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我が愛しのアスリート図鑑コミュのミッシェル・プラティニ

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ミシェル・プラティニ(Michel Platini,1955年6月21日 - )はフランスのサッカー選手。現在UEFA会長、フランスサッカー協会副会長。 愛称は「将軍」

ゲームメーカーとして有すべき視野の広さ、優雅なテクニックに芸術的なフリーキック、また、素晴らしい得点感覚、どれをとっても「将軍」という愛称にふさわしいものだった。数々の素晴らしい記録を持っているが、それ以上に人々の記憶に残る数々のプレーを見せてくれた。

1955年 6月21日にロレーヌ地域圏ムルト=エ=モゼル県のジェフで生まれる。祖父はイタリア系移民。
1976年 3月27日にチェコスロバキア戦で代表デビュー。
1976年 モントリオールオリンピックに出場。準々決勝で東ドイツに敗れる
1981年、ASサンテティエンヌに移籍してリーグ優勝
1982年にユヴェントスに移籍147試合で68ゴールを記録して、チームのヨーロッパ・カップなどの優勝に貢献。
1984年、フランス代表チームのキャプテンとしてヨーロッパ選手権に出場し、9ゴールで得点王を獲得。
1984年−1985年のUEFAチャンピオンズカップに優勝。
1985年、トヨタカップ出場のため来日。
1987年に引退。
1989年から1992年までフランスの代表監督を務める。
1998年 地元開催のW杯フランス大会組織委員長を務める。
2007年 ドイツ・デュッセルドルフにて開催されたUEFA総会の会長選挙で、レナート・ヨハンソンを破って当選、UEFA会長に就任。
代表キャップ数71試合、41ゴール、キャプテン試合数49


1985年のトヨタカップで、胸トラップからキックフェイント反転してDFのマークを外し,素晴らしいボレーシュートを撃つが、オフサイドと判定され、幻のゴールとなった。この時中継していた日本テレビの舛方勝宏アナウンサーが発した「プラティニゴール!スーパーゴール!ビューティフルゴール!」は名台詞となった(後日、プラティニは偶然エレベーターでこのときオフサイドフラッグを揚げた線審と出くわすが、その線審は逃げるようにして降りていったという)。また、オフサイドと判定された後に芝生の上で寝そべる姿は印象的だった。近年のインタビューでも生涯で最も美しいゴールであったと述べている。
自身が出場した、1984年−1985年のUEFAチャンピオンズカップの決勝戦で、ヘイゼルの悲劇が起こり、そのショックで、その次のシーズンを最後に現役を引退した(ちなみにこの決勝戦での優勝カップは更衣室で受け取った)。
1983年から3年連続してバロンドールに選出された。
1986年W杯の3位決定戦には出場せず、フランス代表は彼の後継者と目されたジャン=ピエール・パパンなど若手中心のオーダーでベルギーを退ける。3位メダルはピンクのシャツを着て受け取り、物議を醸した。
パスタが好物で、太りやすい体質であった。引退後フランス代表の監督時代には、現役時代に比べかなり太っていた。またユニフォームの裾を出してプレイするのがトレードマークであったが、その理由は「お尻の大きさを隠せるから」というものである。


「サッカーに人種はない。下手な白人ほど黒人を差別する。」
「サッカーはミスのスポーツです。全ての選手が完璧なプレイをしたらスコアは永遠に0対0です。」
「私がサッカーボールを使って出来ることを彼ならオレンジでやってしまう。」(ディエゴ・マラドーナを評して)
「10番というより9.5番だ。」(ロベルト・バッジョを評して)
バッジョが9番(ストライカー)と10番(プレイメーカー、司令塔)両方の役割をこなせる選手という意味。
「私はゴールすることが最大の喜びだったが、彼はチームが勝つことが最大の喜びだった。」(ジダンを評して)


ASジェフ(フランス) 1966-1972
ASナンシー(フランス) 1973-1979
ASサンテティエンヌ(フランス) 1979-1982
ユヴェントス(イタリア) 1982-1987


1978年 クープ・ドゥ・フランス 優勝(ASナンシー)
1981年 リーグ・アン優勝(ASサンテティエンヌ)
1981年 クープ・ドゥ・フランス準優勝(ASサンテティエンヌ)
1982年 クープ・ドゥ・フランス準優勝(ASサンテティエンヌ)
1983年 コッパ・イタリア 優勝(ユヴェントス)
1983年 UEFAチャンピオンズカップ 優勝(ユヴェントス)
1983年 セリエA 得点王(16 ゴール)
1983年 バロンドール受賞
1984年 セリエA 優勝(ユヴェントス)
1984年 UEFAカップウィナーズカップ 優勝(ユヴェントス)
1984年 UEFAスーパーカップ 優勝(ユヴェントス)
1984年 セリエA 得点王(20 ゴール)
1984年 バロンドール受賞
1985年 UEFAチャンピオンズカップ 優勝(ユヴェントス)
1985年 トヨタカップ 優勝(ユヴェントス)
1985年 セリエA 得点王(18 ゴール)
1985年 バロンドール受賞
1986年 セリエA 優勝(ユヴェントス)


1978年 ワールドカップ・アルゼンチン大会: 一次リーグ
1982年 ワールドカップ・スペイン大会: 4位
1984年 UEFAヨーロッパ選手権フランス大会: 優勝
1985年 アルテミオ・フランキカップ: 優勝
1986年 ワールドカップ・メキシコ大会: 3位
72 試合, 41 ゴール, キャプテン49回でフランス歴代の得点王である。

UEFAは2007年1月26日、ドイツ・デュッセルドルフでの総会で次期会長選挙を行い、2002年から理事になっていたプラティニを会長に選出した。任期は4年で、スウェーデン人のレナート・ヨハンソンと争ったプラティニは、加盟52協会による投票で1回目に50の有効票から27票を獲得し、当選に必要な過半数の支持を得た。プラティニはUEFAランキング上位協会の欧州チャンピオンズリーグ出場枠を現行の最大4から3に減らし、他協会に振り分ける改革案などを掲げており、G-14間でのクラブ間の経済力格差の拡大や、その他中小クラブとの格差拡大に歯止めをかけられうる人物として期待されている。

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