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ゴスペルハウスコミュの「どの口が語るか!」2022.02.05

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.02.05
「どの口が語るか!」使徒3:12-19

12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
16 このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。
17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
19 ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。

使徒行伝の第2章には、ペンテコステの日の出来事が描かれています。
ルカは、テオフィロのために、事実を順序立てて、ルカの福音書と使徒行伝を記しましたから、今週の聖書箇所は、ペンテコステの出来事からそんなに日数が経過していないと考えていいでしょう。

ペテロとヨハネが午後の祈りのために宮へ行くと、美しの門で生まれつき足の不自由な人が施しを求めていました。
施しを求める彼に、ペテロは「私たちを見なさい」と言いましたから、彼は期待したことでしょう。
しかし、ペテロの答えは意外なものでした。
「金銀は私にはない。」
がっかりしたであろう彼に、ペテロは続けます。
「しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
ペテロの言葉どおりに、彼は立ち上がり、喜び踊りながら、ペテロたちとともに宮に入っていったのです。
それを見た人々が驚き、ペテロに近づいてきました。

その時のペテロの言葉(説教)が、今週の聖書聖書です。
ここから、「どの口が語るか!」というテーマで、御言葉を開きましょう。

ペテロは、人々にこう訴えました。
「あなたがたは(中略)、この方を拒みました。」(13節)
「あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで」(14節)

しかしそもそも、ペテロはこんなことが言える立場なのでしょうか。
ヨハネの福音書第13章37-38節にはこうあります。
37 ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

イエスさまは、ペテロの裏切りを予告しています。
そして、ヨハネ第18章27節です。
27 ペテロは再び否定した。すると、すぐに鶏が鳴いた。

予告どおりに、ペテロはイエスさまを裏切るのです。拒否するのです。
このペテロの裏切りは、4つの福音書すべてに記されています。
否定しようのない、みんなに知られている、事実なのです。

ペテロは、イエスさまが十字架につく前の晩から未明にかけて、3回もイエスさまを拒んでいるのです。
その彼が、「あなたがたは(中略)、この方を拒みました。」とか、「あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで」とか訴えているのです。
まさに、「どの口が語るか!」、「お前がいうか」、今風に言えば「大ブーメラン」ということです。

この出来事は、ペンテコステから間もない頃のことです。
ということは、イエスさまの十字架や、ペテロの裏切りからも、そんなに時間は経過していません。
ペテロの失敗は、だれも忘れていない頃なのです。
なのに、あえてペテロは、訴えるのです。

それは、なぜでしょう?
ペテロには、自分の弱さは身にしみています。
それは、自他ともに認めることでしょう。
しかし彼は、イエスさまによって赦され、力を与えられ、立ち直り、立ち上がったのです。
ヨハネ第21章15-17節にあるとおりです。
15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

それも、イエスさまの予告どおりでした。
イエスさまは、最後の晩餐の日に、ペテロにこう話していたのです。
「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32)
ペテロの弱さも足りなさも、隠されたところまで、イエスさまはすべて知り、そのうえで、赦し、力を与えるのです。
そんなイエスさまの愛を、ペテロは、いやというほど、体験したのです。

16節にこうあります。
「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」
これは、足の不自由だった人のことを言っていますが、同時に、ペテロ自身のことでもあります。
イエスさまによって、イエスさまの完全な弟子とされたのです。

続く17-19節も、ペテロが人々に訴えているのは、自分自身のイエスさまからされたことの証詞でもあるのです。
無知のために、イエスさまを拒んでしまった。
予告されたように十字架があった。
愛に立ち返り、足りなさを認めて、罪赦された。

そんなペテロが訴えるのです。

あなたは今、イエスさまを受け入れていないかも知れません。
完全な明け渡しができていないのかも知れません。
でも、神様は、そんなあなたを決して見捨てないのです。
イエスさまは、そんなあなたを、愛して、受け入れてくれるのです。
だから今、この方の救いを、十字架の愛を、拒まないでください。
神様の愛と恵みは、あなたのものなのですから。
この私が、その体験者、その証人なのだから、この口があなたに語るんです。

二千年前のペテロの訴えは、二千年前の美しの門の人々に語られただけではありません。
今、ここにいる、あなたに語られる訴えの言葉なのです。

私自身に対しても、「どの口が語るか!」と、言いたくなる人もいるでしょう。
でも、イエスさまによる再生と立ち直りを体験したからこそ、イエスさまの愛を受けたからこそ、伝えなくてはならないこと、訴えずにはいられないことがあるのです。
それは、ペテロの訴えと同じことです。
だから、もう一度言います。

あなたは今、イエスさまを受け入れていないかも知れません。
完全な明け渡しができていないのかも知れません。
でも、神様は、そんなあなたを決して見捨てないのです。
イエスさまは、そんなあなたを、愛して、受け入れてくれるのです。
だから今、この方の救いを、十字架の愛を、拒まないでください。
神様の愛と恵みは、あなたのものなのですから。
この私が、その体験者、その証人なのだから、この口があなたに語るんです。

あなたのためにお祈りします。

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