13歳になるとレースを始め、1977年には南アメリカのカート選手権を制した。また、1978年には当時の日本国内最高峰カートレース「ジャパンカートレース(ジャパンカートグランプリ)」に参戦するために来日した(セナは4位入賞、団体戦では増田二三四・平野晴男とともに5位入賞 当時のエントリー名はA.S da Silva)。
ブラジル政府は彼の死に対して国葬の礼をもってあたり、アラン・プロスト、ゲルハルト・ベルガー、ミケーレ・アルボレート、ティエリー・ブーツェン、エマーソン・フィッティパルディ、ジャッキー・スチュワート、デイモン・ヒル、ロン・デニス、フランク・ウィリアムズらが式に参列して、サンパウロ市にあるモルンビー墓地に葬られた。また、Deutsche Presse-Agenturによると、ミハエル・シューマッハは、セナの葬儀には参列しなかったが(暗殺の予告があったとの一部報道も流れた)、ほぼ毎年セナの眠るモルンビー墓地を訪れているという。 墓碑銘は「NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」。