ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

我が愛しのアスリート図鑑コミュのS・レイ・レナード(ボクサー)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
シュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard、1956年5月17日 - )は、アメリカ人ボクサー。サウスカロライナ州ウイミルトン生まれ。本名はレイ・チャールズ・レナード。母親がレイ・チャールズのファンだったためこの名前がついたが、尊敬するボクサー、シュガー・レイ・ロビンソンからとってシュガー・レイを名乗った。

モハメド・アリが去った米国ボクシング界に颯爽と登場し、デビュー直後からアリの後継者として絶大な人気を獲得。爆発的なスピードと芸術的なテクニック、そしてロビンソンやアリの系譜に連なるスター性を併せ持ち、米国のみならず全世界のファンを魅了した。1970年代後半から1980年代にかけてのボクシング界を代表するスーパースターである。

「ヘビー級が動くが如く、ボクシングは動く」とされたボクシング界の常識を覆して、ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズらと歴史的なビッグファイトを繰り広げ「黄金のミドル(中量級)」時代を盛り上げた。

1976年、モントリオールオリンピックでアンドレス・アルダマ(キューバ)を3R判定で下し、ライトウェルター級の金メダルを獲得。一時は引退も考えたが、1977年にプロデビュー。
1979年11月30日、無敗のままウィルフレド・ベニテスからWBC世界ウェルター級タイトルを獲得。
1980年6月20日、ロベルト・デュランに判定でプロ初の黒星を喫する。
1980年11月25日、8回TKOでロベルト・デュランから王座を奪回。
1981年6月25日、アユブ・カルレからWBA世界スーパーウェルター級タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、タイトル返上。
1981年9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBA王者トーマス・ハーンズとのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKO勝ち。WBAとWBCの王座を統一する。試合後網膜剥離が発覚。
1982年11月、引退を発表。
マービン・ハグラー対トーマス・ハーンズの解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンといわれたハグラーに勝てると確信し、復帰を決意する。1987年4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界ミドル級タイトルを獲得。3階級制覇を達成する。
1988年11月7日、WBC世界ライトヘビー級王者、ドン・ラロンデに9回TKO勝ちで新設されたWBC世界スーパーミドル級、ライトヘビー級の2階級の王座を同時に獲得。当時、史上初の主要団体での5階級制覇を達成した。しかし、これはライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったため、レナードの5階級制覇には懐疑的な意見もある。
1989年6月12日、WBO世界スーパーミドル級王者、トー・マス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。
1989年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級王座を防衛。
1991年2月9日、WBC世界ジュニアミドル級タイトル戦で王者テリー・ノリスに12回判定負けを喫する。試合後、引退を表明。
1997年3月1日、IBC世界ミドル級タイトル戦で突如復帰。ヘクター・カマチョに5RTKO負けを喫し引退。

レナードはデビュー戦から全米ネットワークでTV中継がされるなど、早くからスターとして注目され、全米で爆発的人気を誇った。その明るいイメージから少年少女にもファンが多く、レナードのデビュー当時、WBCウェルター級王者だったカルロス・パロミノの幼い息子も、レナードの大ファンだった。パロミノの友人が「坊やのパパは147ポンド級で、世界で一番強いんだよ」と言ったところ「パパがレナードより強いって?そんなの嘘だい」という返事が返ってきたという。



コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

我が愛しのアスリート図鑑 更新情報

我が愛しのアスリート図鑑のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング