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我が愛しのアスリート図鑑コミュの福永祐一(ジョッキー)

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福永 祐一(ふくなが ゆういち、1976年12月9日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。栗東所属。

父は現役時代「天才」と言われた元騎手の福永洋一。滋賀県栗太郡栗東町(現:栗東市)出身。

競馬学校入学時より「天才」と称された父・洋一の2世騎手ということで話題を集めていた。なお同年デビューした同期新人は、JRA初の女性騎手となった牧原由貴子(当時)ら3人の女性騎手や双子の騎手として話題となる柴田大知・未崎、そして後にテイエムオペラオーとのコンビで一世を風靡する和田竜二などがおり競馬学校花の12期生と言われ話題を集め、引退した常石勝義を含めて現在でも仲が良いことで有名。

1996年3月2日の中京競馬第2レースでマルブツブレベストに騎乗し堂々の初騎乗初勝利。続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、デビュー2連勝という派手なデビューを飾る。この年は53勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)も獲得した。

1997年7月22日、川崎競馬場(スパーキングナイター)で行なわれた第44回エンプレス杯でシルクフェニックスに騎乗し、重賞初制覇。同年11月15日にキングヘイローで東京スポーツ杯3歳ステークスに勝ちJRA重賞初勝利。主戦騎手として翌年のクラシックでもコンビを組み皐月賞では2着となるも、続く東京優駿(日本ダービー)では引っ掛ったキングヘイローを制御できずにいつもとは違う逃げの競馬になり14着に惨敗。秋初戦の神戸新聞杯では騎乗馬の関係でキングヘイローは岡部幸雄に託されるも次走の京都新聞杯で再び手綱をとる(2着)。最後の1冠となった菊花賞で5着、次走の有馬記念で6着に敗れたのを最後にコンビを解消。

1999年の桜花賞でプリモディーネに騎乗しJRAGI初勝利。しかし、その翌週、中京競馬場での小倉大賞典(マルカコマチに騎乗予定)本馬場入場の際に落馬事故で大怪我を負う。秋には復帰し、朝日杯3歳ステークスを自厩舎の所属馬エイシンプレストンで制した。エイシンプレストンとのコンビでは2001年の香港マイルを制し、2002年と2003年のクイーンエリザベス2世カップを連覇するなど、国内・香港で活躍した。

2003年は福永にとって念願の牡馬クラシック制覇を成し遂げるチャンスだった。同じ瀬戸口勉厩舎所属のきさらぎ賞を含め3勝をあげていたネオユニヴァースと2歳王者となっていたエイシンチャンプをお手馬としてかかえ、最終的にはGI馬であったことからエイシンチャンプを選び、ネオユニヴァースは短期免許で来日していたミルコ・デムーロに託され、結果、ネオユニヴァースが二冠を達成し福永は最大のチャンスを逃すことになった。後に本人は「ネオユニヴァースの方が強いと思っていたが、先に依頼のあったエイシンチャンプを選んだ」と語った。古き厩舎人の血を引く福永が現代の若者には珍しく、目先の利益ではなく義理と人情を重んじる性格であるエピソードとして知られる。

2005年の春のGIでは武豊とともに大活躍し、フェブラリーステークスをメイショウボーラーで、桜花賞とNHKマイルカップをラインクラフトで、優駿牝馬をシーザリオで制したほか、冬にはフサイチリシャールで朝日杯フューチュリティステークスを勝利した。またシーザリオでは、同年7月3日(現地)アメリカ合衆国のハリウッドパーク競馬場で開かれたアメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた。

2006年のエリザベス女王杯ではフサイチパンドラに騎乗。カワカミプリンセスに1位入線(※)を許したものの、同馬は審議の結果進路妨害で12着に降着し、フサイチパンドラが繰り上がり優勝。また同年に新設された阪神カップをフサイチリシャールで制し、初代王者となった。

2007年には、優駿牝馬でローブデコルテに騎乗し優勝。2001年から7年連続のジーワン(GI及びJpnI)競走勝利となった。

※入線 - ゴールに馬体の先端(脚部は含まない)が到達することを入線という。ゴールすることを指す。

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