ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

我が愛しのアスリート図鑑コミュのH・ワグナー(大リーグ)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ホーナス・ワグナー (John Peter "Honus" Wagner、1874年2月24日 - 1955年12月6日)は、アメリカのメジャーリーグで1890年代後半から1910年代まで内野手として活躍した野球選手。ペンシルバニア州出身。遊撃手として輝かしい記録を残し、メジャーリーグ史上最高の遊撃手との声も高い。"The Flying Dutchman (フライング・ダッチマン)"の愛称を持つ。

マイナーリーグをへて、1897年にルイビル・カーネルズよりメジャーリーグデビュー、1900年からはピッツバーグ・パイレーツでプレー。1905年、プロスポーツ選手とスポーツ用品メーカーとの最初の契約例として、ルイヴィル・スラッガーバットを使用開始。

1917年に引退。首位打者を8回、盗塁王を5回獲得した。

1936年、アメリカ野球殿堂開設時の最初の殿堂入り選手となる。ピッツバーグ・パイレーツの背番号33は永久欠番に指定されているが、ワグナーの現役時代は背番号がなく、この背番号は引退後の1933年から1951年まで、ワグナーが打撃コーチとしてパイレーツに現場復帰したときにつけていた背番号である。また、パイレーツの永久欠番第1号(1952年)である。

引退後は荒んだ生活を送り、アルコール依存症に陥っていたとされ、見かねたパイレーツ球団がワグナーを打撃コーチとして現場復帰させたエピソードがあり、当時ワグナーから指導を受けていたパイレーツの看板選手、ラルフ・カイナーは自らの自伝でも「一つの店で飲んだら、次はまた別の店と渡り鳥のように酒を飲んでいたが、見ていて何とも悲しかった」とワグナーを記している。

現役当時のワグナーのベースボールカードは非常に希少で、オークション等で高値で取引される。2007年2月28日のオークションでは、235万ドル(約2億8500万円)で売買された。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

我が愛しのアスリート図鑑 更新情報

我が愛しのアスリート図鑑のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング