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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第24週 「ヨハネの黙示録」を読む

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9/16〜9/23

魂は絶えずみづからを創造しつつ
おのれの存在を確認する。

宇宙霊はこの自己認識の中で
新たな甦りを続け
魂の闇の中から
自覚せる意志を実らせる。
   (Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
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この夏は猛暑で思考が停止状態であった。

朝夕と涼しくなったので、読書の行を再開しようと思う。

そして思いついたのが『黙示録の秘密』(西川隆範訳 水声社)である。

今、何年かぶりに第三講まで読み進んだが、

「どきどき、わくわく」しながら毎日少しずつ読んでいる。

シュタイナーは、「ヨハネの黙示録」には

キリスト教の最も深い真理が込められているという。

しかし、聖書の中でも最も難解とされる「ヨハネ黙示録」。

私も何度か読んだが、なかなか頭に入ってこない。

新約聖書の最後に登場する預言書である。

紀元96年頃、パトモス島のヨハネによって書かれたとされている。
 
「黙示録」は恐怖に満ちた内容であるため、

長い間“異端の書”として扱われてきた。

ローマ・カトリック教会が正典として認めたのは2世紀中頃だが、

それ以後も「偽預言書」といわれ、

なかなか完全には受け入れられなかった。

現在でも、教会で朗読されることはめったにないといわれている。

この秋、「ヨハネ黙示録」に

挑戦してみたい。

それによって、「人智学」のさらなる神髄を求めてみたい。

さて、この書は、これまで様々な解釈、誤解を受けてきた。

黙示録はこれまで人類の予言の書としてとらえられてきた。

しかしシュタイナーはこの書は単なる予言の書ではなく、

古代の秘儀参入者たちによって伝えられた人間の原初の聖なる書物だという。

この書物にはキリスト教の最も深い真理が込められているという。

だからこそ最も誤解されやすい文献だというのだ。

各々のキリスト教党派が、自分たちの見解に役立つような仕方で

黙示録を解釈したのである。

シュタイナーは、黙示録の驚くべきヴィジョンを、

地球がアストラル的天体に変化し、

人間が高次の霊的世界へと

再び上昇する時代を描いたものであるとした。

そして、あの「666」に秘められた謎を

独自の壮大な霊学によって解明している。

まず、気になるのが

「黙示録」の筆者は誰なのかということである。

シュタイナーは『神秘的事実としてのキリスト教と古代密犠』において、

あの死後三日半後によみがえった

「ラザロ」が福音史家ヨハネであると語っている。

(ラザロについて詳しくは以下のトピック参照)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66329462&comm_id=1919673

さて、1講の「ヨハネ黙示録とキリスト教の秘儀参入」について

の以下の部分を引用して考察してみたい。

「霊学の教義に単に理論的に取り組むのではなく、

霊学が私たちの人生を魂の深みまで霊化し、

燃え立たせ、高め、

そして、私たちが人間および全世界と密接なきずなを結んだときに、

この人智学的な生き方というものは理解できるのです。

感覚界、感覚的・可視的な存在のなかに現れるものは、

すべてその背後に横たわる不可視で

超感覚的な存在の外見であると感じるのは、

大きな意味のあることです。

人智学を生きる者にとって、

世界はついには神的・霊的存在の人相のようなものになっていきます。

そして、自分の周囲の可視の世界を考察すると、

まるで顔の特徴をとおして心、

魂を洞察するのと同様のことができるようになります。

山や岩、植物、動物、人間のなかに現れるものすべて、

周囲の世界のなか、人間の行いの中に現れるものすべてが、

背後に存在する神的・霊的存在の表現、

外見のようになります、

そして、このような考察から新しい生命が生じ、

情熱が燃え上がります。」(『黙示録の秘密』p7〜8)

 私たちが人生の中で経験する大小さまざまな出来事を

人智学的な態度から発する光で照らし、深めることができる。

人智学的な態度で生活することによって、

物質的に知覚される全ての中に、

超感覚的・霊的なものの表現をみることができるのである。

私たちが日々知覚しているものは,

水面に浮かぶ氷と同じように

魂・霊界に浮かんでいるものである。

このように、感覚的事物の本当の姿は、

その周囲の魂界、霊界と同じ素材からできていて、

それが形を持っているだけなのである。

氷の成分が水であるように、

感覚的事物の実体は魂と霊なのである。

感覚でとらえることのできる世界は、

ただ感覚的に知覚される特定の性質によって

魂界、霊界から独立しているだけなのである。

さらに、魂界と霊界は、私が知覚している現象を通して、

絶えず私に学ぶべきことを語りかけている。

その内容を学ぼうとするなら、

いかなる瞬間も、

異質の世界を容れることのできる

全く空の容器になることができなければならない。

われわれ自身の内に発する判断や批判の全てが、

沈黙する瞬間だけが、認識の瞬間なのである。

たとえば、ある人と出会ったとき、

その人よりわれわれの方が

もっと賢明であるかどうかということは全然重要ではない。

全く無分別な幼児といえども、

偉大な賢者対して開示すべき何かをもっている。

そして、その賢者がどんな彼らしい賢明さで

幼児を批判したとしても、

そう批判することで、

その賢明さは曇りガラスとなって

幼児が彼に開示しようとする事柄の前に立ちふさがる。

高次の世界の真実への認識に到ろうとするなら、

自分自身の持つ全ての偏見を

どのような瞬間にも消し去ることができなければならない。

自分を消し去るときにだけ

他のものが彼の内に流れ込む。

自分を無にして、

対象への帰依を高度に所有することだけが、

いたるところで人間をとりまいている

高次の霊的諸現実を受け入れさせる。

人間、自分自身だけでこの目標に向かって

この能力を意識的に育成することができる。

たとえば、周囲の人間に対して

どのような判断も下さぬように試みることができるであろう。

好きとか嫌いとか愚かだとか賢いとか、

人が日常下す判断の基準を自分の中から消し去るのである。

そしてこのような尺度なしに人間を純粋に

その人間そのものから理解することを試みるのである。

最上の修行は嫌悪を感じている人間について、

このことを行う場合である。

あらゆる力をふるって嫌悪の念を抑え、

その人間の行う全てのことを心を開いて自分に影響させるのである。

あるいは、何か判断を下したくなるような状況にあるとき、

判断するのを我慢して、とらわれず印象に心をゆだねるのである。

事物や出来事について語るよりも、

事物や出来事が自分に語りかけてくるようにすべきである。

このように意識して生活することによって

アストラル体に魂界・霊界を見ることのできる

「器官」を形成することができるというのである。


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