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戦国最新ニュースコミュの今いるのは、あなたのおかげ 柴田勝家末裔が家臣の法要

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戦国武将の柴田勝家の末裔(まつえい)が30日、勝家の身代わりとなって1583(天正11)年の賤ケ岳合戦で討ち死にした家臣の墓がある余呉町を初めて訪問。菩提(ぼだい)寺での法要に参列し、感謝の意をささげるとともに冥福を祈った。

 14代後の子孫にあたる元電機会社社長の柴田勝次郎さん(77)=千葉市美浜区=と妻や孫ら5人が訪れた。

 織田信長の跡目を争って羽柴秀吉と繰り広げた合戦で、勝家は敗色濃厚となる中、戦場で自害することを決意したが、家臣の毛受(めんじゅ)勝助は、本拠地の北の庄(福井県)に逃げて再起を図るべきだと説得。馬標(うまじるし)を受け取り、勝家が逃げる間、兄の茂左衛門とともに秀吉軍を一手に引き受けて討ち死にした。

 毛受兄弟の墓がある同町池原では、地元住民が毛受史跡保存会を結成し、顕彰活動をしている。勝次郎さんらはこの日、同会の招きで墓参りをした後、毛受兄弟が弔われている近くの全長(ぜんちょう)寺を訪れ、戦死者の冥福を祈った。

 勝次郎さんは「命を賭した毛受兄弟のおかげで勝家は逃げられた。結局、2日後に切腹したが、その間に子どもを九州に逃せたため、子孫が生き延びることができた」と感謝の気持ちを表現。

 保存会長の鈴木修太さんは「こうして出会うことができ、墓の中の兄弟もさぞ感激しているはず」と感動した様子で話した。4年後には、毛受兄弟の末裔も参加して墓前で430回忌法要を行う予定だといい、勝次郎さんらの出席を期待していた。


ちょっと前のですが…柴田勝家好きにはたまらないのでは?
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090731/CK2009073102000022.html

コメント(1)

愛知県在住の柴田と申します。遠祖は柴田伊賀守勝豊され、勝豊の家名を継いだ養子勝寧のとき徳川氏に仕官が叶い、家禄わずかに100俵5人扶持でしたが、幕臣の末裔として伊賀守の家名を受け継いでおります。ちなみに、江戸時代に旗本として家名を守った宗家家禄3024石の旗本柴田氏の嫡流の末裔も愛知県豊川市にお住まいであることはご存知ですか?。領地が三河国にあったため、維新後東京から移住したのです。
豊川市の柴田宗家には、江戸時代の御使番の旗の古写真が残されていますが、そこに描かれた家紋は、一般に流布している勝家の家紋とは、少しデザインが違います。丸に双雁金なのですが、よくみると上の雁金は嘴をひらいており(これは最近修正している本などもありますね)、上の雁金の方が下の雁金より細長いのです。
我が家の家紋は貮重輪双雁金といい、輪が二重になりますが、中の雁金紋は宗家古写真のデザインと全く一緒です。
一般に流布している勝家の家紋は、間違っている可能性が高いです。

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