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我が愛しのアスリート図鑑コミュの岡本 綾子(ゴルフ)

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岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、広島県東広島市安芸津町(旧豊田郡安芸津町)出身の女子プロゴルフ選手。樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝を挙げた。日本ツアーの永久シード権を獲得しているほか、1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になった。

瀬戸内海を望む安芸津町木谷の生まれ。木谷は赤土土壌で地元では赤崎と呼ばれる美しい丘陵地。この地で収穫されるジャガイモは料亭などに流通する高級品で知られ、岡本の実家もジャガイモやタバコなどを作る農家のため、家の手伝いをすることで強靭な足腰が鍛えられた。

ソフトボールの強豪愛媛県今治明徳高校に進む。 同高校卒業後、ソフトボール部を創部した大和紡績福井工場(1995年9月閉鎖)に就職。 サウスポーの剛球エース兼4番として1971年、和歌山国体で優勝。国体優勝の褒美で、祝勝ハワイ旅行で初めてアメリカの土を踏む。ここでゴルフ場を見学したのがきっかけでゴルフと出合う。

1972年に大和紡を退職後、1973年1月に池田CCに入社し、1974年10月に2度目の受験でプロテスト合格。この時すでに「将来の夢は、アメリカに行ってプレーすることです」と答えた。アメリカで成功するまで実家にもほとんど帰らなかった。しかし、親族への連絡は常に怠らない。ちなみに横浜在住の兄の長男による私設ファンクラブサイトは一部で愛されている。

1975年、美津濃トーナメントで初優勝。1979年、日本女子プロゴルフ選手権で優勝。1980年、樋口を抜いて初の賞金女王。

翌1981年、日本の女子選手では初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦し、1982年から1992年の間、計17大会で優勝した。1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王となった。メジャー大会での優勝はならなかったが、単独2位を4度、2位タイを2度経験している。中にはプレーオフで敗れた大会もあり、ローラ・デービースやパット・ブラッドリーなどに道を阻まれた。特に1987年の女子メジャー最高峰・全米女子オープンで、再三に渡る豪雨順延で6日間に及んだローラ・デービース、ジョアン・カーナーらとの名勝負は有名。1983年から1991年までの間に、LPGAツアーの賞金獲得順位トップ10に8回入っている。ヨーロッパ女子ツアーでも、1990年に「ドイツ女子オープン」で優勝した。

各種スポーツ賞の受賞歴も多く、1983年に日本プロスポーツ大賞を受賞している。2005年に世界ゴルフ殿堂入りも果たした。日本人ゴルファーの世界ゴルフ殿堂入りは、2003年の樋口久子、2004年の青木功に続いて史上3人目。日米のツアーでの活躍など、世界的な活躍から「国際投票部門」で選出された初の女子選手となる。また2005年12月20日、文部科学省からスポーツ振興に功績があった「スポーツ功労者」に選出された。郷土からは1993年に広島県民栄誉賞を受賞し、2005年には安芸津町名誉町民となっている。

ジャンルは違えど、野茂英雄をはじめイチローや松井秀喜に代表される現在の日本人スポーツ選手のアメリカにおける成功の礎を築いた第一人者といっても過言ではない。文藝春秋編集部は、1988年に刊行した『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史』全三巻のあとがきに於いて "昭和のスーパー・スポーツマン十人" に織田幹雄、人見絹枝、川上哲治、古橋廣之進、白井義男、力道山、長嶋茂雄、植村直己と共に岡本綾子を選んでいる。

2006年7月より東京スポーツで「祝! 殿堂入り記念 岡本綾子ゴルフのすべて」が連載された。 2006年暮れに最愛の母を亡くしたが、それをバネに、10キロ減量が前提ながら、2007年から再び女子ツアー参戦に意欲を見せている。あくまでも、マスコミ向けのリップサービスであり、今後の活動は彼女の出方次第である。



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