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オモロイ坊主を囲む会.コミュの『北朝鮮托鉢行』(23)

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『北朝鮮やじ馬見聞記』(その十一)

北朝鮮の交通事情と両替

 平壌の中心部を南北、東西に交差して走る地下鉄は、北朝鮮ツアーの定番となっているようで、俺も復興駅から栄光駅の一駅間だけ乗せてもらうことができた。
地下鉄のホームはかなり長いエスカレータで降りた先にあるのだが、どう考えてもこんなに地下深くまで掘り下げてまで、ホームを作る必要も電車を通す必然性もなく、深く掘れば掘るほど工事にかかる経費はかさむばかりなのに、何故こんな不可思議なことをやるのだろうと考えながら、そのやたらと長い長いエスカレータでホームへ降りながら、フト回りの壁面を見るとドアが閉まっていてその中は見えなかったが、どうやらエスカレータを中心として左右に幾つかのトンネルが掘ってあるらしいのに気づき『あーそうか!これは本来電車を走らすために掘られたのではなく、イザとなれば敵の攻撃から逃れるために造られた地下壕なのだ』と気がついた。

 当面この国が敵視し恐れ警戒している相手国と言えば韓国とアメリカ、この国と韓国との距離を考えればアメリカ軍と言えど大型の核兵器を使うのは不可能だろう、例えアメリカ軍が絨毯爆撃攻撃をしようと、小型核兵器を使おうと、これだけ深く掘っておけば、イザと言うときはここへ逃げ込めばまず大丈夫だろう、安全は確保できるだろう、きっとこの地下はそのために掘られたのだ、だから外人には一駅間しか乗せないし公開しないのだ、などと考えながらその長い長いエスカレータでホームへ降りてみると、やたら豪華なシャンデリアが飾られている割には、電気三つのうち二つは消されているようで、全体的に暗くなんとなく陰気で、ホームで電車を持っている人が少なかったせいか、何か活気が全然感じられなかったが、それでも壁面にはここは美術館かと錯覚するほど豪華な絵が描かれていて、長いだけでなんの色気も感じさせないエスカレータを、半分居眠りながら降りて来た俺の目には、まるで何処かの宮殿か劇場のように見えた。

 しばらくホームの端に立って待っていると、10分ほどして電車が入って来たので通訳に急かされ車内に入ると席はがら空きで、ザーット見渡したところ定員の4割くらいの乗車率だった。車内には何の吊り広告もなく、こざっぱりしていてマーマ綺麗だった。
 
 通訳と久保田それに俺の四人が空いた席に並んで座る事、約十分ほどで電車は栄光駅に到着し、また通訳に急かされてホームに降り立つと、ここも先ほどの復興駅のホームと同じで薄暗く陰気だったが壁面には豪華な絵が描かれていた。

 そしてまた長い長いエスカレータに乗り地上へでてみると、いつの間にか日が暮れ周囲は薄暗くなっていて、地下鉄はあんなに空いていたのに、地上の歩道は勤めを終え自宅へ帰る人たちで混雑していた。

 俺は朝鮮でこれほど多くの人達が歩いている道を、自分も一緒に歩かせてくれるとは思ってもいなかったので、辺りをキョロキョロ見渡しながらユックリユックリ歩いていたら、通訳が俺の腕を取って引っ張り『もう少し早く歩いてください』と急かされた。

 街中を走る路面電車にも、嫌がる通訳を久保田と二人で必死で口説き一駅だけ乗ったが、夕方のラッシュ時間なのかとにかく超満員で、俺たちの待っている停留所で電車が停車したとき、俺たちの姿を事前に運転しながら認めたのか、一番前のドアから女性の運転手が飛び降りてきて、ドアの傍に立っていた乗客を中へ押し込み、俺たちをドアと運転席の間に出来た空間へ案内してくれた。

 それにしてもよく揺れた、俺は中学生位の少年と通訳に挟まれ、運転手席と客席を仕切っている丸いステンレス製の手摺のようなバーを握り、揺れに備えてチョット足を小開きにし立っていたのだが、電車がカーブを回るたびによろけ通訳に支えられた。
 
 平壌市内の交通手段はこの他にトロリーバスや普通のバスもあったが、停留所にはいつも多くの人が並んでいて、特に夕方のバス停はバス待ちの人で長蛇の列ができ、バスが来ると群がるように乗っていた。

 タクシーも時々見かけたが、庶民が日常的に利用しているような雰囲気ではなかった。

 俺には北朝鮮の人達は、ほとんどが何処へ行くのも歩いて行くのではと思われた。
と言うのは、毎日の朝晩の通勤時間は勿論だが、昼間でも背中にリックのようなものを背負った(リックと言っても、今の日本の若い人が手提げバック代わりに背中に背負っているようなお洒落なリックではなく、もっぱら実用向きで野暮ったいもので、俺は昔の映画で見た終戦後の買出しおばさんの姿を連想した)、多くの人々が黙々と他所見もせず歩いているのを『一体あの人たちは何をしに何処まで歩いていくのだろう』と思いながらいつも眺めていたからだ。
 
 郊外へ行くバスは全然見かけなかったが、高速道路(通訳に言わすと高速道路だが、俺にはどう見ても軍事道路だが)を走っていると、リックを背負った人が道路の脇に立って車が来ると手を上げ停めておられるのを時々見かけたが、たぶん平壌から郊外へ、また郊外の街から平壌への路線バスの便は無く、歩くかヒッチハイクしか庶民の移動の手段はないのだろう。

 明日は北京へ戻る、今回の旅も今日で最期と言う日の朝『今日は何処へ行く予定だ』だと通訳に聞くと『今日は金将軍の発案で完成した〇〇記念館と、金総書記がお建てになった××展示館を見学し、その後・・・・・へご案内します(済みません、話をまともに聞いていなかったので建物の名前も覚えてもいないのです)』と言うので『おいもう勘弁してくれよ、金将軍だの金総書記だのは。もっとどっか一般的な市民が集まるような所へ連れて行けよ。でなければ、今日は俺一人でこのホテルから歩いて行ける範囲の所を、一人ブラブラ散策して一日過ごすから』と言うと『しばらくここで待って居てください』と通訳は俺に告げ、何処かへ行ったと思うと5分ほどして戻って来て『判りましたでは今日は最期の日なので、平壌駅とデパートに行きましょう。これでどうですか?』と聞くので
『オッそれなら有り難い、早く駅へ行こうよ』と話が纏まり、まず午前中に平壌駅に行く事になった。
 
 平壌駅の前で車から降りると、なんか黒い制服のようなものを着た男が4〜5人、小振りのリヤカーの前で誰かを待っているような様子で立っているの『ありゃ何しているのだあのリヤカーに客を乗せるのか?』と通訳に聞くと『いや違いますよ。あの車にこれから列車に乗るお客さんの荷物や、列車から降りてきたお客さんの荷物を乗せて運ぶ人です』と言うので『ただで運んでくれるのか、それと金要るのか?』と聞くと『当然ですよ。日本の駅にも居られるでしょう』と答えた。何のことは無い要は赤帽さんなのだ。
 
 駅の建物の中へ入ってみると、何か大きな旅行カバンのようなもの持った人や、見送りらしき人達や出迎えらしき人々で混雑していて結構賑やかなのには驚いた。ロビーの隅を見ると日本の駅と同じように売店まであったので、陳列ケースを覗いて見たがあまり食べたくなるようなものも、格段興味をそそるようなものも無く、隙間だらけと言う感じでガラーンとしていた。

 そんなガラスウインードを覗き込んでいる俺を見た通訳は、腹でも減っているのではと思ったのか、チョット待って下さいと言って、売店の端っこで湯気を立てている蒸篭のよいなものの前に立ち、売店のお姉ちゃんを呼び何かを注文して、紙の袋に入れた品物を受け取り俺に『食べてください。美味しいですよ』と言って差し出すので覗いて見ると、肉マンのようなものが入っているので一個摘まんで、傍の空いているベンチに座り一口食べてみるとこれが美味いのだ『うん、いけるやん!美味いやん!』と言うと通訳は『そうでしょう。私はいつも駅へ来たらこれを食べるんですよ』と嬉しそうな顔で言い『久保田さんにも食べて貰おう』と言って、ロビーの窓からホームを撮っている久保田の所へ走って行った。

 それで俺も久保田の傍に行き通訳に『おいホームの中には入れないのか。囲いの外から猿やライオンを見物する動物園でもあるまいし、窓ガラス超しに列車や人の群れを見てもオモロイこともナンも無いやんケ』と皮肉を言うと、通訳が二人でコチョコチョと何かを相談し『判りました、中へ入りましょう。入場券を買ってきます』と言って通訳が一人走って行ってしまい、俺たちはボッサと待つこと5分『買ってきました』と戻って来た通訳に連れられ、外人専用口だと言う駅の改札口とはとても思えぬ、なんか秘密の入り口のような扉の前で立っている、なんか偉そうな制服を着たおっさんに通訳が入場券を提示すると、そのおっさんは嫌々そうな顔しながら、扉を開け我々をホームへ入れてくれた。
 
 ホームには丁度15両連結の列車が停まっていて、乗客が大きな荷物を抱えいそいそ乗り込んでいたり、先に乗り込んだ客が窓を空けホームまで見送りに来た人達と談笑していたりし、ホームは何処の国でもお馴染みの発車前の慌ただしさでごっちゃ返っていた。
 
 1号車〜2号車の車両には(Pyonyan⇒Mosuko)と言うプレートが、3号車〜6号車には(平壌⇒北京)と漢字で書いたプレートが、その後ろの車両には朝鮮文字で行き先を書いたプレートが列車中央の窓の下にぶら下げてあった。

 通訳に聞くと、モスクワには約3日間で、北京には約12時間で着くそうで、後の車両にはそれぞれ行き先々の街の駅前が書いてあり、その駅に着くと車両は順序切り離されると言う事だった。

 窓から車両の中を覗いて見ると、モスクワや北京行きの車両はホーム側が1mほどの通路になっていて、奥側は4〜6人用くらいの個室作りになっていて、夜は2段式ベットに変身するらしき座席を挟んで中央にテーブルがセットされていた。座席の白いカバーは洗濯したてらしく清潔そうで、これなら俺も一度乗っても良いなと思い通訳に『北京からここまで幾らだ』と聞くと『日本円でだいたい1万円くらいです』と答えるので『俺もし縁があってまた平壌へ来る事があったら、今度はこれに乗ってくるよ』と言うと『その時にはまた私を通訳に指名してください』と言って微笑んでいた。

 俺はその笑顔を見ながら“今度は来るとしたら本当にこの列車で来よう。これなら中国国境を陸路越えし、北朝鮮を縦断し平壌へ来るのだから、今回の旅よりもう少し生の朝鮮がみられるのでは”と考えたのだった。
 
 ホームに沿って歩き国内線用車両を覗くと、前の外国行き車両とは偉い違いで、客席は向かい合わせで配置され、固そうで見るからに粗末ベンチシートに三人づつ座っていた。
列車の中やホームには、昔の日本の駅を偲ばせる、酒やお菓子それに弁当らしき折りを乗せた台を首からぶら下げた売り子が、ナンやら大声で叫びながら客に売りつけていた。
 
 物珍しそうにアッチコッチに、目をキョロキョロさせ歩いている俺が気になるのか、すれ違う人々は皆な興味深そうな目つきで俺を見るのだが、視線が遇うとサーット目をそらしそ知らぬ顔をするので、言葉が通じ無くとも良いから誰か一人ぐらい挨拶くらい交わしたいものだ、と彼らとの接触を密かに期待していた俺も手の内ようが無かった。

 どこの国へ行っても、道ですれ違う人に目でニッコと視線を送れば、一人や二人は何時でも笑い返し『ヤー!』とか『オー!』とか答えてくれるのに。

 これは後日聞いたのだが、朝鮮では国民が自由に国内旅行をすることは出来なく、自分の居住区から他の場所へ行くには、必ず通行証を発行して貰わなければならず、その通行証がなければ汽車の切符も買えないそうだ。

 通訳が平壌駅へ案内してくれたので調子に乗った俺は
『おい今度は市場へ連れて行ってくれ。俺、何処の国へ行っても、寺は見ないでも街の市場には必ず行って、その国の庶民の実生活に触れるようにしているのだ』と頼むと、通訳は難しそうな顔をして首を捻ったあと
『久保田さんは北朝鮮の人たちが着ている上着とジーパンに着替えてくださり、市場では絶対撮影しない事と、日本語で喋らない事を約束していただければ、無理してお連れしますが、お坊さんはその衣を脱ぐわけには行かないでしょう。その衣とその頭では外国人だと一目で判るので案内するのは不可能です』と俺はあっさり断わられた。

『市場の代わりと言ってはなんですが、平壌の普通の人が買物に行くスーパーではどうですか?』と通訳が聞くので
『市場があかんのやったらしゃないやんけ。そのスーパーとやらに行こうけ』と言う事になり『俺、エエもんあったら土産に買いたいので両替所へ連れて行ってくれ』と頼むと
『大丈夫です日本円で通用しますので』と言って両替させてくれないのだ。

 世界の何処の国へ行っても、それが例え共産主義国であろうと、社会主義国であろうと、軍事国家であろうと今まで俺の行った国で、その国の通貨を手にしないことは一度も無かった。
飛行機にしろ、船にしろ、歩いてにしろ、他国へ入った時にまず入管で入国審査を受け、パスポートに入国のスタンプを押してもらったあと、最初に行くと言うかやるのは両替だ。

 だのにこの国には空港にも両替所は無かったし、街で見かけることも無く、通訳に『両替させてくれ』と頼むといつも『何処でも日本円で通用しますので』と言って両替させてくれないので『せっかく朝鮮へ来たのだから、一度くらいは朝鮮の人たちが使っているウオンを見たいし、触ってみたいのだ』と言っても『そのうちに、そのうちに』と誤魔化され、結局北朝鮮滞在中に、一度も朝鮮の通貨ウオンにお目にかかったことも無く、ウオン表示で書いてある値札さえお目にかかったことは無かった。本当に不可思議な訳の判らない国だ。

 その通訳に案内されて行ったスーパーだが、陳列ケースや商品台に並べられている商品は殆どが外国製品で、中でも家庭用電気製品は日本のメーカー名が表示された品物が圧倒的に多く、3階建ての建物を隅から隅まで見て周ったが『これを土産に買って帰ろう』と購買欲の沸くような商品は何一つも無かった。
 
 ここも例によって、値段はウオンではなくユーロで表示されていて、俺には並べられている商品が、日本円で一体幾らするのかさっぱり判らなかった。

 きっとこの店は朝鮮の一般庶民が買物に来るような店ではなく、この国のエリ−ト家族か外国人在住者か、もしくは俺たちのような外国人旅行者が利用する店なのだろう、結局俺には一般庶民の生活の片輪をも見せてくれなかったのだ。

『もし自分を愛しいものだと知るならば、自分を悪とむすびつけてはならない。
    悪いことを実行する人が楽しみをえることは容易ではないからである。』
                         ウダーナヴァルガ 第五章 13

『悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうが良い。なし終わって後で悔いが無い。』
            ダンマパダ 第二十二章 314

『もしもある行為したのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
もしもある行為をしたのち、それを後悔しないで、嬉しく喜んでその報いを受けるならば、その行為したことは善い
 愚かな者は、悪いことを行っても、その報いが現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いが現れたときには苦悩する。』
         ダンマパダ 第五章 67・68・69

コメント(4)

  
 『もし自分を愛しいものだと知るならば、自分を悪とむすびつけてはならない。
  悪いことを実行する人が楽しみをえることは容易ではないからである。』
                         ウダーナヴァルガ 第五章 13

『悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうが良い。なし終わって後で悔いが無い。』
            ダンマパダ 第二十二章 314

『もしもある行為したのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
もしもある行為をしたのち、それを後悔しないで、嬉しく喜んでその報いを受けるならば、その行為したことは善い
 愚かな者は、悪いことを行っても、その報いが現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いが現れたときには苦悩する。』
         ダンマパダ 第五章 67・68・69

 
 北朝鮮訪問日記の後に、何故これらの言葉を記したのかを
 お伺いしたく思いました。

 聞かせていただけましたら幸いです。 

 
かしょうさん

いつも読んで頂きありがとう。


ユーコフさん、

すみません、段深い意味はないのですが、機会あるごとにブッタの言葉を紹介させて頂き、少しでも多くの人に親しんで貰い、仏教とは葬式や法事等の儀式・死後の教えではなく、今を現に生きる我々の『道標・道徳』だと言う事を知って貰いたいからです。
   
 チンナワンソさんの活動を応援しております。 

 お返事ありがとうございます。
 

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