1956年にはジャイアンツへの移籍が持ち上がるが、ジャッキーはドジャースにこだわり、ドジャースにいられないならばと翌年の1月に引退してしまった。その後、1962年には野球殿堂入りを果たす。引退後は実業家として活躍し、また黒人差別撤廃のための政治活動に力を注いだ。さらに長男のジャッキー・ロビンソン・ジュニアが麻薬中毒で亡くなったため反麻薬活動にも積極的に参加した。著書に自伝"I Never Had It Made"(邦題・黒人初の大リーガー)がある。1972年6月4日、ロビンソン(42)、ロイ・キャンパネラ(39)、サンディー・コーファックス(32)の背番号がドジャースの永久欠番となる。同年10月に心臓病のため53歳で死去。