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我が愛しのアスリート図鑑コミュの荒川静香(フィギアS)

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荒川 静香(あらかわ しずか、1981年12月29日 - )は、日本の女性プロフィギュアスケーター。宮城県仙台市出身。練習はアメリカ合衆国。身長166?。趣味はグルメ。2006年トリノオリンピック金メダリスト。プリンスホテル所属。

数々の競技会で優勝・入賞経験がある、日本を代表するフィギュアスケーター。2004年の世界選手権で優勝し、日本人として3人目の世界女王となる。2006年のトリノオリンピックにてアジア選手として初めて優勝し、地元イタリアのマスコミにより東洋の女神と称された。

2006年5月7日、プロへの転向を表明。プロ転向後はアイスショーなどに出演しながら、フィギュアスケートの解説、テレビ出演など、多忙な日々を送っている。


東京都品川区生まれで、神奈川県鎌倉市で乳児期を過ごす。1歳半より宮城県仙台市で育った。仙台市(現・同市青葉区)のわかくさ幼稚園に通園。仙台市立台原小学校入学。6年生の途中で仙台市のベッドタウンの利府町に引越したため、利府町立しらかし台小学校に転入。利府町立しらかし台中学校卒業、東北高等学校卒業(本田武史より1学年後輩)。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修(自己推薦入学)卒業(1学年先輩に村主章枝がいた)。

愛称はしーちゃん。しーちゃんと呼んでいるのは本田武史をはじめ安藤美姫、高橋大輔などの代表選手、佐藤有香など多岐にわたる。身長166cm、血液型O型。一人っ子である。

後輩の安藤美姫や恩田美栄に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。長野オリンピックとソルトレイクシティオリンピックの日本代表を争った村主章枝とは確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし和解が報じられた。

海外メディアからはポーカーフェイスな表情から「クールビューティー」と称されていた。

5歳でスケートを始め、小学校入学後本格的にフィギュアスケートを始めた。他にも3歳から水泳を始め6歳で全泳法を覚えるなど幼少時よりスポーツ万能であった。泉市(現:仙台市泉区)のオレンジワン泉(2002年からコナミスポーツクラブ泉と改称(2004年12月閉鎖、2007年3月再開予定))に通い、本田武史を育てた長久保裕に師事。小学校3年生のとき5種類の3回転ジャンプをマスターするというまさに「天才少女」であった。

全日本ジュニア選手権で史上初の3連覇を達成し、全国中学校スケート・アイスホッケー大会(全中)でも3連覇を果たすなど才能を開花させる。中学3年生でシニアの全日本選手権に特例出場し2位(優勝は村主章枝)。

シニアへ完全転向した東北高校一年生の1997-1998年シーズン、全日本選手権で初優勝を果たし、たった1枠しかなかった長野オリンピックと世界選手権の女子シングル日本代表を勝ち取る。その長野オリンピックでは天皇、皇后両陛下御観戦のもとで演技を行うが13位(ショート14位、フリー14位)、1998年世界選手権では22位(ショート22位、フリー21位)に終わった。

1998-1999年シーズン、全日本選手権で2連覇を果たし、続く全国高等学校スケート選手権大会(インターハイ)でも優勝を果たすが、初めて行われた1999四大陸選手権で6位となり、1999年世界選手権の代表権を得られなかった。これ以後スランプに陥る。

1999-2000年シーズン、第55回冬季国民体育大会冬季大会(青森国体)で優勝を果たすが、スパルカッセンカップ、NHK杯、全日本選手権で5位となり、再び2000年世界選手権の代表権を得られなかった。

早稲田大学に進学しプリンスクラブに在籍した2000-2001年シーズン、第26回東日本フィギュアスケート選手権大会で優勝を果たすが、国際大会ではロシア杯7位、ラリック杯9位、四大陸選手権6位と振るわず、全日本選手権は2位。

2001-2002年シーズン、ソルトレイクシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠であったが、グランプリファイナルに出場した恩田美栄が早々と内定を得る。残りの1枠を賭けた全日本選手権では4年前と同様に村主章枝との事実上の一騎打ちとなったが敗れて2位、ソルトレイクシティオリンピックの出場権を得ることができなかった。

2002-2003年シーズン、恩師である長久保コーチが「ソルトレイク五輪に出場できなかったことでやっとやる気になった」と後年述べたように、荒川は精力的に試合をこなす。10月の東京フィギュアスケート選手権大会(優勝)を皮切りに、同月関東学生フィギュアスケート選手権大会(優勝)、11月ロシア杯(5位)、同月NHK杯(3位)、12月全日本選手権(3位)、新年1月ユニバーシアード冬季競技大会(優勝)、2月アジア冬季競技大会(優勝)、同月四大陸選手権(2位)、同月初めての出場となるグランプリファイナル(4位)、3月には5年ぶりとなる2003世界選手権(8位)、4月国際チャレンジ(7位)。エキシビションイベントも3公演に参加するなど、驚異的なスケジュールをこなし何かが変わったシーズンであった。

2003-2004年シーズン、大学生生活の集大成となるこのシーズンではスケートアメリカで3位、続くスケートカナダ2位、ラリック杯2位となり、2年連続でグランプリファイナルに出場(3位)。全日本選手権では3位となったが、2004世界選手権の切符を得た。 世界選手権では予選で1位、ショートで2位となり、迎えたフリーで3ルッツ+3トウループ+2ループ、3サルコウ+3トウループのコンビネーションジャンプなど全てのエレメンツを完璧に決め、技術点でジャッジから完全無欠を意味する6.0満点を獲得し、日本人選手として10年ぶり3人目の優勝を果たした。 なお、荒川は大学卒業後の所属先も未定だったこともあり、この世界選手権を最後にアマチュア引退を決意していた。しかし、帰国後にプリンスホテルへの所属が決まり、周囲のトリノオリンピックへの期待も高まり、迷いながらも現役続行することになる。

2004-2005年シーズン、新採点方式が本格導入されNHK杯で初優勝、続くロシア杯は2位となり、3年連続出場のグランプリファイナルでは2位となった。全日本選手権ではショートで1位となるもフリーを棄権。世界女王として連覇が期待された世界選手権では9位と惨敗する。

2005-2006年シーズン、中国杯、エリック・ボンパール杯ともに3位で、獲得スコアは第3位であったにも関わらず、組み合わせの妙でグランプリファイナルへの出場を逃した。さらに持ち技のひとつであったイナバウアーが新採点方式の導入により得点対象から外れたことで絶望的になった荒川は「(自分以外の)日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がったら(トリノオリンピック出場の3人が内定してしまうので)、その時点で引退する」と発言してファンを心配させたといわれる。12月末の全日本選手権で3位。長野オリンピック以来8年ぶりとなるトリノオリンピック代表選手に決定。 トリノオリンピックに向け荒川は、2004年よりロシア人コーチのタチアナ・タラソワに師事していたが、演技の方向性がかみ合わなかった事と、タラソワが活動拠点を母国ロシアに移動・特化したため、タラソワとの師弟関係を2005年12月に解消する。日本国内ではこれまで通り佐藤久美子に、海外ではタラソワのもとで振り付けを担当していたニコライ・モロゾフにそれぞれ師事することとなった。加えて、2005-2006シーズンのフリー曲だった「幻想即興曲」をショート曲用に作り変え、フリー曲を2004年世界選手権で優勝したときに使用した「トゥーランドット」に変更し、一度はプログラムから外したイナバウアーを組み入れるという大胆な作戦に打って出る。 トリノオリンピックでは、ショートで荒川、サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤの上位3人が1点差以内に並ぶ大接戦となるも、フリーでは自己最高得点をマーク。会場の観衆はスタンディングオベーションで荒川の演技に賞賛を送り、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同大会日本人選手最初で唯一のメダル)を獲得した。また、CNNやニューヨーク・タイムズなど海外有名メディアでも荒川静香金メダル獲得を一面トップで飾った。なお、06年2月現在で24歳の荒川は、五輪女子フィギュア史上最年長の金メダル獲得選手でもある。

2006年5月8日、プロスケーターとして初めてのアイスショー「Friends on ICE」を企画・プロデュース。この企画に賛同した現役選手はもとより引退した選手までもが集まり、大成功を収めた。 2006年6月からは、ショーの本場アメリカの「Champions On Ice 2006」に参加。 2007年も「プリンスアイスワールド」と「Champions On Ice 2007」に参加しながら多方面で活躍している。

荒川の最大の特徴は、ジャンプ・ステップ・スピン・スパイラルの4つすべてにおいて非常に高い技術を持ち、弱点がないことに尽きる。トリノオリンピックのショートプログラムとフリースケーティングにおいて、合計7つのスピンと合計2つのスパイラルは全て最大評価であるレベル4を獲得し、合計2つのステップはともに女子選手として最高評価のレベル3を獲得した。このような最高評価を受けた選手は、出場選手中荒川ただ一人であり、新採点方式導入移行初めてのことである。


いまや代名詞となった大きく背中を反らせた「レイバック・イナバウアー」。イナバウアーをする選手は存在するが、大きく体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は、荒川の特長と言ってもよい。演技の優雅さ、滑らかさ、女性らしさは世界でも随一。しかし、早い曲や小気味のいい曲は苦手だという。荒川の活躍からイナバウアーのものまねが流行し、イナバウアーは2006年の新語・流行語大賞を受賞した。

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