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ゴスペルハウスコミュの「祝福って --アドベント(2)--」2022.12.03

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.12.03
「祝福って --アドベント(2)--」ルカ1:26-30,40-42

26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
---
40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

先週の礼拝後に、「メッセージの中で言っていた、祝福って何?」と、質問を受けました。
礼拝メッセージの中で、特に祝福についてお話した記憶もなかったので、「なんでそんな質問が」と少し驚きましたが、族長の系図の説明のときに、「族長とは、神様の祝福を受け継ぐ者、神様の祝福の礎となる者です。」と言ったのを思い出しました。
その質問に私が、どんな答えをしたのかは忘れてしまったのですが、今週改めて、「祝福って」というテーマで、お話したいと思います。
マリアにかけられた、聖霊に満たされたエリサベツの言葉、そして、御使いの言葉を通して、祝福について御言葉を味わいましょう。

26-30節は、いわゆるマリアへの受胎告知の場面です。
エリサベツが妊娠して6ヶ月目に、マリアに起きたできごとです(受胎告知の内容は、別の週で扱うとしましょう)。
御使いの言葉に、28節に「恵まれた方」、30節に「神から恵みを受けたのです」とあり、恵みが2回告げられています。

40-42節は、受胎告知の後に、マリアがエリサベツの家に行ったときのできごとです。
聖霊に満たされたエリサベツが、「女の中で最も祝福された方」「胎の実も祝福されています」(ともに42節)と、こちらは、祝福が2回告げられます。

御使いが「恵み」、人間(エリサベツ)が「祝福」と告げているように受け取ることもできますが、英語の聖書(新欽定訳)を開いてみると、次のようにありました。
"Rejoice, highly favored one, the Lord is with you; blessed are you among women!"(28節)
"Blessed are you among women, and blessed is the fruit of your womb!(42節)
御使いもエリサベツも、"blessed are you among women!"(あなたは女の中で最も祝福された方)と、同じ言葉をマリアに告げているのです。

そう、たしかにマリアは、神様のお墨付きの、女の中で最も祝福された人なのです。
では、祝福とは、どんなことでしょう。

祝福された教会というと「人が多く集まって、献金も多くて、メッセージも面白くて、会堂が大きくて新しい教会」。
祝福された集会というと「人が多く集まって、明るくて賑やかな集会」。
祝福された家庭というと「収入が多く、子宝にも恵まれ、家族仲も良く、評判も良い家庭」。
祝福された人生というと「やること成すこと大成功、順風満帆な人生」。
そういうイメージを持つ方も、これまで持っていた方も、多くいるでしょう。
人間的には、人間の都合的には、人間の願望的には、たしかにそうかもしれません。

しかし、マリアの人生は、どうだったでしょう。
族長たちの生き様は、どうだったでしょう。
そして、イエスさまは、どうだったでしょう。

彼らは、神様からの無理難題とも思われるチャレンジを受けました。
御霊によって身籠りますとか、大切なひとり子を生贄として屠りなさいとか、到底受け入れることのできないようなチャレンジです。
神様に祝福されているとはいうものの、あまり他の人には理解されることもなく、批判や誹謗中傷、妨害や無理解が、何度もありました。
マリアも族長たちもイエスさまも、称賛や成功に満ち溢れていたわけではないのです。

たしかに、財をなした族長もいるでしょう。
しかし、彼らは天幕での生活、言ってしまえばテント生活者、放浪の人々でした。
マリアもイエスさまも、財をなしたわけでもなく、イエスさまが生まれるにあたっても、泊まる場所も与えられず、家畜小屋でイエスさまを生まざるを得ませんでした。

マリアも族長たちもイエスさまも、たしかに、神様から祝福されています。
それは、聖書が、はっきりと示しています。
しかし、人間が思うような祝福とは、人間が願うような祝福とは、違っているのです。

人間が願う祝福は、「人間の(自分の・あなたの)願いを、神様の力で、実現させるのが祝福」です。
それに対して、神様が願う祝福、聖書が言う祝福は、「神様の願い(みこころ)を、自分の(あなたの)人生に、実現してもらうのが祝福」なのです。

族長たちの人生は、「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神でありたい」という神様の願いを、実現した人生でした。
だから、祝福された人生なのです。
マリアとイエスさまの人生は、「全人類の救いのために、イエスさまが十字架で身代わりに死ぬ」という神様の願いを、実現した人生でした。
だから、祝福された人生なのです。

そこに、華やかさや快適は、ないかもしれません。
そこに、人の目に見える繁栄や称賛や成功は、ないかもしれません。
他人からの無理解や誹謗中傷が、何度もあるかもしれません、いえ、あるでしょう。
でもたしかに、神様の願いの実現、神様のみこころの実現が、そこにはあるのです。

「人間の(自分の・あなたの)願いを、神様の力で、実現させるのが祝福」
「神様の願い(みこころ)を、自分の(あなたの)人生に、実現してもらうのが祝福」
あなたが考える祝福は、あなたが願う祝福は、どちらですか。
そして、本当の祝福は、どちらですか。

あなたの人生に、神様からの祝福が、豊かに豊かに、ありますように。

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