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我が愛しのアスリート図鑑コミュのG・イワニセビッチ(テニス)

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ゴラン・イワニセビッチ(Goran Ivanišević, 1971年9月13日 - )は、クロアチア・スプリト出身の男子プロテニス選手。2001年のウィンブルドン男子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス20位。ATPツアーで2001年ウィンブルドンを含むシングルス22勝、ダブルス9勝を挙げた。

彼の最大の武器は身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブで、“サンダー・サーブ”という愛称で呼ばれていた。

1988年にプロ入り。4大大会初出場は同年のウィンブルドンで、1回戦で敗れた相手はイスラエルのアモス・マンスドルフであった。早くも1989年の全豪オープンで、イワニセビッチはミロスラフ・メチージュとの準々決勝まで勝ち進み、同年の全仏オープンではステファン・エドベリとの4回戦まで進出している。イワニセビッチが世界的な知名度を高めたのは、1990年の全仏オープン1回戦でいきなり第2シードのボリス・ベッカーを 5-7, 6-4, 7-5, 6-2 で破り、オーストリアのトーマス・ムスターとの準々決勝に進出した時だった。(この全仏オープンは、第1シードのエドベリと第2シードのベッカーが同時に1回戦で敗退する珍事で幕を開けた大会であった。)続くウィンブルドンで、イワニセビッチはノーシードから初めての準決勝に進出し、再びベッカーと連戦する。この度は 6-4, 6-7, 0-6, 6-7 で敗れたが、この一連の大活躍で18歳のイワニセビッチは将来有望株として評判を高めた。

しかし、イワニセビッチのキャリアは苦難の連続だった。1992年にウィンブルドンで初めての決勝進出を果たしたが、アンドレ・アガシに 7-6, 4-6, 4-6, 6-1, 4-6 のフルセットで敗れて準優勝になる。1994年と1998年にも同選手権の決勝まで進出するが、ともにピート・サンプラスに敗れ、3度の準優勝で“無冠の帝王”と呼ばれた。その後肩の故障から世界ランキングを大きく落とし、2001年のウィンブルドンはワイルドカード(主催者推薦)からの出場となった。この年は後半(第2週)から連日雨に悩まされ、試合日程の消化が大幅に遅れたが、その過酷さを勝ち抜いて3年ぶり4度目の決勝進出を果たす。決勝戦ではオーストラリアのパトリック・ラフターと激闘を繰り広げ、6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7 のフルセットの末に悲願のウィンブルドン初優勝を果たした。(クロアチア人テニス選手の4大大会初優勝は、1997年の全仏オープン女子シングルス優勝者イバ・マヨリである。イワニセビッチは男子の初優勝者となった。)2004年のウィンブルドン3回戦でレイトン・ヒューイットに 2-6, 3-6, 4-6 で敗れ、現役引退を表明した。

イワニセビッチはウィンブルドン選手権での印象が強烈なためか、(最初期を除いて)他の4大大会での活躍はあまり目立たない。しかし1996年の全米オープンではベスト4に進出している。ダブルスの分野でも、全仏オープンの男子ダブルスで1990年と1999年の2度準優勝があった。1990年の全仏男子ダブルスではチェコのペトル・コルダとペアを組み、1999年はアメリカのジェフ・タランゴと組んで決勝まで進出した。

イワニセビッチのプレースタイルは、サーブ、フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークのすべてのショットが強力で美しく、ボレーのタッチもしなやかさを持ち、時折絶妙なネットプレーも見せた。加えて足も速く、長い手足を目一杯伸ばして玉際にも強かった。ハンサムな容姿でも人気が高く、若い頃から強豪相手にも物怖じしない気の強さがあり、審判にもジョン・マッケンローばりに文句を付ける場面も数多く見られた。その反面、いかにも天才肌らしい天性のむらっ気があり、同時期に台頭したピート・サンプラスのように素晴らしい各ショットを1つのスタイルにまとめ上げることができず、結局は最も完成度の高いショット、クイックモーションからのスライスがかかった鋭い超高速サーブの成功率頼みの組み立てになることが多かったためか、そのキャリアにおいて期待されたほどの結果は残せなかった。

イワニセビッチは大変な激情家で、キャリアを通じて精神面(メンタル)の弱さが課題であった。試合中に思い通りのプレーが出来ないとしばしば癇癪を起こすことでも有名だった。ウィンブルドンを制した決勝戦で、解説を担当した坂井利郎が「怒っちゃダメです、落ち着いてください」と話したこともある。元コーチであったボブ・ブレットも「ベッカーと違い、彼が世界1位になれなかったのは、最後の一番大事なポイントで攻められなかったためだ」と分析した。しかしそうした弱さは、かえって彼の人間的な魅力にもなっている。彼は母国クロアチアの国民的英雄として、後輩選手のイワン・リュビチッチやマリオ・アンチッチ、イボ・カルロビッチなどから大変な尊敬を受けている。

イワニセビッチは大のサッカー好きでもあり、引退試合となったウィンブルドンでヒューイットに敗れた後、その場でサッカー・クロアチア代表のユニフォームに着替え、そのままコートを後にした。引退試合中では観客とのユーモアあふれるやりとりで、しばしば場内を沸かせた。自国クロアチアのプロサッカーリーグで試合に特別出場したこともある。またズボニミール・ボバンとも親交があり、彼の引退試合に出場している。見た目は怖そうだが、お茶目な人柄も備えている。

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