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我が愛しのアスリート図鑑コミュのリバウド(サッカー)

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リバウド(リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ、Rivaldo Vítor Borba Ferreira、1972年4月19日 - )はブラジル出身のサッカー選手。元ブラジル代表。世界最高レベルの巧みな左足のボール捌きと力強いシュートを放つことから、「レフティモンスター」、「左足の魔術師」と言われる。 リヴァルド、ヒヴァウド、ヒバウドと表記される場合もある。

かつて元フランス代表のジネディーヌ・ジダンと並び称される世界最高の選手の一人だった。 個人の能力はジダンを凌ぐほどだった。特に得点能力においては圧倒的にジダンより上であった。

1999年には世界最優秀選手と欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれ、2002年日韓W杯ではロナウド、ロナウジーニョらと共に3Rと呼ばれる世界屈指の攻撃陣を結成し、ブラジルの5回目の優勝に貢献した。しかし若いアドリアーノ、ロビーニョらの台頭、注目度の低いギリシャリーグに所属していたこと、それと事前のインタービューで彼自身「W杯は今回(2002年)が最後と語っていたことにより、2006年ドイツW杯のメンバーからは落選した。しかし、2006年W杯では、アドリアーノ、ロナウジーニョらの不調が大きく響き、リバウドが去った後のブラジル代表が不安視された。

少年時代のリバウドは実家の家計が苦しく、ユース時代にはバス代を節約するために25キロも離れた練習場まで歩いて通った。 また栄養失調から虫歯になり、歯が抜け落ち入れ歯になってしまった。デポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍をする前の1996年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)から500万ドルのオファーが届いていた。 F1レーサーのアイルトン・セナが少年時代のアイドルだった。

ブラジル代表の攻撃的MFとしては珍しく大柄な選手。本職はトップ下だがセカンドトップ、ウイングのポジションで起用されても高いレベルでプレーすることが出来る。スルーパスを出し味方のゴールの演出をするだけでなく、MFでありながら驚異的な得点力を持っており、パスであれシュートであれ、ワンプレーで試合の流れを変え一人で試合を決めてしまえる天才というより鬼才という言葉が似合うプレイヤー。

その象徴ともいえるシーンが、2002年日韓共催ワールドカップの準々決勝のイングランド戦と決勝のドイツ戦である。イングランド戦は一点ビハインド、ドイツ戦では相手の堅い守備の前に攻撃の糸口が見出せず、膠着した展開を打開したのがリバウドのプレーであった。

足元の技術に優れ、ドリブルでの突破、キープ、トラップなども非常に巧み。多少強引とも思われる単独のドリブル突破でゴールを決めるプレーも多い。フィジカルコンタクトにも強く多少の当たりではバランスを崩すことはなく競り合った状態でも決定的なパス、シュートを決めることができる。

フリーキックの精度は世界屈指、多少距離が長くてもゴールの隅を狙う能力を持っている。低く抑えられた独特な破壊力のあるミドルシュートを得意とし高確率で枠内を捉える、また長い足を生かし意外なタイミングでシュートを放つことが多くGKにとって止めにくいシュートでもある。

ラボーナやオーバーヘッドキックなどの華麗なプレーも持ち味で、胸でのトラップからオーバーヘッドキックに持ち込むプレーもしばしば見られ観客を大いに魅了した。

控えめな性格ゆえにマスコミから取り上げられる機会は少なかったが、同国のペレ、リベリーノ、ジーコ、ロマーリオらと共にサッカー史に名を残す伝説の選手の一人といえる。

1996年アトランタオリンピックでは、自身のミスもあり準決勝で敗戦し戦犯扱いされたが、FIFAワールドカップではブラジルの栄光のNo.10を1998年と2002年の二大会にわたって背負った。

1998年大会では準々決勝で当時世界最高のGKと言われていたデンマーク代表のピーター・シュマイケルから2得点を奪い計3得点をあげるもののブラジル国民を納得させることが出来なかった、それはクラブでのようなプレーを期待している国民がリバウドに対して厳しかったからである。

しかしブラジル代表が苦しんだ2001年の南米予選、10月7日のチリ戦で1得点を上げ勝利に貢献し、本大会出場を決める。試合後、スタジアムを埋め尽くしたサポーターがリバウドへ大喝采を送った。リバウドはこのサポーターの行為に「代表のためにプレーして、称賛されてフィールドを後にするのはこれが初めてだ。本当にうれしい」と感激し、一生忘れられないシーンとして心に刻み込まれているという。

2002 FIFAワールドカップでは5得点と活躍をし、代表で活躍出来ないと言われていた批判を一蹴し、ロナウド、カフー、ロベルト・カルロスらとともに5度目の優勝に大きく貢献した。この大会では、MVPはドイツ代表のオリバー・カーンではなくリバウドだという声も多く聞かれた。また1999年のコパ・アメリカではロナウドとともに得点王になりMVPにも輝いた。

FIFAワールドカップ14試合出場8得点。
代表デビュー 1993年12月16日 メキシコ戦

パルメイラスでの活躍を経てスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍したロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍した。

バルセロナ在籍中での活躍がキャリアの中で全盛期だっただろう。1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し、1998-99シーズンにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞。2000-2001シーズンから背番号が11から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドがエースとなった。また2001-02シーズンでは、パトリック・クライファート、ハビエル・サビオラと共にトリデンテ(三椏の矛)とよばれるトリオの中心として、強烈な攻撃を披露していた、しかし、このシーズンのリバウドは怪我が多く、試合数得点数ともに入団以来最低の成績であった。

個人技でも奇跡的なプレーを随所に見せチームを救う活躍をみせていたが、ルイス・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンから彼がバルセロナの監督を再び就任することになり、2002年にACミランへ移籍する。だが、イタリアのプレイスタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団。

その後ギリシャのオリンピアコスに移籍。リーグの得点王になるなどチームの中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネと2年契約を結んだ。

バルセロナ所属時の2000-2001リーガ最終節、来シーズンのチャンピオンズリーグ出場をかけたバレンシアCF戦でリバウドはチームの全得点を叩き出すスーパーゴールでのハットトリックを記録した。
1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイム、リバウド得意の押さえの利いた強烈な低い弾道のミドルシュート。
そしてとりわけ3点目は今もファンの間では語り草となっている。2対2の同点、後半43分を経過し残り時間はわずかであり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場することになるという状況。ここでリバウドはフランク・デ・ブールからのパスをペナルティエリア正面少し手前で受け、胸でボールを浮かしそのまま左足で豪快なオーバーヘッドキックを放った。アウトカーブがかかったシュートは名手カニサレスでも止められずゴール左下隅に突き刺さった。スタンドで観戦していた当時のガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」と言わしめ、メディアも「キャプテン翼は実在した」と絶賛を受けた。また日本のファンの間では「あれは、リバウドが神になった瞬間だった」と言わしめた。当時低迷するチームの中で、リバウドの孤軍奮闘のプレーが目立つシーズンだった。

1996年 アトランタオリンピック3位
1997年-1998年 スペインリーグ優勝(FCバルセロナ)
1998年-1999年 スペインリーグ優勝(FCバルセロナ)
1998年 ワールドカップ準優勝
1999年 コパ・アメリカ優勝 MVP 得点王(5得点)
2002年 ワールドカップ優勝
2002年-2003年 UEFAチャンピオンズリーグ優勝(ACミラン)
2004年-2005年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)
2005年-2006年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)
2006年-2007年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)得点王(17得点)

1988年-1991年 - パウリスタFC(ブラジル)
1991年 - サンタクルスFC(ブラジル)
1992年-1993年 - モジ・ミリンEC(ブラジル)
1993年-1994年 - コリンチャンス(ブラジル)
1994年-1996年 - パルメイラス(ブラジル)
1996年-1997年 - デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)
1997年-2002年 - FCバルセロナ(スペイン)
2002年-2003年 - ACミラン(イタリア)
2004年 - クルゼイロEC(ブラジル)
2004年-2007年 - オリンピアコス(ギリシャ)
2007年- - AEKアテネ(ギリシャ)


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