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我が愛しのアスリート図鑑コミュのE・マニング(アメフト)

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イーライ・マニング(Eli Manning, 1981年1月3日 - )は、NFLニューヨーク・ジャイアンツに所属するプロフットボール選手。ポジションはクオーターバック(QB)。第42回スーパーボウルMVP。

ルイジアナ州ニューオリンズ出身で、フットボール一家の三男。父親はニューオーリンズ・セインツで活躍したアーチー・マニング。兄のペイトン・マニングは2年連続でシーズンMVPに選ばれているインディアナポリス・コルツの名QB。長兄のクーパー・マニングも大学までワイドレシーバーとして活躍したが、脊髄損傷のためプロを断念した。

父と同じミシシッピ大学に進学(兄二人はテネシー大学に進学)し、3年時までは目立った活躍を見せられなかったものの、4年生のシーズンに戦力的に恵まれないチームをボウル・ゲームに勝利するまでに牽引し、翌ドラフトで全体1位の評価を受けた。

2004-2005年シーズン。全体1位でサンディエゴ・チャージャーズにドラフト指名されるも、1時間後にはジャイアンツへトレードされる(経緯はマニングの評価を参照)。シーズン途中から、カート・ワーナーに代わり、スターターQBを務める。後にスーパーボウルを制するベン・ロスリスバーガーのピッツバーグ・スティーラーズと互角の勝負を展開するなど、才能の片鱗を見せる場面もあったが、結果的には最終週でかろうじて初勝利を挙げるに留まった。

2005-2006年シーズン。チームは地区優勝しプレーオフに進出した。マニング自身も第4Qに驚異的とも言える粘り強さを何度も見せ、デンバー・ブロンコス相手に残り数秒からの逆転劇を演出するなど成長の跡を伺わせたが、シーズン後半に調子を崩し、プレーオフ初戦でカロライナ・パンサーズに敗れ去った。

2006-2007年シーズン。9月10日の開幕週でNFL史上初めて兄弟が先発QBとして対戦。「マニング・ボウル」と銘されたゲームは最終盤に試合を決定づけるインターセプトを与えてしまい、兄ペイトンのコルツに21-26で敗れている。チームはワイルドカードでプレーオフ出場を果たすも、初戦でフィラデルフィア・イーグルスに敗退。

2007-2008年シーズン。チームは連敗でスタートし、マニングも序盤の出来は散々だった。しかし徐々にチーム成績は向上し、マニングも成長を見せる。最終週Week17にはシーズン無敗のニューイングランド・ペイトリオッツに惜しくも敗れるも、プレーオフに可能性を見せた。NFC第5シードでプレーオフに出場したチームは、下馬評を覆し、ジェフ・ガルシア、トニー・ロモ、ブレット・ファーヴといったプロボウルQBが率いる強豪を、すべてのラウンドにおいて敵QBをパッサーレイティングで上回るというマニングの活躍などにより次々と敵地で撃破。NFCチャンピオンとなり、第42回スーパーボウル出場を決めた。無敗のまま勝ちあがってきたペイトリオッツと再戦することとなったスーパーボウルにおいては、10-14と4点ビハインドで残り3分弱という苦しい状況から、見事なドライヴを成功させ、大逆転。スーパーボウルを制覇すると共にMVPを受賞した。

なお、前年の兄ペイトンに続き、兄弟QBが2年連続でスーパーボウル制覇とMVP受賞を達成するのは、NFL史上初である。兄よりも親近感が湧くというファンが多い。また、スーパーボウルにおいて、第4Qにて2つのTDパスを成功させたのは、ジョー・モンタナに並ぶ2人目となった。

2004年のドラフトでは、全体1位でチャージャーズから指名を受ける。しかしマニングは当時弱小チームであったチャージャーズでプレイすることを拒否。この結果、1時間後にはフィリップ・リヴァースと翌年のドラフト1巡指名権という条件でジャイアンツにトレードされた。この一連の騒動におけるマニングの振る舞いは、ドラフト制度やサラリーキャップ制度を設けることでチーム戦力の均衡化を図り、リーグ全体の繁栄を目指すNFLの秩序を乱す我侭な行為だとして、その後、メディアやアンチファンから大きな批判を受けることになる。(ドラフトの拒否というはジョン・エルウェイ、ジム・ケリーなど、過去にも例があり、彼らの行為は現在において批判の対象になっていない。)

ジャイアンツ入団後のマニングは、インターセプトの多さ等もあり、周囲を納得させるほどの結果を残せていなかった。一部の評論家、解説者も、パスのスピンが頻繁に乱れること指摘し、彼が名QBとなる資質を持たないと評価した。現役の名QBである兄ペイトンと比較されることも多く、更に評価を落としている面も否めない。

2005-2006年シーズンのプロボウルファン投票では、NFC QB部門の1位になるなど、一定の支持は得ているが(結局はコーチ・選手票が集まらなかった事により選出されず)、2006-2007年シーズンにはプレーオフに進出しながらも、QBに要求されるリーダーシップに欠けるとして地元ニューヨークのメディアからも執拗に非難され続けており、このまま先発QBの立場を維持できるのか大変厳しい状況に追い込まれていた。

2007-2008年シーズンもシーズン終盤までは例年と変わることが無かったが、レギュラーシーズン最終戦からプレイオフにかけて、誰もが予想しなかった活躍を見せて、最後は下馬評で圧倒的に不利であったスーパーボールを制覇してしまう。これにより、入団時のトレードは失敗だったとの批判に対して明らかな実績を示した。NFLにおいてはスーパーボウルでの勝利こそが至上であるとされているため、スーパーボウル後は手のひらを返したように賞賛の対象となっている。



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