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我が愛しのアスリート図鑑コミュのサイレンススズカ(競走馬)

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これまでの二十数年間で多くの名馬をリアルタイムで見てきた、自分個人として『一番好きな馬は?』と聞かれたら、迷わずに『サイレンススズカ』と答えるほど、大好きなサラブレッドでもあった。

競走馬は、どの馬よりも早く走る事を目的として調教や飼育をされている。

今回紹介するのは、他馬の追随を許さない大逃げと、最後まで衰えない末脚があったサイレンススズカ。

どの馬よりも早く走り、馬自信も無理をしていない走りを実現させていた。

しかし、沈黙の日曜日を境に、この世から姿を消してしまう。

今回は、そんなサイレンススズカを振り返ってみる。


様々な意見が存在しており、後続を大きく突き放して大差の圧勝を飾った金鯱賞と、エルコンドルパサー、グラスワンダーとの3強対決で完勝した毎日王冠がベストレース候補として挙がることが多いが、個人的には『小倉大賞典』を上げたい。

4歳となってバレンタインS、中山記念と2連勝していたサイレンススズカだが、中山記念では掛かり気味に逃げた上に直線で内にササるといったように、まだ粗削りな走りが目立った。

しかし、この小倉大賞典では鞍上の武豊騎手が直線までほぼ何もせずに、さらに直線ムチを使わずに軽く追っただけで後続を突き放して圧勝した逃げの完成形が見えた。

上記でも簡単に説明しましたが、サイレンススズカは故障により安楽死という最悪な結果になってしまう。

その当時の内容を細かく説明します。

1998年11月1日(日)東京競馬場で第118回天皇賞(秋)(G1)が開催された。

逃げ馬にとっては絶好の1枠1番。

最内からスタートを切ったら後は逃げるだけ。

1000mを57.4のハイペースではあるが、もはやこの馬にハイペースなど存在しない。

これがサイレンススズカペースなので、先頭からシンガリまではもはやとんでもない差になっていた。

しかし、軽快に気分良く走っていたサイレンススズカが大欅を過ぎた時に悲劇がおきた。

バランスを崩し武豊が手綱を引いて、一目で故障発生と分かるアクション。

そのまま外に行ったサイレンススズカだが、鞍上の武豊を馬上から落とすことはしなかった。

武豊は下馬をし馬に付き添って、必死に立っているがもがいているサイレンススズカ。

結果は『左前脚の手根骨粉砕骨折』これがサイレンススズカに下った症状だった。

結果は安楽死で、生きる事は許されなかった。

速さの代償と言うには余りにも残酷すぎる結末。

競馬ファンに与えた鮮烈な印象が強い伝説の逃げ馬のサイレンススズカですが、最悪な終わり方をしてしまう。

数ある距離別部門の中で、当該距離でのGI勝利がない競走馬の1位は本馬が唯一であったとも言える。

今後もサイレンススズカのような、誰よりも早く走る馬が出てくる事を楽しみにしたい。

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