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シュタイナー的生活を楽しむコミュのラザロの復活

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34週
12/7〜13

不思議にも私の中の古いものが
新たに生まれたものの力で
生き生きと甦りはじめる。

それは、宇宙の力を目覚めさせ、
その力を私の人生の
この世の仕事の中に流し込む。

そしてますます力強く
私を存在界の中に刻印づける。
        (シュタイナー 高橋 巌訳)
……………
「ラザロの復活」が記されている

ヨハネの福音書11章は、

ドストエフスキーの小説「罪と罰」の中に、

全て記載されているほど、

有名な聖書の内容である。

娼婦ソーニャが主人公ラスコルニコフに

力強く読んで聞かせる場面は、

圧倒的な迫力に満ちている。

クリスマスが近づいて来たので

イエス・キリストに思いを馳せるために

『ヨハネ福音書講義』から

「ラザロの復活」についてみてみたい。

「ヨハネ福音書講義」は、シュタイナー死後

50年の間、封印されていたとのことである。

私のようにクリスチャンでない立場で読むと、

抵抗なく読めるが、

既成のキリスト教会に通う人達が読むと、

なかなか受け入れることのできない内容だからであろう。

この時の講義は、或る個人の住宅の小さな家で行われたことからみても、

この内容に耐えられる人だけを集めての講義であったことが想像できる。

第4講「ラザロの復活」についての

解説もその一つであろう。

シュタイナーは、

ラザロの復活の章によって、ヨハネ福音書全体は、

二つの部分に分けられると述べている。

その後半部分は、

復活したラザロが書いたものであると語っている。

さて、ヨハネ福音書講義の第4講「ラザロの復活」を

読み進める前に、

聖書でのこの内容をみておきたい。

ヨハネ福音書第11章を要約すると、以下のようになる。

「マリアとマルタの兄弟ラザロが、病気であった。

姉妹たちはイエスのもとに人をやって、それを知らせた。

イエスはマリア、マルタ、ラザロを愛していた。

イエスが行くと、四日前にラザロは亡くなっていた。

イエスは涙を流し、どこに葬ったか訊ねた。

墓は洞穴で、石でふさがれていた。

イエスはその石を取りのけるよう言った。

マリアは『四日もたっていますから、もう臭います。』と言った。

イエスは、信じるなら神の栄光がみられる、と言った。

人々が石を取りのけると、イエスは天をあおいで言った。

『父よ、わたしの願いをいつも聞いてくださることを、

わたしは知っています。

あなたがわたしの願いを聞き入れてくれるのは、

周りの人々に信じさせるためです。』

こう言ってから、『ラザロ、出てきなさい』と叫んだ。

するとラザロが、手と足を布で巻かれたまま出てきた。

顔は覆いで包まれていた。

イエスは周りの人々に『ほどいてやって、行かせなさい』と言った。

死から蘇ったラザロを見るため、

大勢のユダヤ人が集まってきた。

そして、イエスを信じるようになった。

しかし、祭司長やパリサイ派の人々は、

皆がイエスを信じるようになったら、

ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまう、

と言ってイエスの暗殺計画を進めた。

彼らは、この日からイエスを殺そうと相談したのである 」

以上が「ラザロの復活」についての第11章の要約である。

引き続きヨハネ福音書講義を読み進めてみたい。

「ヨハネ福音書の真ん中の箇所で、

一つの事実が述べられていますが、

この事実を理解しませんと、

そもそもこの福音書を受け入れることができなくなってしまいます。

真実の証しを裏付けるために述べられている箇所のすぐあとに、

ラザロの復活の章が続きます。

ラザロの復活の章によって、

ヨハネ福音書全体は、二つの部分に分けられます。

その前半の部分の終わりに、

イエス・キリストの存在を主張し、

そのための裏付けを行う洗礼ヨハネの証しがあるのです。

そして後半部、ラザロの復活の章に続くすべての部分が、

『主が愛したもうた』(13章23)

と言われる弟子の証しとみなされるべきなのです。」(p71〜72)

一体「ラザロの復活」には、

どういう意味が込められているのか。

そして、ラザロを復活させたことこそが、

人々をしてイエス・キリストに敵対せしめたのであった。

敵対者たちは、なぜラザロの復活にあれほど激昂したのか。

なぜその時から迫害が始まったのか。

この章の中に一つの秘密がある。

そして、背後に隠されているその秘密は、

ヨハネ福音書の著者が本当は誰なのかを伝えようとしている。

このことを理解するためには、

古代の秘儀における「参入」過程に眼をむけなければならない。

このとに関してシュタイナーは以下のように述べている。

「秘儀に参入した人は、みずから霊界を体験することができました。

ですから霊界の証人になることができたのです。
・・・
しかし古代においてそのことが成就されるためには、

肉体、エーテル体、アストラル体、自我のすべてが、

特別の状態に移されねばなりませんでした。

秘儀に参入する人は、事情に通じた導師によって、

三日半の間、仮死状態に移されました。

次のような理由から、そうされたのです。

現在の進化期においては、人が通常の意味で眠りますと、

その肉体とエーテル体はベッドに横たわり、

自我はアストラル体と共に外へ出て行きます。

そのときは、周囲に霊的な事実を知覚できません。

なぜなら、アストラル体は、まだ霊的な知覚器官を持っておらず、

周囲の世界を知覚できないからです。

アストラル体と自我がふたたび肉体とエーテル体の中へ入り込み、

ふたたび眼や耳を使うことができるようになったとき初めて、

物質界が環境世界として知覚できるのです。

参入する人は学習によって、

アストラル体の霊的な知覚器官を働かせることができるようになっていました。

さて、アストラル体の知覚器官が育成されたとき、

アストラル体は変容したみずからをエーテル体に、

ちょうど印鑑の文字が封臘に刻印されるように、

刻印しなければなりません。

このことが大切なのです。

秘儀伝授の準備はすべて、

アストラル体をつくり変えるために必要な

内的経過に没頭させることにあります。

人間は、かつて、今日のような眼や耳を持たず、

─光に身をさらしたことのない動物たちが眼を持っていないように─

外的感覚器官が形成されていない時期を通りました。

光が眼を、音が耳をつくり出したのですが、

瞑想と集中によって、内的に体験する事柄が、

眼に対する光のように、耳に対する音のように、

身体に作用するのです。

瞑想と集中によってアストラル体がつくりかえられ、

高次のアストラル界を見ることのできる

認識の諸器官を育成するのです。

しかし、その諸器官は、

まだエーテル体には十分刻印づけられていません。

あらかじめアストラル体の中に形成されたものが、

さらにエーテル体にみずからを刻印づけた時初めて、

その諸器官は確かな認識の働きをするようになるのです。

しかし、エーテル体が肉体の中に取り込まれている限り、

修行によって獲得されたものをエーテル体に刻印づけることはできません。

そうするためには、

あらかじめエーテル体が肉体から抜け出ていなければなりません。

ですから三日半の仮死的な眠りの中で、

エーテル体が肉体から抜け出た時、

アストラル体の中で準備されてきたすべてを

そのエーテル体に刻印づけるのです。

そのようにして、古代人は霊界を体験することができました。

そして、祭司である導師によって再び肉体に呼び戻されたとき、

みずからの体験によって、霊界の証人になったのです。

この経過は、イエス・キリストの出現によって、不必要になりました。

三日半の仮死状態の眠りは、

今、キリストに発する力に取って代わられます。

事実、すぐに述べますように、

現代人のエーテル体がいくら肉体の中に取り込まれているとしても、

アストラル体が準備してきたものを

そのエーテル体に刻印づけることができるくらいの強力な力が、

ヨハネ福音書の中に存在しているのです。

しかし、そのためには、

イエス・キリストの存在を前提にすることができなければなりません。

上述(三日半の仮死的眠り)した経過を辿ることなしに、

キリストへの瞑想行(七段階の)と集中行だけによって、

アストラル体の中に育成されたものを

エーテル体に刻印づけることができなければなりません。

一方、以前の経過は、秘儀の中で演じられました。

すなわち参入者は司祭である導師によって

仮死的な眠りの中にもたらされ、

続いて高次の諸世界に導かれたのです。

そして再び導師によって肉体の中に呼び戻され、

かくして参入者はみずからの体験を通して、

霊界の証人となったのです。」(p73〜75)

三日半の仮死的眠りを経過することは、

これまで常に最も大切な秘密とされてきた。

人々は、秘儀の諸経過について何も知らされなかった。

そして、イエス・キリストによって、

古代の秘儀参入の代わりに、新しい参入の仕方が、

あとで述べるような力によってもたらされた。

秘儀参入の古い形式には終止符が打たれ、

古い時代から新しい時代への移行が達成された。

しかしこの移行が果たされるには、

誰かをもう一度古い仕方で、

しかしキリスト的な秘教の中で、

霊界に参入しなければならなかった。

このことがなし得るのは、イエス・キリストであった。

そして、霊界に参入したのがラザロであった。

ラザロは三日半仮死の眠りについた。

こうして、霊界に参入し、霊界の証人となったのである。

主みずからがラザロを秘儀に導き、今ラザロは墓場から、

つまり秘儀の場から秘儀参入者となって甦ったのである。

このようにして、ヨハネ福音書の前半においては、

古いヨハネの証言が、後半においては主みずから導師をつとめた

新しいヨハネの証言が記されている。

そして後者のヨハネこそが甦ったラザロなのである。

ヨハネ福音書の後半はラザロが霊界に参入し、

霊界での知った事実を語った内容なのである。

また、イエス・キリストがラザロを復活させたその日から

イエスに対する迫害が始まったと聖書には書かれているが

それはなぜなのか。

引き続き読んでみたい。

「ですから、ラザロを秘儀に導いたとき、

それを古い秘儀伝統を破る行為だと思ったのです。

『この男は多くのしるしを行っている』(11章47)、

この者と共に生きることはできない、と彼らは思ったのです。

彼らの考え方によれば、イエス・キリストは秘儀を裏切った者でした。

深い秘密にしておかなければいけないことを、

彼は公然と行ったのです。

だからこそ、彼らはイエス・キリストに敵対せざるをえなかったのです。

イエス・キリストの迫害は、この時から始まりました。」(p78〜79)

教条主義を貫き古い教えを守ろうとする

パリサイ人やその他の名で呼ばれた人々は、

イエス・キリストを見て、

この者は古い秘儀の原則に反した行為をしている、

到底認めることのできない行為を目の前でやっていると

許せない思いで見ていた。

彼らは保守的だったので、

古い秘儀の原則に忠実であろうとしたのである。

いつの時代も新しい時代の始まりに

干涸らびた悟性のものさしで見ようとすると、

真実が見えてこなくなるのである。

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