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日系アメリカ移民の歴史コミュの収容所画家 ヘンリー杉本 絵画展(告知)

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横浜にある「海外移住資料館」では、特別展示「収容所にて 〜第二次大戦下の北米日系人〜 ヘンリー杉本絵画展」を1/22(土)〜3/21(月)まで行います。

アメリカ日系人の強制収容の歴史は、11月にTVドラマ「99年の愛」でも紹介されましたが、鉄条網のなかで収容所生活を描き続けた1人の日本人画家がいました。
今回、仕事で初めてその作品に触れることとなりましたが、興味を持たれる方も多いかと思い、以下に其の概要を告知させていただきます。どうぞよろしくお願いします。


 1941年、日本の真珠湾攻撃により日米が開戦すると、アメリカ本土に移住していた日本人は「敵性外国人」となった。1942年に公布された日本人とその家族に対する立ち退き命令により、11万人以上の日本人移住者が住んでいた家を追われ、辺境の荒野に建設された収容所での集団生活を余儀なくされたのである。
 18才でアメリカへ移住し美術学校に学びフランスへ留学。パリのサロン・ドートンヌに入選。藤田嗣治の知己も得てアメリカ帰国後、画家としての地位を着実に固めていたヘンリー杉本も、多くの日本人とアメリカ人である二世たちと一緒に収容所へと送られた。
収容所内にカメラを分解して持ちこんだ宮武東洋と同じく、ヘンリーは着物などを包んできた白布やシーツなどに、こっそり持ちこんだ穂先のみの絵筆3本とわずか3色の絵具で絵を描き続けた。強制収容されたヘンリーが、3年余にわたる収容所生活の中で描いた作品は、厳しい収容所での暮らしぶりやつかの間の休息、そして、親の祖国である日本と自身の母国アメリカとの間に立たされた二世の苦悩がひしひしと伝わってくるものばかりだ。
パリでブラマンクに師事し、情感溢れる田園などの風景画を得意としていたヘンリーの画風は一変したばかりでなく、絵を描くという行為そのものが自身の中で別の意味をもつこととなった。ヘンリーの画家人生を変えてしまった米日系人の強制収容とは、一体何だったのか。絵は静かに語りかけてくるかのようだ。
今回展示する作品は、ヘンリーが故郷である和歌山市に寄贈したもので、同市以外で、この「記録絵画」がまとまって展示されるのは1980年に和歌山、大阪、広島、東京で巡回展が開催されて以来、実に30年ぶり。日系アメリカ人の歴史に関心を持たれるみなさんは、ドラマではない真実を、ぜひご自身の目で確かめられてはいかがだろうか。


■「収容所にて 〜第二次大戦下の北米日系人〜 ヘンリー杉本絵画展」
■1/22(土)〜3/21(月)
■JICA横浜海外移住資料館
http://www.jomm.jp/events/index.html#sug

コメント(9)

素晴らしいアートショーですね!
少しでも日系アメリカ人の歴史が広がれば幸いです。

収容所では絵の具が少なくなって、後半は色の薄い作品があります。
懐かしいです。1980年、和歌山でご本人と会ったことがあります。背の高い紳士でした。画集にサインを頂戴しました。その本は家宝になっております。(笑)

杉本画伯はイサム・ノグチとも面識があったんでしょうか。あの時、もっと質問しておけばよかった。

なお、ヘンリー杉本を描いたドキュメンタリー映画があります。題名はHARSH CANVASだったと思います。
ヘンリー杉本関連の書籍は以下の3冊だと思います。

『北米日本人の収容所』久保貞次郎編 叢文社 1981
『ニッポンからの贈り物』下嶋哲朗 講談社 1986
Henry Sugimoto, Kristine Kim, JANM, 2000

パリ時代の絵、収容所に入る前のアメリカでの絵も含めると、Kristine Kimの本が充実しています。たとえば、ヨセミテというとチウラ・オバタが有名ですが、スギモトが戦前に描いたHalf Dome of Yosemiteという絵もすばらしい。

どの本にもイサム・ノグチとの接点は出てこないので、おそらく会っていないのでしょう。

日系二世の苦難の歴史、といえばそうかもしれませんが、私はスギモトに限らず、収容所絵画を観て、必ずしも「苦難」ばかりを感じません。微笑ましい作品もあるし、たくましいものもある。絵を描く喜びが伝わってくる作品もある。ロぺ公さんが右上に示したLonging(切望)という絵など、シャガールにも似て、絵としての面白さや、スギモトの画家としての意欲を感じます。純粋に絵として、そのように鑑賞するのもありだと私は思っています。
確かに収容所での生活は希望を感じる笑顔もあり、現実を前向きに捉え生活してたんでしょうね。
写真家の東洋ミヤタケさんはレンズだけは隠し持ち込んで、自作でカメラを作成して作品を残してくれましたね。

しかし3週間位のノーティス出され、今までアメリカで築き上げて来た財産を全て破格値で処分し収容所へ連行されたんですから、相当の苦悩があったはずです。
僕がサインをしてもらったのは下記の画集です。

『北米日本人の収容所』久保貞次郎編 叢文社 1981

僕も収容所をネガティブな先入観で考えるべきではないと思います。むろん、理不尽な空間であり時間であったのは事実ですが、芸術活動をする人にとっては、過ごしやすかった面もあったかもしれない。実際、苦労してきた一世の女性たちにとって、収容所は初めての「自分を見つめ、好きな事ができる場」であったともいわれています。一世たちが収容所での「ひまつぶし」のために作った工芸品を集めた"GAMAN"という写真集もあります。

杉本さんにしても、自分の作品を描くとともに、収容所の一世や二世に絵を教えるのは楽しかったのではないかと思います。収容所のダンスバンドなんか、学校の垣根を越えて、楽器の巧いジャズ好きの二世が集まったもので、とても良いビッグ・バンドでスイング・ジャズが演奏できたそうですし。(笑)

こういう「副作用」も、収容所を語る時には欠かせません。Tule Lakeだって、毎日、殴り合いや軋轢があったわけじゃない。(笑)忠誠登録にYES YESと書いても、そのままTule Lakeに留まった家族も少なくなかった。

なお、少数派ですが、戦時中も財産を保全できた家族もいました。すべて処分した家族も多かったのですが、そういう家族がすべてだったわけではないのです。
なるほど。
これからもどんどんトピ立てて下さい!
たくさんのコメントをいただきありがとうございます。
みなさんのご意見には、いちいちうなずくばかりです。

今回、展示の解説を作成するのにいろいろな文献を参考にしましたが、収容所生活は3度の食事は保障されており、強制労働もなかったので意外にのんびりしていたと記述もありました。日系人ばかり集められたため初めて差別を意識しないで暮らせたという証言や、趣味の世界に没頭したという人もいました。そうした作品の一部も海外移住資料館では展示しています。

しかし、人里離れた荒涼とした原野に隔離され、鉄条網に囲まれ銃を持った憲兵に昼夜監視される緊張と精神的苦痛や、アメリカに生まれアメリカ市民として育った2世の、アメリカ国家と日本人である親の世代に対する葛藤は、いかばかりであったろうと思われます。
自身は日本人でイエス・イエス組であったヘンリーさんは、弟のラルフ(442連隊に志願しヨーロッパ戦線で負傷)の姿をモデルにして、こうした2世の苦悩を描こうとしたようです。

書き忘れていましたが、ヘンリーさん自身の肉声による解説をスライドショーにしたものを特別にお借りし展示場で上映しています。
asianimprovさんは、きっと懐かしく思われることでしょう。

三重綾子さんが「日米ウィークリー」に記事にしてくれました。
http://www.nichibei.org/2011/02/henry-sugimoto-exhibition-on-wartime-incarceration-opens-in-yokohama

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