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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第9週 「我−汝」(東日本大震災と私)

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6/19〜6/25

夏のおとずれを知らせる
宇宙の熱が私の霊魂を充たすとき
もはや自分の意志は気にかからない。
霊視するためには光の中で
我意をすてねばならない。
予感が力をこめて私に告げる
「おのれを見出すためには
おのれ自身を失え。」
(Rudolf Steiner  高橋 巌訳)

…………………………

「我−汝」(東日本大震災と私)

東日本大震災以来、この震災が私に語りかけているものを模索し続けている。

3.11以前と3.11以後の私が高次へと変容しなければ

震災で亡くなった人たちが浮かばれないという直感が

私の脳裏をいつも、かすめるからである。

もし、日本が、そして私自身が、3.11となにも変わらなかったら、

彼らの犠牲はいったい何になるのだろう。

あなた達の犠牲の故に、日本はこのように新しく生まれ変わり、

私自身も高次へと大きく変容したのですという祈りを捧げ、

そのことが、亡くなった方々の霊に安らぎを与え、

高次の霊界へと導くと確信しているからである。

そして、これこそが亡くなった方々への最大の供養となるのであろう。

人間が苦悩し絶望できることは人間の能力の一つである。

苦悩、絶望を通してしか認識できないものがあるからだ。

その能力とは、苦悩し絶望し「死んでしまいたい」という思いを克服し、

その苦難や絶望を深め、自己の魂を高めることである。

これは、人間にしかできない特権である。

死者は彼らの栄養分となる生きている人間の心魂の中にある

思考と理念を探し続けている。

死者は、生きている人間の思考と理念を、養分として必要とする。

生きている人間が「死んでしまいたい」という苦悩と絶望を克服できる

思考と理念を見いだしたとき、それが死者の栄養にもなる。

その思考と理念を見いだすため、苦難、絶望を深めることこそが、

希望への新しい一歩となるように思う。

悲しみをもっと深め、そこから聞こえてくるものを聞き取る。

中途半端でなく、徹底して、絶望しよう。

そして、徹底して悲しみ、苦悩しよう。

そして、いっぱい涙をながそう。

私の涙が尽き果てるまで・・・。

その涙で私の魂の汚れを洗い流そう。

汚れを洗い流した時、高次の世界から魂に響いてくるものがあるはずだ。

それを聞き取れる能力が人間には与えられている。

その能力こそ人間の最高の能力なのだ。

その声は、悲しみと絶望を体験した人にしか聞こえてこない。

高次の世界からの声が聞こえてくるはずだ。

死者たちの声も聞こえてくるだろう。

その聞き取れる能力こそが絶望からはい上がる一歩となる。

私達はそれらの絶望と苦悩を克服することをとおして、

何かを脱ぎ捨て、新たに生まれ変わることができる。

「楽しみの多くをおまえは人生に感謝できよう。

しかしおまえが霊的認識を獲得できたのは、おまえの苦悩のおかげである。

おまえが苦悩のあまり破滅することなく、

そこから自分を引き上げる力が持てたおかげである。」(R シュタイナー)

この悲しみの中で魂の中からわき上がってくるものに耳を傾けたい。

シュタイナーも以下のように語っている。

「多くの人々は、大衆の魂の中から衝き上げてくるものについて、

何も感じ取っていない。

人々の魂の中で本当に働いているものをみようとしていない。

このことの中に、現在の社会要求の理解を困難にしている悲劇の原因がある。」
『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』(高橋 巌訳 イザラ書房)(P42)


この震災をマルチン・ブーバーのいう「我ーそれ」として、

客観的なよそよそしい他人事のようにみてしまうのか。

それとも、「我ー汝」として即ち、私の問題としてとらえ、

汝(震災)が私に語りかけるものを、

震災と対話し聞き取ろうとするかで大きく変わってくる。

マルチン・ブーバーは学生時代に読んで大きな影響を受けた哲学者である。

シュタイナーに通じる部分もかなり多い。

ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」という

よそよそしい存在にしか過ぎず、「我」はいくら「それ」に関わったとしても、

人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。

その「我−それ」関係に代わって真に大切なのは「我−汝」関係であり、

世界の奥にある精神的存在(神)と交わることだという。

そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として

一方的に捉えるのではなく、

相手と自分を関係性として捉えること、

すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。

たとえば、子育てや教育において、子供、生徒と関わるとき、

これまで、自分が学んだり経験したことで子供や生徒を判断するのは

「我ーそれ」の思考であり、その子供、生徒を

「それ」即ち「もの」としてしか扱っていない。

子供、生徒が語りかけてくることを聞くことができない。

しかし、「我ー汝」で関わり、ひたすら聞く姿勢に立ったとき、

そこから、大いなるものとの対話が生まれる。

「我」と「汝」が語り合うことによって

新しい発展的で高次の世界が開発されていくのである。

例えば、今日の子どもの表情は何を私に訴えかけ、

今の子どもの言動は何を私に訴えかけているのか耳を傾ければ、

子供を通して、高次の世界から語りかけてくるものを聞くことができる。

その人間に本来与えられている最高の能力を開発するのが人智学であるなら

マルチン・ブーバーとシュタイナーは繋がってくる。

花を見、小鳥のさえずりを聞くときも、

「我ー汝」の関係性、対話の姿勢で接したとき、

花や鳥の語りかけが聞こえてくる。

この「我ー汝」として、震災に今後も耳を傾け、

魂をさらに高次へと変容していきたい。

そして、高次の新しい魂を創造していきたい。

それが、人智学を学んでいるものとして、

犠牲者へ私にできる供養であると確信するからである。


コメント(6)

「汝-我」を読ませてていただきました。

深い心情の世界になにか救われる思いがしました。

常に苦しみ生きていることが、高次元に自分を生まれ変わらせ
さらに死人を救う栄養分になっているとは、忘れていたことでした。

いつの間にか、「汝-それ」の世界の中で、魂や死者の救いとは関係ない
生き方だった気がします。

先ほど、土手を小雨の中散歩しながら、「汝-我」
を繰り返し思ってみました。

関連付けた哲学や思想が薄れていると、表面だけのよそよそしい関係
にしか到達しません。

これって何だろう?と自分自身迷っていたかもしれません。

神との関係に繋がることしか、自らに救いはなく死者の救いもないこと
も改めて感じさせられました。

苦悩や悲しみを克服することこそ、死者に対する救いであるならば、
多くの死者を救う為に、

いくら遠くにいても苦悩や悲しみを共有し
自らが克服すれば、死者の魂は救われるはずだとやっと思うことが出来ました。

ありがとうございました。
私も、多くの友人が募金活動をしている中、
 素晴らしいことだけれど、何故か積極的にそれに参加していない自分に違和感を感じつつも、
  違う形で、自分ならではの何か貢献できることがあるのではないかと模索していました。

それは、この経験を学びとした時、どんな意識の変化を創造できるのだろうかと、
個人レベルではなく、身近なグループや全体へそれを共有発展できるのだろうかと、
この体験から感じる意識に合わせていました。

多くの人が、「反応」という形で、意識を変化させていると思いますが、
 進化のプロセスの流れの中だと意識しつつ、
 「思考」を通して意志に働き掛けたい、どんな意識の変化を創造したいのか感じたい。

naoさんのお話は、モヤモヤしていたものに形を与えてくれたような感じがします。
ありがとうございました

真摯に向き合っていきたいと思います。
進化、していきましょう。
かおりさん
コメントありがとうございます。

コメントを拝見して改めて痛みを共有することについて
考えさせられました。

ありがとうございました。
あやわさん
コメントありがとうございます。

mixiにトピックで載せる一日前、近くに住んでいる
福島県出身の知人に
全く同じ内容をメールで送信しました。

その方は、6月の初旬に直接、義援金を届けるために
福島の被災地を訪問されました。

シュタイナーを全く知らない方ですが、
とても共感してくださり、

昨日(18日)現地報告の講演をするので、
「我ー汝」の内容を土台にして語りたいとメールの返事がありました。

そして、昨夜、報告の電話があり、講演は
多くの方が涙を流され、共感を得たとのことでした。

改めて、人智学は普遍的に共感を与えるものであると感じました。

おっしゃるように、 多くの人が、「反応」という形で、
意識を変化させていかなければならない時代、

そして 「思考」を通して意志に働きかける時代に
さしかかっているのを感じます。
ありがとうございました。
naoさんの高貴で深く、暖かいメッセージ。
今大切なことを、真摯に伝えて下さって、
魂に素直に響きます。

この在り方を、受け止め方を、
出来たなら、見聞きするすべてが、
自分の進化のための、恵みのメッセージであると、
感謝出来ますね。

変化のためのシグナルが、いたるところで聴こえる今、
とっても重要な事ですね。

犠牲になられた方々や、今も大変苦しんでおられる方々を思うと、
涙がでて、不安定になってしまっていました。
原発問題では、隠されていた社会の裏事情や、
放射能汚染の世界の現状まで知ることになって、
途方に暮れる気持ちにもなりました。

でも、やっぱり、それでは、自分はどうあるのか、
というところで、シュタイナーの教えに帰ります。
いつも、自分の焦点を見失わない、というところで、
救われています。

『この「我ー汝」として、震災に今後も耳を傾け、
魂をさらに高次へと変容していきたい。
そして、高次の新しい魂を創造していきたい。
それが、人智学を学んでいるものとして、
犠牲者へ私にできる供養であると確信するからである。 』

魂をさらに高次へ。
わたしもそう在り続けます。
kikiさん
コメントありがとうございます。

>原発問題では、隠されていた社会の裏事情や、
>放射能汚染の世界の現状まで知ることになって、
>途方に暮れる気持ちにもなりました。


原発問題、本当に重いテーマですね。
ニュースや新聞を見るたびに政府の対応に将来への憂いを感じています。

先日訪問したスイス国民議会は、
6月8日に国内にある全原発を順次廃止し、
新たな原発も禁止する政府方針を承認しました。

スイス政府は、国内にある5基の原発を耐用年数の切れる
2034年までに廃止する新エネルギー戦略の基本を発表しました。

スイスに行って日本との国民性の違いを色んなできごとから感じました。

スイスは、朝は早いのですが、昼の12時〜2時まで、
だいたいどこでも昼休憩のようでした。

そして、夕方は、早く仕事を終了し各自が家族生活や自分の生活を楽しむ
という感じでした。

観光地のグリンデルワルドでさえ、外は8時頃まで明るかったのに
ケーブルは夕方5時すぎで終了し、

5時過ぎにケーブルの上で働いている人たちと一緒に下まで降りてきました。

6時頃には、町はひっそりしていたのに驚きました。

日本人的感覚なら、8時まで運行すればもっと儲かるのにと思うのですが・・・。

私が道に迷って泊まれなかったコミュニティーセンターも夜9時頃電話
しても録音のメーセージでした。

スタッフも家族の生活を第一にしているんだなーと思いました。
うまく言葉では表現できませんが、
このあたりの国民性の違いを感じてきました。

シュタイナーは『神殿伝説と黄金伝説』(p136)中で、
「これらは、すべて世界を支配している
偉大な霊的な働きから生じるのを知らないことに
由来するのです。

私たちの時代の不幸は、国家や社会の機構を作るための
偉大な法則を知らないことにあります」と述べています。

原発は偉大な霊的な法則に反していることは、明らかなのですが

原発の恩恵に浴してきた日本人が、
電力不足がもたらす不便と経済の低迷を
受け入れる覚悟はあるのかという問題を
どうクリアするか、
いまこそ日本人の叡智を結集したいものです。

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