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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第10週 天文台にて(金星の太陽面通過)

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6/10〜6/16

太陽の輝きが
夏空の高みへ昇り
私の個人的な感情を
果てしない空間の彼方へ連れ去る。

私の心の内部には予感が目覚める。
そして暗い感情が私に語りかける。

「神的存在が今
私のことを感じとってくれたと、
いつかかならず
知るときがくるであろう。」
(Rudolf Steiner  高橋 巌訳)  
…………………………

http://youtu.be/-PPhkK4FOhM
http://www.youtube.com/watch?v=6NifG7EGWD0

6月6日は、楽しみにしていた金星の太陽面通過を

見るために、車で一時間あまりの天文台に行った。

午前9時半から2時までが観察会ということだったので、

10時前に現地についた。

天文台の玄関の前で、

直接、目で覗いて観察する天体望遠鏡が4台、

その他、大小のスクリーンに映し出している

天体望遠鏡が2台設置してあり、

自由に観察できるようになっていた。

約50名ぐらいの人がすでに参加していた。

他に、ある小学校の30名ほどの団体も参加しているとの

ことであったが、すでに観察を終えたのか

天文台の中のプラネタリウムに入っていた。

専門職員が2人いたので、

色んなことを聞きながら

午後1時過ぎまで観察した。

金星を天体望遠鏡で覗き込んでいると

まるで自分が宇宙の他の惑星にいるような

感覚になった。

この情景をいつでも思い浮かべられるように

脳裏に焼き付けた。

私たちは、地球全体を霊的に包む海、

太陽系という惑星の海の中で生きている。

そして、その背後にある惑星神霊のなかに生きているのだ。

観察の途中でプラネタリウムの上映が

あるというので、

約50分間、6月の星空の説明を聞きながら見入った。

調和をもって宇宙を運行する星空に

畏敬の念を持ち、改めて宇宙の神秘に感激した。

ところが、その後その感動は一瞬にして冷めてしまった。

上映が終わってから、

天文台の中にある一つの展示物をみて、

その感動はさめてしまったのだ。

「宇宙を知ることは自分を知ること」というテーマで

展示されていた。

おお〜これはいいテーマだと眺め読み進めていくと

以下のような「まとめ」であった。

1,太陽はありふれた星の一つである。
  だから地球も特別な惑星ではない。

2,宇宙はとてつもなく広い。

3,宇宙が生まれてから137億年という年月がたっている。

4,私たちも宇宙の天体も、元素の組み合わせでできている。
  
  生き物は特別なものでつくられているのではない。

え〜これが、「宇宙を知ることは自分を知ること」の結論かと目を疑った。

宇宙の神秘や畏敬の念はどこにもない。

4番目にあるように人間も天体も

単に元素の組み合わせでできているというのが結論なのだ。

まさに唯物論である。

天文学とはそういう学問だと言われたらそれまでだが、

私は、元素の組み合わせでできた存在で、

私の隣の人も同じように元素でできた存在。

そこから、どうやって隣人愛の必要性が生じてくるのだろうか?

今日、観察会に来ていた小学生も、

このような内容の学習をして帰るのだろうかと思うとぞっとした。

宇宙の神秘や畏敬の念とはほど遠い世界である。

現代の人々が、空を見上げて、

月や惑星や恒星が何かある目的をもって存在しているなど

ほとんど思いもしないだろう。

さて、シュタイナーは、人間も宇宙も

ある目的をもって存在していると述べた。

彼は、若き時よりヘーゲル哲学を繰り返し学び

そこからかなり深い影響を受けた。

ヘーゲル(1770〜1831)は世界や人間は、

何かある意味や目的をもって存在しているとした。

ヘーゲルもシュタイナーと同じように「思考」によって

霊界の第五領域(宇宙の意図を知る領域)に到達し、

宇宙と人生の意図を知るようになったのであろうと私は思う。

ヘーゲルは、世界を絶対者すなわち精神の自己展開の過程と考えた。

そして、世界史は世界精神の自己実現の過程であると考えた。

精神の本質は自由であり、歴史とは自由を実現していく過程であるとした。

これに対して、現代では、世界も人間も、意味も目的もなく、

ただ存在しているだけという思想が蔓延している。

世界や人間が意味も目的もなく存在しているだけならば、

そこに人間の尊厳性をどのように見いだしたらよいのであろうか。

人生に意味も目的もないなら

死のうと生きようと勝手であるということになる。

ただ、天体と同じ元素に帰るだけなのだから・・・。

さて、ヘーゲルは、まず、絶対者(神)というものが、

無限の絶対者である以上、

すべての有限なものを含んだものであるはずだと考えた。

絶対者は、この有限な世界のすべてを含み、

宇宙を内包するものであると考えた。

そして、この「絶対者」は、この世界の有限なものと

全く無関係にあるのではなく、

有限なものを媒介として

自己自身を発展・展開する絶対者であるとした。

絶対者は有限なものと関わりをもち、

その変化(発展)の過程を通して自己を発展させるというのだ。

従って、この世界の有限なものは、

絶対者の自己展開の一つの段階を現しているものなのだ。

この世界のことがらから出発し、

次第に認識を深めて、

有限なものの変化(発展)の過程において

自己を発展させる絶対者の把握に

到らなければならないと、ヘーゲルは考えた。

この点において表現方法は異なるが

シュタイナーの思想と重なる。

ヘーゲルは世界を絶対者・絶対精神の発展の一つの段階と考え、

全て存在するものは、その発展のための媒介と位置づけた。

天体望遠鏡の発達にともなって現代では、

宇宙の果てまで望遠鏡を使って見ることができるようになった。

人々は、天体望遠鏡で見える世界を、

ただ単に「在る」ものとして認識するようになる。

その結果、宇宙や世界は、

ただ、意味もなくそこに存在しているだけのものと考えた。

そして、そのような思想が知らないうちに

子どもの頃から、すり込まれていくのだ。

シュタイナーもヘーゲルと同じように

宇宙や世界が一つの方向性をもって

発展している過渡期にあると考えた。

彼は、この宇宙が、

宇宙自我、惑星神霊が自己を展開したものであると語っている。

惑星神霊(宇宙自我=神)は三重存在からなる。

その三重存在とは、人間のなかで?精神的自己、

?生命的精神、

?精神的人間(マナス、ブッディ、アートマ)として

生きるものであるとしている。

宇宙は惑星神霊という存在が自己を展開したものである。

そして、それは絶えず進化、発展している。

セラフィム(愛の霊)は意識魂、

ケルビム(調和の霊)は悟性魂、

トローネ(意志の霊)は感受的心魂、

キュリオテテス(叡智の霊)はアストラル体、

デュナメイス(運動の霊)はエーテル体、

エクスシアイ(形態の霊)は身体に対応する。

これらが一丸となって宇宙を形成している。

そして、歴史の原動力となっているのが、

アルヒャイ(時の霊)であり、

時代霊となって人類を導いている。

アルヒアンゲロイ(大天使)は民族霊である。

それぞれの母国語に働いて、民族を導いている。

さらにアンゲロイが守護天使として、

一人一人を加護している。

しかし、人間は神や天使の操り人形ではない。

そこが最大の問題である。

一人一人が個別的自我を確立するために、

進化から「逸脱した天使」が存在する。

アーリマンやルシファーもそれに属している。

人間はそれらの逸脱した存在と内的格闘をしながら

自分で自分を進化させていかなければならないのだ。

進化の過程こそが各自の内的格闘なのである。

だからこそ皆一人一人、誰にも理解されないような

十字架を抱えて生きているのである。

そして、今の地球は、愛の惑星をめざして進化している過程にある。

コメント(4)

天文台のお話ありがとうございます。

私は子どもの頃、天文学者になりたいと思ったほど
宇宙に傾倒していました。

まだ『畏敬』という言葉を知りませんでしたが、
夜空を見上げたり宇宙のことを思うと、
えも言われぬ不思議な感情に圧倒される思いがしました。

ところでC・S・ルイスの「ナルニア国ものがたり」の中に、
もと星だったという老人の話が出てきます。

ナルニアへ行った少年が、
「ぼくたちの世界では、星は、もえているガス体の大きなたまなんですよ」
というと、老人は、
「若いかたよ、あなたがたの世界でも、それは星の正体ではなく、成分にすぎない」
と答えます。

とても印象的な場面です。

人体を構成する物質の成分をいくら分析しても「人間とはなにか」はわからないように、
星も植物も、あらゆる目に見えるものの背後には、その正体である大いなるものが存在する…

残念ながら唯物論科学では開けることのできない扉ですね。
あめじすとさん
共感いただきとても嬉しく思います。
ありがとうございます。
ヒルフェ*ゾフィーさん
コメントをいただきとても嬉しく思います。

「ナルニア国ものがたり」とても興味深いですね。
ぜひ機会があったら読んでみたいです。

天文台に展示されてあるような内容で

小学校の頃から唯物的教育が行われたら

シュタイナーが言うように

人間があまりにも早く老け込んでいくと語っていることが

とても納得できるように思いました。

「今日行われているような授業が続いていくならば、

人間はあまりにも早い時期に老け込んで、

年老いてしまうことでしょう。

なぜならば、このような授業はアーリマン的なものだからです。

アーリマン的な授業は人間を老いさせます。

現在、学校で子どもたちを教育している方法は、

すべてアーリマン的なものです。

まさにこの20世紀では、このような教育が行われています。

そのために、人類のすべての進化は

アーリマン的なものの方向に向かっています。」(『悪について』)

シュタイナーはすでに100年前にこのようなことを

見抜いていたのですね。

ありがとうございました。

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