徹甲弾しか撃てず、軟目標に対して効果のある榴弾が撃てなかったのも原因でした。
 この間、砲身命数を伸ばす大きな技術改良がありました。即ち、ニトロセルローズの溶剤であるジグリコールを装薬に添加する弾薬と、銅の砲身バンドが資材不足により焼結鋼バンドに変えられた結果、砲身命数が10000発まで伸びる事になったのです。このため複雑なニ分割砲身を用いる必要は無くなり、単肉砲身に戻した8.8cmFlaK37が制式化、1941年から量産体制に入る事となりました。37型では、観測点から砲へデータを送る機械式アナログコンピュータというべき装置「コマンドゲレーテ」が装備され、信管調整装置も新型になっており、構造の単純化と操作の迅速性が実現した優れた兵器でした。36型と同様、砲身にソケットが装着されていますが、形状が異なります。
⦅写真右⦆

 ところが、既に工場の工作機械は分割砲身の8.8cmFlaK36製造用に転換されていたため、一体型砲身の8.8cmFlaK37は戦時用の簡易な大量生産が行なえず、36型の方が多数配備される事になったのです。
 この結果、主に多種目標を相手にする野戦用として36型が、固定陣地での防空任務専用として37型が用いられました。なお、18型・36型・37型の砲身はそれぞれに互換性があり、古い砲架に新型の砲身、またはその逆で使用されている例が確認出来、外見だけで型式を判別する事が難しくなっています。
 1941年6月22日、バルバロッサ作戦が発動されて対ソ戦が開始されると、88mm高射砲は重装甲のKV重戦車やT34中戦車を正面から撃破出来る唯一の地上兵器として一層重要性を増す事になります。T34は75mm傾斜装甲を前面に持っていましたが、88mm高射砲はこれを1500mの距離でぶち抜く事が出来たのです。側面なら2000m以上の距離で撃破可能でした。
 こうした状況下、88mm砲が全て空軍の管轄に置かれている事への不満が増大して、陸軍への供給も行なわれる事となりました。これは独立重対戦車(戦車駆逐)中隊として配備され、歩兵師団の管轄下にあったものは少なく、装甲師団に編入されるのが基本でした。但し、帝國議会議長兼航空大臣兼空軍総司令官ゲーリング国家元帥は全ての高射砲を空軍の管轄にする事に拘ったため、陸軍配備の88mm砲は全て対戦車砲という扱いを受け、対空射撃に必要な指揮標定装置や時限信管付対空榴弾は持たされていませんでした。結局88mm高射砲は生産数の四分の三が空軍に配備されています。
 88mm高射砲は、その高い装甲貫徹能力から、当然戦車砲としても注目される事となり、同砲を基に改造された戦車砲を搭載したティーガーI戦車が1942年に配備されています。
 東部戦線の戦況が悪化すると、後退中の空軍野戦高射砲部隊に対し、陸軍や武装親衛隊の将校が、本来は対空任務である事を主張しその場を去ろうとする空軍将校に銃を突きつけてまで対戦車戦闘を強要、結果かなりの戦果を挙げて戦線崩壊の危機を救ったケースが幾つか記録されています。中には味方のティーガーIまで誤射、撃破してしまった例もありますが…。
 こうして88mm高射砲は終戦まで各戦線で大活躍し、第二次世界大戦中に各国で用いられた火砲の中で最優秀と言われる事になったのです。
 なお、日本軍は1937年に中華民国で鹵獲した88mm砲をデッドコピーして九九式八糎高射砲として採用していますが、これは同じクルップ社製ではあるものの、海軍向けの陣地固定式高射砲である8.8cmSKC/30であり、野戦高射砲であるFlaK18等とは全くの別物です。8.8cmSKC/30は写真が少なく形状があまり知られていなかったため、口径とメーカー名から混同されFlaK18のコピーとする日本語記事が多いんですが、誤りです。
 88mm高射砲を輸入または捕獲使用していたスペイン・ポルトガル・ユーゴスラヴィア・アルゼンチンでは、大戦後も暫らく使用が続けられていました。
 FlaK36には後に登場する8.8cmFlaK41用の長砲身を取り付けた8.8cmFlaK36/41というヴァリエーションもありましたが、8.8cmFlaK41については別の機会に書きたいと思います。

コメント(4)

素晴らしい解説ありがとうございます。
移動力を重視し駐退機の耐久性が低かった日本の75ミリ高射砲に比べてオールマイティに活躍したドイツ88ミリの経緯が分かり易く読めました。

次回も楽しみにしています
かじぃ様
 私は工学的な事はサッパリなんですが、また頑張って書いてみますね。あせあせ(飛び散る汗)
はじめまして。。。

大審査官さま。。。うまい!

思わず、、、読みふけってしまいました。。。

もともとAFVも大好きなので、88の記事がすぐに目にとまり、、、

読み出したら止まらず一気に読ませていただきました。。。

内容もとても詳しく、また、時系列でわかりやすいので、とても読みやすかったです。。。ありがとうございました。。。目がハート



※以下、番外・駄文につき、読みたい人だけお読みください。。。

『ゲーリング人影が高射砲を独占』に触発されて書いております。。。


それにしても、ヒトラーといい、ゲーリングといい、ナチスのSSの指導者の

戦略・戦術・戦闘・兵器の性能&最適活用等についての無知・馬鹿さ加減は、

あきれるばかりですね。。。目人影


もし、ドイツがダンケルクでヒトラーが命令した『ゲーリング人影に手柄』など待たずに、国防軍が攻撃継続し、イギリス軍を大量捕獲・壊滅させていたら。。。


そして、バトルOFブリテンで、1機のハインケルがロンドンに間違えて?(もしかすると命令違反の単独攻撃:真相は不明)爆弾を落とさなければ・・・
ベルリンに報復爆撃を受けることもなく、、、

そして・・・あと1歩でイギリス南部のイギリス空軍は壊滅寸前であったにもかかわらず、ヒトラーが感情的になり、空軍基地への攻撃をやめさせて、
ロンドン無差別空襲に切り替えた致命的ミス。。。そしてイギリス空軍に余裕を与えて復活させてしまったこと・・・

だいたい、Bf109は航続距離が短いので、ついていけないわ、

Bf110は中途半端で戦闘機としては役立たず・・・

そりは・・・パイロットは優秀でも、マリアナの七面鳥撃ち(飛行機もパイロットもダメNG)や、ワンショットライターの一式陸攻みたく、、、おもしろいようにハインケルを撃ち落せますわな・・・


また、ロシアでもナチスのデタラメ気象予報士の予想をうのみにせず、

夏装備はなく冬装備をしていたら、、、

凍死・凍り付いてエンジンかからん・鉄砲大砲を発砲することさえままならない・・・・なんてことはなかったわけですね。。。


ウクライナやレニングラード(今のサンクトペテルベルク)等に寄り道などせず、

すぐにモスクワを落としていたら、、、


などなど、いくらでも、『タラレバ』のオンパレードです。。。

みな、ナチスの指導部のカルト的な非現実的指導体制が原因です。。。


なにしろ、グーデリアンだって更迭されるわけだから・・・げっそり


もし、ドイツ国防軍の優秀な将軍たちの意見をナチス指導部が素直に聞いてまかせていたら、あっという間にドイツが勝利を収めていたと思います。


もし、そうなっていたら、いまの世界はいったいどうなっていたんだろうか???exclamation & questionと・・・天秤座


おそらく、とんでもなく、大変なことになっていて、とてもじゃないが、

プレステなどで、メダルOFオナーやオーバー・ザ・ノルマンディーやガンダム

など、楽しんでいることなどできなかったろうなあと思います。。。もうやだ〜(悲しい顔)


きっと、、、少年の頃から、、、教育勅語はもとより、、、

ヒトラーユーゲントの日本版みたいなのに、強制入隊されて、

日本人としての出自を三代〜五代くらいまでさかのぼって

調べられて、選別され、


真の日本富士山民族として・・・

神武天皇以下の万世一系の系譜をそらで読み上げられるのは必修・・・

日本書紀・古事記などの勉強etc・・・の精神修養


そして、まずは、肉体強化・根性棒げっそりなどで鍛え上げられ、

匍匐前進・竹槍突撃をへて、まずは、三八式から射撃練習をする。

なんてことになっていた可能性があります。。。ウッシッシ


しっかし・・・枢軸国側が勝っていたら、、、

そのうちに、ドイツと日本で雌雄を決する戦いになったかもしれませんね。。。波
ハイゲートの吸血鬼様
 グダグダ長い文章を読んで下さってありがと^―^ございます。
 ヒトラーやゲーリングの国家戦略の根本的誤りは別としても、細かな戦術や兵器開発にまで介入して混乱させた責任は大きいですね。「対空機関砲は全て20mm四連装にしろ」だの「四発重爆で急降下爆撃をやれ」だの「Me262を戦闘機として使うことは許さん」だのと口出しして兵器開発を遅延させてしまうなんて余りにもバカな話です。
 しかし、新興の空軍が伝統ある陸海軍に抗して多額の予算をブン取る事が出来たのは、ひとえにゲーリングの政治力によるものであり、ゲーリングは軍人としては無能でしたが、政治屋としては有能だったと言えますね。

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