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オモロイ坊主を囲む会.コミュの『北朝鮮托鉢行』(22)

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第三章 『北朝鮮 やじ馬見聞記』(その十)

プエブロ号

 ホテルで朝食を取っていると、通訳が食堂へ入ってきて『今日はアメリカのスパイ船プエブロ号の見学に行きます』と言うので、ホテルの玄関前に停めてあるいつものマイクロバスに乗り、大同江のホテルより少し下流の河岸に停泊している(停泊していると言うより実際には固定してある)プエブロ号の前の道で車を停め、土手に造られたコンクリート製の階段を降りていくと先客が並んでいて、船の中から海軍の制服らしき軍服を着た中年の女性が通訳に何か言うので、俺が『なんや!』と聞くと『今もう一組の先客が船の中を見学中でここにも次のグループが待っておられる。貴方達の順番はこのグループの人たちの次なのでここで並んで待っているようにという事です』と通訳が答えるので、大人しく並んで暫くプエブロ号の見学を待っていたのだが段々退屈になってきて、キョロキョロと周辺を眺めると、珍しく大同江で釣りをしている70〜80歳くらいのご老人が居られたので、寄っていって身振り手振りで『釣れますか?』と聞くと『スポーツ・スポーツ』と答えて下さったのだが、良く意味が判らずキョトンとしていると、プエブロの方から通訳が慌てて『勝手に行動し貰っては困ります』としかめ面でボヤキながら走って傍に来たので『おい!このご老人はなんと言っておられるのだ』と聞くと、ご老人になにか一言二言聞いた後『鯉を釣っておられるのだそうですが、この季節は水が冷たくめったに釣れないが、健康のための運動代わりに毎日来られているそうです』と通訳してくれ

『このご老人は朝鮮戦争のときに南の捕虜になられ、南の獄舎に入れられ毎日毎日拷問を受け転向をせまられたが、三十年以上もの間、転向せずに通された我が国の英雄で、3年ほど前に南の金大中大統領が、現職の大統領として初めて38度線を超え我が国へ来られ、平壌で我が方の金総書記長と会談されたときに捕虜交換の話が纏まり、我が国へ帰って来られたのです』と通訳がさも自慢そうに俺に聞かせてくれる横で、そのご老人は無邪気な顔でニコニコしながら釣竿を振り回し、河の中心部へ向けて魚釣りの仕掛けを投げておられた。

 もし俺が朝鮮語を話せたら『三十年間以上も向こうに居られ帰って来られたら、正しく日本の昔話の浦島太郎そのものですが、三十年ぶりにお戻りになって見られた祖国はどうですか?“昔と比べ国民の生活は素晴らしく向上している。俺が獄中で信じていた通り祖国は大きく発展し、国民は豊かで伸び伸びと自由を満喫して暮している。これぞ金将軍のご指導に従い南と戦ってきた、わが国民が得た勝利の賜物だ。俺は獄中で敵の思想改造にも、甘い誘惑にも、拷問にも屈せず、金将軍に対する忠誠を貫き通してきた甲斐があった”と、貴方は胸を張って私に言えますか?』と聞きたいのにと。

 こんな事を通訳が正直にこのご老人に伝えてくれる訳も、また仮にこのご老人が正直に答えてくださっても、通訳がその言葉通り訳して俺に伝えてくれる事は100%無いのが判るだけに、俺は今回の旅行で朝鮮語ができない事をこれほど悔やんだことは無かった。

 タイとミャンマー国境の、タイ側の街メソットと言う所に、前の戦争で中国からマレシーヤ・シンガポール・タイと転戦し・あの悪名高いインパール作戦にミャンマーへ駆り出され、敗戦をミャンマーで迎え、一旦は捕虜として収容所へ収容されたが『イギリス軍は日本へ送り帰すと騙し、船に乗せ沖合いで船を撃沈し日本兵を皆殺しにするらしい』と言う噂を聞き『同じ殺されるのなら』と仲間を誘い10人ほどで収容所から逃亡し、後に白骨街道(中立国のタイへ逃げ込めば助かるのではと、敗残日本兵が武器も食料もなくタイ国境を目指し歩んだ熱帯ジャングルの獣道で、殆どの逃亡日本兵はマラリヤやコレラに侵され歩けなくなり倒れ、二度と起き上がる事無く死んでいった日本兵士の屍が放置され、何十キロにも及んで白骨で埋め尽くされこの名がついた、タイ国境に近いミャンマー領内の熱帯ジャングルの中を走る獣道)と呼ばれる道をひたすらタイ国境を目指し逃亡し、10人の仲間の大半を失いながらもタイ領内に逃げ込み、そのまま今日まで60年間も国境の街メソットに住んでおられる、元日本軍兵士のNさんのお宅へお邪魔した時に『何故日本へお帰りにならなかったのですか?』とお聞きするとニャーッと笑って、二階の仏さんが奉ってある部屋へ案内してくださり、仏壇の横に飾ってある昭和天皇の写真を指差し『捕虜の恥づかし目を受けるより戦ってお国のために見事に死にます。と両親や兄弟・親戚に誓って日本から出てきた身の私“戦争に負けました”と故郷におめおめとは帰れません。それと何年か前に、一度親切な日本人が故郷へ連れて行って下さったのですが、私の先祖が眠る墓地に、父のお墓と並んで私のお墓が立っていたのです。お坊さんこの意味が判りますか?墓があるという事は、もう私は死んだ事として遺産相続は終わっている、遺産問題はケリがついていると言うことです。そこへ私が帰ってきたらもう一度相続の話し合いをしなければならない、弟達が継いでいる遺産をもう一度返せと言う事になるのです。そんな事が弟達に言えますか?私が戻らない方が兄弟は末永く仲良く暮せるのです』とさっぱりした表情で話してくださったのを、朝鮮の英雄と言われ、『そんな事は俺には関係ないよ』と言う顔で魚釣りをしておられる、ご老人の罪のない子どものような顔を見ているうちに、タイのメソットで暮しておられるNさんのお顔が俺の脳裏に浮かび“そうだこの旅を終えタイに帰ったら、久しぶりにNさんのお顔を見に行こう”と何故かNさんが恋しくなった。

 一九六八年に拿捕されたアメリカの情報収集艦プエブロ号は、現在も大同江で一般公開され、反米教育に利用されていた。
 ここではチョゴリを着た喜び組の姉ちゃんではなく、また若い女性兵士がガイドとして現れて船内を案内してくれた後、日本語のビデオを見せられた。

『アメリカがいかに悪い国か』をアピールするために作られたビデオで、アメリカは北朝鮮に身柄を拘束され捕虜となった乗組員を、アメリカ側に返還してもらう為に、スパイ活動を認め北朝鮮に正式に謝罪したが、領海侵犯については未だに意見が食い違っているという。

『アメリカは領海侵犯をしたのに、それを認めないという本当に悪い国だ』と。

 俺はビデオを見ながら笑いをこらえるのに必死だった。
何言うとんねん! お前らは領海侵犯どころか、本土上陸までして、人までさらって行った上に、我が国は関係ないと未だにしらばっくれとるやんか! 自分のこと棚にあげて、人のこと言うな! お前らに領海侵犯云々いう資格はないわい!
 
 日本も含め世界中のどの国も、自分の国が悪かったとか、間違っていたとかは、あえて言わないとは思うが、自分たちの正当性だけを抜け抜けと主張するビデオを次から次へと見せられるこの旅行に、俺はいい加減嫌気がさしていた。

 俺はこの旅のあいだ中、それとはなしに何回か機会を見ては通訳に、拉致や朝鮮の工作船の日本上陸やスパイ活動の事を聞いてみたが、彼らには殆ど何も知らせられてはいないようだった。
 
 でも俺たちの宿泊先である羊角島国際ホテルでは、NHKのニュースが見られ昨夜も拉致問題が放送されていたので、彼らも俺たちと同じホテルの同じ階の部屋に泊まっているのだから、昨夜のNHKのニュースも当然見ているのでは?それともNHKTVが見られるのは外人、それも日本人を泊めるために特別に用意された部屋だけなのだろうか?それにしても掃除やシーツ交換のために部屋へ入るメード達だったら見られる筈だが。それとも、この国ではメードにまで監視が付いているのだろうか?

『他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
   ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。』               ダンマパダ 第四章 50

『他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は隠してしまう。
・・・・狡猾な賭博師が不利な賽の目をかくしてしまうように。』            ダンマパダ 第十八章 252

『“その報いはわたしには来ないだろう”と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、大きな水瓶でも満たされるのである。愚かな人々は、少しずつでも悪をなすならば、やがて禍に満たされるである。』
       ウダーナヴァルガ 第十七章 5

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