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シュタイナー的生活を楽しむコミュの人間の本質 第5週

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4/20〜4/26

 光は霊の深みから現れ
 空間の中で実りゆたかに働きながら
 神々の創造行為を明らかにする。
 
 その光の中で魂の本質は
 宇宙存在にまで拡がる。
 そして狭い自我の内なる強制を脱して
 今新たに甦ろうとする。
        (シュタイナー 高橋 巌訳)  
 ……………

シュタイナーが10代の頃、人間の思考能力の及ぶ範囲はどこまでか、

という問題を捉えていた。

思考を、世界内の諸物、諸現象を己の中に包括する力へと

造り上げることが可能であるようにシュタイナーには思われたのだ。

「物質」は、思考作用の外部にとどまっていて

単に「考察される」だけだ、という思想は彼には耐え難かった。

事物の中にあるものは、人間の思考の中にも入り込んでくるはずだ、

と彼は考えていた。

15歳前後の頃、休暇中、散歩にでる場合は時と場所を選ばず座り込み、

人間はいかにして単純で明晰な概念から

自然現象の具体的なイメージに到達し得るかという問題を、

繰り返し考えてみたようである。

当時のシュタイナーにとっては、

人間の思考中には生きた精神(霊)が活動しているということを、

どの程度まで証明できるかという問題が最大の課題であった。

10代の頃からこのように人間の本質について思索をめぐらしていた

シュタイナーは、ついに『神智学』の中で

「人間の本質」を彼なりに解明したのである。

肉眼がなければ色彩感覚も存在しないように、

霊我の高次の思考活動が存在しないと直感は生じ得ない。

魂の中に働く人間の自我は、直感によって上から来る霊界の報告を受け取り、

感覚によって物質界からの報告を受け取る。

そして、自我は直感によって霊界を自分の魂固有の生活内容にし、

感覚によって物質界もそのような生活内容にすると結論づけたのである。

私達が思考するとき、思考するのは、感覚的知覚ではない。

感覚的知覚は、そのためのきっかけにはなるが、

本来の思考はもっと内的な仕方で経過する。

私達が思考するとき、思考は肉体にではなく、エーテル体に印象を与える。

生きた思考の力は、私達のエーテル体に働きかける。

思考する際、思考の生命も私達の中に入ってきているのであるが、

それが入ってくる結果、エーテル体の中で、進歩的な霊たちと、

アーリマン達との間に戦いが生じるのである。

その戦いに挑むために正しい思考を身につけ、

自己を統御しなければならないのである。

ところで、最近、すべての人間の内に霊我が萌芽として存在することに

改めて深く感動している。

すべての人間のなかに宇宙自我に対応する部分である霊我が存在しているのだ。

海から取った滴は、海と同じ本質、同じ性質を持っている。

私の内なる霊我は宇宙生命の神的なものから取られたために、

私の中に神性を見つけだすことができるのだ。

そう思って出会う一人一人をみると、とても尊厳ある存在として見えてくる。

そして、シュタイナーは全人を以下のように区分している。

A−肉体
Bーエーテル体もしくは生命体
C−魂体
D−感覚魂
E−悟性魂
F−意識魂
G−霊我
H−生命霊
I−霊人

魂体Cと感覚魂Dは、現界の人間においては、一つである。
意識魂Fと霊我も同様である。

したがって現界の人間は七つの部分よりなる。
1−肉体   
2−エーテル体もしくは生命体 
3−感覚する魂体
4−悟性魂 (対象そのものから離れた思考、理性的思考)
5−霊に充たされた意識魂
6−生命霊
7−霊人

体は物質的素材の世界から構成され思考する自我に対応する構造をもつ。

それは、生命力に貫かれ、体自身は感覚器官として自分を外へ向けて開き、
そして魂体になる。

この魂体を貫いているのが、感覚魂であって魂体と一体化している。

アストラル体とは魂体と感覚魂とを一緒にした名称である。

感覚魂は外界の印象を感覚内容として受け取るだけではない。

感覚魂に固有の活動は、一方では感覚内容を通し、

他方では思考を通して成熟していき、そして、悟性魂となる。

感覚魂にこれが可能なのは、下方の感覚内容に自己を開くと同時に、

上方の直感に自己を開くことができるからである。

このような過程を通して魂は意識魂となる。

肉体が魂のために感覚器官を形成するように、霊界が魂のために直感器官を

形成するので意識魂への進化が可能となるのである。

ということは、魂は体のみに属しておらず、霊のみにも属していない。

体と霊の媒介体のようなものではないか。

体から感覚器官により、霊から直感により地上と霊界の報告を受け取るのである。

その報告をどう受け止め、どのような悟性魂、意識魂に変容させるかは

その人の人生であり、自己責任であろう。

諸感覚が魂体を通して感覚内容を魂に伝達するように

霊は直感器官を通して魂に直感内容を伝達する。

霊人は、このことを通して、意識魂と一つに結ばれる。

ちょうど、肉体が感覚魂と魂体において一つに結ばれるように、

意識魂と霊我とはひとつになる。

この一つになった中に霊人が生命霊として生きる。

ちょうど、エーテル体が魂体のために体の生命基盤を形成するように

霊人は霊的外皮の中に閉ざされている。

魂の中で「私」は輝き、霊からの介入を受けそれによって霊人の担い手となる。

人間はこうして「三つの世界」(物質界、魂界、霊界)に関与する。

人間は、肉体、エーテル体、魂体を通して、物質界に根を下ろし、

霊我、生命霊、霊人を通して、霊界で花を開く。

しかし、一方に根を下ろし、他方で花を開くものの樹幹は魂そのものである。

ここで、シュタイナーが全人、人間の本質を「木」にたとえているので、

自分なりに分かり易く整理するために全人を「木」に喩えてまとめてみたい。

まず地上生は物質界で営まれている。

そして物質界に根をおろしているのが体である。

そして、物質界から 諸感覚が魂体を通して感覚内容を魂に伝達する。

それによってそれぞれの人間の感覚魂、悟性魂、意識魂が即ち魂の内容が形成される。

即ち、体は魂の基礎、土台となるのである。

三界(物質界、魂界、霊界)の一つである物質界の地上生を
仮に第一の世界としたいと思う。

今私たちは、地上生である第一の世界を生きている。

「一方に根を下ろしている体から樹幹となっているのは魂そのものである。」
(『神智学』p65)

とあるように魂は体と霊の仲介者、媒介者となるのである。

根(体)から、感覚器官がどのような情報を得て、それによってどのような

魂に作り上げるかが、一人一人の人生なのである。

そして、肉体が死んだとき三界のうちの第二の世界ともいえる魂界に行くのである。

これはアストラル界、欲界とも言われる。

魂界においては、思考は生きた存在である。

人間は、肉体を通して、物質界に根を下ろし、

樹幹を魂とし、霊我、生命霊、霊人を通して、霊界で花を開くのである。

この霊界が三界の第三の世界と言えよう。

このことから魂は物質界と霊界との両方にかかわり、

互いの栄養素を与えあうパイプのようなものであると理解している。

大切なのは、「体が魂の基礎であるとすれば、魂はむしろ霊の基礎なのである。」
(『神智学』)という部分である。

即ち魂は人間の霊と体との結合部分である。

体がどのような魂を形成するかの基礎、土台であるように、

魂は私が、どのような生命霊、霊人を形成していくかの基礎、

土台となるのである。

その意味で、幼児から成人までに、どのようにして、感覚魂、悟性魂、意識魂の

内容を形成していくかが第三の世界への基礎、土台となるのである。

魂を喜びで充たすような思想に多くふれ、いかに共感する感情を

育成するかが課題となるであろう。

心の中で「感謝」「ありがとう」という思考はエーテル体に影響を与える。

そういう思考は、体である神経にまで影響を与えると共に、
 
生命霊、霊人を形成する基礎となるのである。


(今回の「魂のこよみ」光とは霊光であり「宇宙自我」であろう。宇宙自我は開悟をもたらし、自分の周囲に、霊光を見いだせるようにするのである。)

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