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日系アメリカ移民の歴史コミュのはじめまして!

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私の祖父は戦前カルフォルニアに移民いたしました。
親がそのことを私に隠していたようで、その事実を知ったのが7年前。
それ以来向こうに住んでいる親戚からもらったわずかな資料を基に祖父の軌跡の探索が始まりました。
LA、サンフラン、サクラメント、サンノゼ、フレンチキャンプ、ウォルナッツグローブ他。
カリフォルニアで大好きな音楽を聴きながら心の旅を始めました。
ブログにも紹介しておりますので覗いてください。

コメント(27)

心の旅、お気を付けて頑張って下さい。
はじめまして。
いま、ニューヨークシティでMSW(Master of Social Worker)になるために大学院に通っています。
仕事(インターンとパートタイム)と勉強の両立はなかなかたいへんですが、やりがいがあるのでなんとかがんばっています。
ここでみなさんといろいろ交流できたらと思います。
いつでもメールください!お待ちしています。
皆様、はじめまして。

私は、日系アメリカ人の歴史の研究をしているものです。

どうぞ、よろしくお願いします!


※ 私が所属している研究団体です。

http://www.geocities.jp/psych165/

http://www.jalivinglegacy.org/main.cfm?stg=home
はじめまして。
母方の親戚がロサンジェルスにいます。
私のいとこの父や母や伯母たちが収容所生活をしていた事もあり、アメリカの日系移民に興味があります。何も知らないので、これから少しづつ本など読んでみようと思っています。

アメリカの日系人についての入門書のような本があれば教えていただけると嬉しいです。

よろしくお願いします。

まりちゃん♪ さんへ、

haakse と申します。 どうぞよろしくおねがいします。

日系アメリカ人についての書籍ですが、ハリー・キタノ先生の著書はどうでしょうか?

タイトル

Japanese Americans: the Evolution of a Subculture

関連URL (カリフォルニア大学HPより)

http://www.universityofcalifornia.edu/senate/inmemoriam/harryhlkitano.htm
はじめまして。

私の母方の曾祖父母は1916年に渡米、曽祖父は1948年の帰国までの30余年、西海岸(主にロス)に居住し、戦中は日系人収容所(ヒラ・リバー)に収容されておりました。収容所内で倒れ、半身不随になり、48年に帰国後、まもなく亡くなりました。戦後数年間、アメリカにいた曽祖父は、戦中に自分の長男から生まれた初孫である、私の母に西洋人形を贈ったり、洋服を送ったりしてきたようです。
16年に一緒に渡米した曾祖母は、当時ニューヨークですでに写真家として活躍していた(マンハッタン5番街にスタジオを持っていた)自分の兄のもとに単身移動し、帰国する1928年までニューヨークで暮らし、その兄と共に、あの野口英世と同じアパートに住み、隣人として世話を焼いていたそうです。

数年前から、アメリカにいた曾祖父母とその兄について、いろいろ調べておりますが、やっぱり現地に行くのが一番いいのかな・・・と。アメリカの大統領が変わった後で行くかな。何か情報ありましたら、よろしくお願いします。
あろーはーさんへ

コメントありがとうございました。
そうですね。曾祖母の兄は、15年ほど前に映画化された「遠き落日」でベンガルが演じた「堀」という人物その人です。「堀市郎」というのが本名です。野口英世とはニューヨークで非常に親しくしていたため、野口のポートレートも撮影しています。故郷の母に野口が送った結婚写真も堀市郎が撮影したもので、その時のメリーの衣装は、彼女がみすぼらしい格好をしていたので、私の曾祖母がカーテンを彼女の体に沿わせてドレス風にしたと聞いております。堀市郎は画家でもあったので、野口を描いてもいると思いますが、残念ながら、現在の千円札の肖像画は他の人のものだそうです。堀市郎は1912年にマンハッタン5番街の、セントラルパークの少し南にスタジオを開設したようですが、当時は他にも2人の日本人写真家が5番街にスタジオを持っていたことを、昔の電話帳のようなもの(日系人のみの)を調べて、知りました。

ロスの日系人博物館から情報を得て、渡航記録と収容所の記録は手に入れました。ニューヨークタイムズにも美術学校の展覧会みたいなもので特集として一部に取り上げられていたので、それも取り寄せました(ここには、東郷平八郎のミニチュアポートレートや、ハリウッドスター早川雪洲の写真ポートレートが取り上げられていました)。
野口英世の記録から、どこのアパートに住んでいたかも調べました(セントラルパークの西側)。
曽祖父の住んでいた場所も、収容所の記録から見当をつけています。どこで働いていたかも。曽祖父が働いていた日系人が経営していた八百屋さん(グローサリー)も、経営者の子どもさんと見られる方(もうかなりの高齢なのですが)と思われる方に思い切って手紙を書いてみましたが、音沙汰はありません。仕方がないかもしれませんね。

曾祖父母は1916年に、まだ幼かった私の祖父などを置いて、渡米し、子どもたち3人は、東京で彼らの祖母に育ててもらったようです。大胆なことをしたものだと思います。

長くなりました。すみません。
hakaseさん、
ありがとうございます。
英語の本なんですね。
いずれがんばって読ようとおもいますが、まずは日本語から・・・と思っています。
その本を検索した所から、関連のサイトなどにいくつくことができ、そこにいろいろ日本語の本の参考文献も出ていました。
どこから手をつけたらいいのか、きっかけもわからないでいましたが、一歩前進しそうです。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

まりちゃん♪ さんへ、

レスありがとうございます。

日系アメリカ人人する文献などで、日本語のものをお探しということであれば、竹沢泰子先生や飯野正子先生の著書をお勧めします!

竹沢先生の「沈黙を破って」はシアトルに住む日系アメリカ人についてのお話です。
イチロー選手の大活躍でシアトルに興味を持つ人が多いかともいますが、実は、シアトルは
多くの日系アメリカ人が住む場所です。日本の真珠湾襲撃の直後に、シアトルのバインブリッジ
アイランド地区にいた日系アメリカ人がマンザナールに収容された話は有名です。
hakaseさん、
ありがとうございます。
シアトルには行ったことがありますが日系アメリカ人が多いとはしらなかったです。「沈黙を破って」読んでみたいと思います。

私の親戚(母方の伯父の妻の家族)はGilaRiverのCampにいたようだということきのう知りました。
あろーはーさんへ

一昨年、昨年とインターネットやLAの日系人博物館の助けを借りて、いろいろ取り寄せ、調べました。特に日系人博物館の方は丁寧に助言していただき、本当に感謝しています。
その中で、収容所の記録というのはとても役に立ちました。記録の中に出てくる、曽祖父の周りにいた人たちのお名前から、その人たちの渡航記録やCensusなどを拝見させていただきました。曽祖父は日本に居たときに新聞社に勤めた経験もあり、物書きだったので、アメリカでも何かの新聞(日本語新聞)に「わが友、早川雪洲に捧ぐ」という連載記事を書いていたということで(母が子どもの頃に読んだことがある)当時の日系新聞をマイクロフィルムで捜しましたが、膨大な量のためまだ見つからず。Gila Riverにも新聞のようなものを出していたということで、そのマイクロフィルムも探しましたが、俳句のようなものを投稿していただけでした(でも、この発見は、曽祖父の存在をしっかり認識できた、うれしい発見でした)。

私が手紙を書いたグローサリーの息子さん(人違いでなければいいのですが、確証はありません)は、2007年のU.S.Public Records Indexを調べたところ、Riversideに住んでおられるようでした。81歳でした。でも、その人だったとしても、見知らぬ人物から、たどたどしい英語で手紙が来ても、気持ちが悪いだけかも・・・と思ったりもして。それも特に収容所時代の話をも思い出させているのであれば、あまり思い出したくないかもしれませんし。私も複雑な気持ちです。

でも、曽祖父の渡米してから収容所に入れられるまでの20年以上のことは、LAのグローサリーで働いていたというだけで、他の事はほとんど判明しておりません。渡航直後は、サンフランシスコに夫婦で居て、高知県人会に登録していたことはわかりましたが(もともと生まれは土佐で、学生の頃家族で東京に移住したらしいので)。残念ながら、帰国した後すぐ亡くなったので、曽祖父がアメリカでどんな生活をしていたかを知る親戚はおりません。だからこそ、彼のことに興味があるのです。私自身外国暮らしを長く続けていましたので、曽祖父の血がここに流れていると強く感じたこともあって。


まりちゃん♪ さんへ、

まりちゃん♪ さんのご親戚がヒラ川の収容所にいたとのこと、あの収容所にはLA近辺からだけでなく、フレズノ近辺の日系アメリカ人が収容されたのです。

さて、日系アメリカ人の強制収容についてですが、ミチ・西村・ウェグリン女史の "Years of Infamy" をお勧めします。和訳版もあります。著書の最初の部分では、ウェグリン女史は極秘につくられたムンソン報告書のことをとりあげています。(ムンソン報告書では、日本人および日系アメリカ人の強制収容は必要ないという見解になっていたのです)
hakaseさん、ありがとうございます。
すこしづつ読んでいこうとおもいます。
皆様へ、

私のプロフィールを更新しました。
宜しくお願いします!
はじめまして!

父方の曾祖父母は 1910年頃にハワイ島に渡り東側のアフアロアに移住。
農園を営んでおりました。
第二次世界大戦の最中も軍人への食物供給のため
アメリカ軍からは農家は丁重に扱われ車なども支給されたようです。

祖父の兄弟のうち3人は今もハワイ島のヒロ周辺、およびホノカアにて元気に余生を
送ってます。
上記にコメントをしている者です。
5月に2週間、初めて渡米しました。
NYの図書館で住所を手掛かりに、曾祖母とその兄が住んでいたアパートや5番街のフォトスタジオの古地図を見つけました。スタジオは5番街の53rd St.の角のRolexのビルにあったと思われます。そして、野口英世も住んでいたアパートは、現在区画が変わり、その番地がなく、角地に緑地が存在しました。ただ、道路の向かいには当時から存在すると思われる古めのアパートがあり、こんな感じだったのか、と。
LAでは、曾祖父が住んでいた家がそのまま存在し、感動の極みでした。現在、そこには日系人のおばさん(ただし、戦後、LAに移住された方)が一人で住んでいて、少し話をすることができました。他にも曾祖父が収容所に入る前に集められたLA郊外のSanta Anita競馬場にも行きました。現在の競馬場はとてもきれいに整備されていて、当時と雰囲気は変わっているんだろうけれど、背景に見えるや丘など見える自然の風景は変わらないんだろうとしばらく立ちつくしました。また、当時曾祖父が働いていたグローサリーの場所や、彼にまつわる場所(収容所の荷物を送った場所や友人の家のあった場所など)も訪ねて回り、もちろん、当時のことを知る人は見つかりませんでしたが、有意義な旅でした。
LAの日系人博物館で資料をあさりましたが、なんせ資料館の開館時間が短く、もう一度、行かねば…と思った次第です。
はじめまして!
「日系移民の歴史」のウエブを作られた、たなかさんの友達のぱんなです。

渡米12年になりますが、いつも日系人のお年寄り達が回りにいる環境です。
日本人が快く受け入れられている町。
こんな土壌を作ってくれたのは、一重に日系人のおかげ、と思い、
いつも彼らに何か恩返しをしたいと思ってきました。
念願かなって、近くのお寺で、日系人、1世、2世のお年寄り達に
日本語を教えるクラスを始めることになりましたわーい(嬉しい顔)。

こういうクラスはこの近辺では今までなかったようで、申し込みがいきなり40名うれしい顔。嬉しい悲鳴です。
読み書きは初級レベルなのに、会話は中、上級、という人がほとんど。

子供の頃慣れ親しんだ日本語を思い出してもらって、
会話中心で、わいわい楽しくできるクラスにしたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします♪
ぱんなさんへ、

はじめまして、日系史のオーラル・ヒストリアンをやっている、hakase、と申します。

>念願かなって、近くのお寺で、日系人、1世、2世のお年寄り達に日本語を教えるクラスを始めることになりました

すごく、素晴らしいことだと思います。ぱんなさんに、感謝の気持ちでいっぱいです!

どうぞ、宜しくお願いします。
hakaseさま、ありがとうございます!

正直、沢山の諸行無常を抱えている日系人のお年寄りに、私のようなものが、いいんだろうか、とびびっておりますが、がんばります。

hakaseさまは、オーラルヒストリアンをなさっているのですね。
日系人のことは、一人でも多くの日本の人達に知って欲しいので、嬉しいです。
少し拝見させて頂きました。ご活動、素晴らしいです。

もうご存知かもしれないのですが、私は、1昨年、カリフォルニアのソノマ地区の「義理プロジェクト」を知って感動しました。

戦争中、ソノマ地区の日系人は、他の地区の日系人とは少し異なる体験をしていたそうです。日系人の家や財産を、土地の人達が守っていてくれて、戦後、キャンプから戻ったときに、そのまま以前の生活に戻れた人が多かった、と。

その、アメリカ人から受けた恩、義理、を語り継ごう、という、日系人によるオーラルヒストリープロジェクトで、DVDも出ています。

良いことをしてくれた人達もいた、ということを語り継ぎたい、という小さな活動ですが、貴重な活動だと思いました。

昨年の夏、日本から来た小学校の先生方の団体をソノマにご招待し、セコイアJACLのメンバーの方から、この、義理プロジェクトのプレゼンテーションをして頂きました。(ちなみに、その団体の団長は千葉の方でしたよ。)

どの先生も、こんな日系人の歴史は知らなかった、日本に戻ったら生徒に伝えたい、と仰ってくださったので、本当に嬉しかったです。

www.sonomacojacl.org/pdf/SpeakerBureauInfoPack.pdf

www.sonomacojacl.org/Pages/oral.htm

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

ぱんな様へ、

とても素晴らしい内容のレス、ありがとうございます。

まず、はじめに申し上げたいことですが、ぱんな様のように、日系人の皆様とかかわりや、つながりを持っていることが、日系人理解の第一歩であると、私は強く信じています。

私事ですが、現在は、私は日本国内での研究活動に重点を置いていますが、日本国内で日系人研究をやっている人々の多くは、ぱんな様のような、素晴らしいことをしてくださる人々ではありません。そのような人々は、「日系人の研究をしている」と口では説明しますが、肝心の、日系人との交流にあまり積極的ではないのが現状です(あるいは、全然していないで、文献だけで日系人について語ろうとする)。

これからも、日系人の皆様との交流を大切にしてください。

さて、ぱんな様のレスにあった、ソノマ郡のJACLのオーラル・ヒストリー・プロジェクトですが、とても興味深いものです。私は、ヴァレリー・松本先生の、Farming the Home Place、の内容を思い出していました。(本の内容は、彼女が行った、加州中部の日系社会についての研究がもとになっています)

また、日本からやってきた人々に、日系史について教えたことは、日本人にとって、とても有意義なことです。そのようなことは、ずっと継続してほしいと思います。

あとは、ぱんな様がソノマ郡について触れてくださったので、対照的なものになると思いますが、サリナスの日系社会について興味を持つと、日系史と日本史のつながりを垣間見ることが出来ると思います。(サリナス出身の米軍兵士たちは、第2次大戦の際の、バーターンの死の行進の被害にあったため、サリナスでは反日感情が特に激しかった)

これからも、宜しくお願いします。

追伸 こちらをお読みになってください
(http://www.discovernikkei.org/ja/journal/authors/takamichi-go/)
はじめましてわーい(嬉しい顔)晴れ
私は日系4世です電球

3世の母はもう他界しましたがあせあせ(飛び散る汗)
2世の祖母はハワイでまだまだ元気です手(チョキ)ぴかぴか(新しい)

ただ、日本語を話せる親戚が
もうほとんどいませんがまん顔雷
日本人の血が流れてるのに
日本語を話せないという‥たらーっ(汗)笑

まあとりあえず
よろしくお願いしますっexclamation ×2
初めまして。

日系米人史を勉強したくて20年以上前にアメリカへ来ました。

いつの間にか日本人(日本語)社会にどっぷりつかってしまい、
年に1、2回日系米人博物館に行く程度になっていましたが、
去年、念願のManzanarを訪れ、再燃しています。

もっと日系人とかかわっていきたいと思うのですが、
なかなかきっかけが作れません。

どうぞよろしくお願いします。

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