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シュタイナー的生活を楽しむコミュの新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事 39週

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1月3日〜1月9日
 
 神の啓示に帰依する私は
 宇宙存在の光を受け取る。
   
 明るい思考の力が育ち
 その力が私に私自身を与える。
 こうして自己感情が
 思考の力の中から生まれ
 私を目覚めに誘う。
     (シュタイナー 高橋 巌訳)  
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新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の 
   いや重(し)け吉事(よごと) 大伴家持

新年の朝、起きてみると、こちらでは雪が積もっています。

今、また雪が降りはじめました。

今年も、ちょうど万葉集のこの歌にふさわしい

新しい年の幕開けです。

昨年に続きこの歌が沸々と思い浮かんできました。

あけましておめでとうございます。

今年もこのコミュニティの皆様の上に、

降る雪のように幾重にも積み重なるように

良いことが起こりますようにお祈り申し上げます。

当時、新年に降る雪は吉兆とされていました。

新年に降る雪は、今年は「めでたいこと」が多く積み重なりそうな
予感をさせます。

さて、今年も自分自身がシュタイナーを学んでいく途上でのメモ書きとして、

思いつくままにトピックを書いていきたいと思っています。

昨年も皆様のお蔭で書き続けるという精神集中をする時間を持つことができ、

この一年で自分自身理解が深まっているように思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

〜2010年 生きた思考への出発〜

去年の秋から「自由の哲学」をじっくり読んで、

次第に自分の中の何かが変化していくのを感じた。

やはりシュタイナーを自分のものとして掴み日々実践していくには、

「自由の哲学」の理解のが大切であると改めて実感している。

「思考」することが重要なのは、高次の直感内容を

取り出すためであると理解している。

これにより、この社会での複雑な難問が解決されると実感している。

さらに、シュタイナーは自分の行動の根拠が、

自分の内部の「個体の理念部分」にある時、

「自由な行為」であると述べている。

このような「自由な行為」としてのアガペーの愛を実践した例として、

「善きサマリア人のたとえ」がある。

要約すると以下のような話である。

「ある人が エルサレムという大きな都からエリコという町へと

下っていく途中、追いはぎに襲われてしまった。

追いはぎは、その人の持っているもの全部と着ていた服を剥ぎ取り、殴りつけ、

半殺しにしたまま行ってしまった。

ある祭司がたまたまその道を下ってきたが、

息も絶え絶えのその人を見ると道の向こう側を通っていってしまった。

それからしばらくして、レビ人もやってきたが、その人を見ると

やはり道の向こう側を通って行ってしまった。

しかし、そのつぎにそこを通りかかったサマリア人は、

倒れているその人を見ると、

気の毒に思い、近寄って、傷に油とぶどう酒を注ぎ、

包帯をして 自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って、介抱した。」
 (ルカによる福音書 10章 25節〜36節より) 

今から2000年前ユダヤ人とサマリア人との間では
激しい民族・宗教対立をしていた。

追いはぎに襲われた人はユダヤ人だったようで、

当時この地の部族間の対立はかなり厳しく、様々な争い事をしていた。

ユダヤ人はサマリア人をかなり軽蔑していたらしく、
その仲は、もう犬猿の仲であった。

通りかかった最初の2人は、その人が襲われるには、

何か狙われる理由があるのだろう。

例えば、過激派集団のエッセネ派かも知れないと考えたのだろう。

祭司やレビ人は、襲われた人を救ってしまうと、

今度は自分たちが襲われる標的にされることになる。

自分たちの帰属する集団の論理から、助けたくても助けられないのである。

そして、見知らぬ振りをしてわざと道の向こう側を通った。

善きサマリア人は、半ば死にかけたユダヤ人をみて、

気の毒に思い、近寄って様子を見、傷の手当てをして、

宿に連れて行き、一晩 見も知らぬ敵である死にかけた人の介抱をした。

ユダヤ人に軽蔑される側のサマリア人は、

翌朝、自分は行かなければならないのでといって、

宿の主人に、お金を渡し怪我人の介抱を頼んだ。

最初の二人は、へたに介抱すると他人に何と言われるかわからないと、

世間体、社会のルールやしきたりなどを気にして行動した。

時々、本当の自分とは何だろうかと思う.

本や新聞や何かの情報で得た知識を元にして

それがあたかも「自分の考え」のように行動しているのが

本当の自分なのだろうか?

それは、自分の中の「死んだ抽象物の思考」である一つの

教条化された概念に行動の根拠を持っている。

これでは、自分の人生の「主人公」とは言えない。

シュタイナーが語る「思考」による直感内容から取り出した

「生きた思考」と結びついたとき「本当の自分」が生まれるのではなかろうか。

善きサマリア人は、思考による直感内容から取り出した

「生きた思考」に行動の根拠を持って行動した。

自分の中の思考内容である「古い抽象物」と、「生きた思考」が自我の中で
一つに結びついた。

そして、そこに既成概念にとらわれない全く新しい「思い」が生まれた。

これこそ自由な魂による判断だったのではなかろうか。

このアガペーの愛を行動に移した「善きサマリア人」こそ、

「自由の哲学」を実践している人であり「倫理的個体主義」を

体得している人であろう。

今年は「善きサマリア人 」と「倫理的個体主義」を意識して

2010年を迎えたい。

そして「生きた思考」が、いつも泉のように湧き上がる

2010年でいたいと思う。

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