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交通総研総合管理局コミュの開業記念日

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今日は昭和39年10月1日は東海道新幹線の開業日です。今から43年前のあの日東京駅(ひかり1号AM6:00発)と新大阪駅(ひかり2号AM6:00発)が走り出しました。世界初の超特急と言う事で、世界中に鉄道復権の礎を築いたのだ。ただ残念なのが「新幹線の生みの親」と言われる十河総裁と島技師長は出発式には出席できなかった。あの有名な出発式の方は5代目総裁石田禮助氏だった。十河氏は予算超過の責任を取り直前で辞任になり島氏は引率退職したのだった。しかし島氏の頭の中には新幹線はなかった宇宙に向けられていたのだった。その後、島氏は宇宙開発事業団初代理事長に就任していた。私としてはやはり十河氏にやってもらいたかった。いや当時の国民はみんな同じ思いだっただろう。当時は1:1ダイヤといって毎時ひかり1本こだま1本と今じゃ考えられないダイヤだった。また時間は東京〜新大阪間でひかりは4時間の14往復、こだまは5時間の12往復の他区間列車が4往復の30往復が設定された。この時間は急工事のため路盤が固まっていなかったための暫定的なものだった。しかもひかりは全指定で超特急料金が必要だった。こだまは特急料金で乗車できた。お互い12両の0系は流線型の飛行機に似た形は、設計の技術者が海軍の戦闘機を製作していた三木忠直氏で、振動理論は松平靖氏も戦闘機の振動問題のプロで、信号保安としてATCを完成させた川辺一氏を部下に持った島氏は、親の島安次郎氏の長年の夢であった広軌の4つの力を結集させて、しかも小田急のSEを国鉄線で試験走行させて実力を付けて行った。ここに世界初の超特急0系が完成したのだ。そして国鉄からJRになるまで基本姿勢は変わっておらず、N700系と流れていくのだった。詳しい内容は「新幹線をつくった男」(筆者高橋団吉氏)をご覧下さい。

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