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ゴスペルハウスコミュの「正しい人ヨセフの生きざま(アドベント-4)」2021.12.18

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.12.18
「正しい人ヨセフの生きざま(アドベント-4)」マタイ1:18-25

18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

「ヨセフは正しい人」(19節)と書かれているとおり、正しい人です。
マリアは、「おめでとう、恵まれた方。」(ルカ1:28)と御使いに言われているとおり、恵まれた人です。
正しい人ヨセフが夫で、恵まれた人マリアが妻、この夫婦にイエスさまは育てられました。

さて、突然ですが、聖書クイズです。
聖書に記されているヨセフの言葉の中で、一番最初のものは何でしょう。
ちなみに、妻のマリアは「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。」(ルカ1:34)で、イエスさまは「どうしてわたしを捜されたのですか。」(ルカ2:49)です。
答えは、メッセージ中にありますから、お楽しみに。

婚約中のマリアが、妊娠しました。
ヨセフには、身の覚えがありません。
正しい人ヨセフのすべきことは、2つの選択肢がありました。
第一の選択肢は、マリアとその姦通相手を、石打ちで死刑にすること。
これは、申命記22章の規定です。
「ある男と婚約中の処女の娘がいて、ほかの男が町で彼女を見かけて一緒に寝た場合、あなたがたはその二人をその町の門のところに連れ出し、石を投げて殺さなければならない。」(申命記22:23-24)
ヨセフはマリアを愛していたので、殺すことは選択できません。

第二の選択肢は、マリアに離縁状を渡して去らせること。
これは、申命記24章の規定です。
「人が妻をめとり夫となった後で、もし、妻に何か恥ずべきことを見つけたために気に入らなくなり、離縁状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ」(申命記24:1)
こちらの場合は、ヨセフが気に入らなかったからという理由で去らせることができます。
ヨセフが悪者に、わがまま者にされることで、マリアとそのおなかの子どもを守ることができます。

ヨセフは、自分が悪者扱いされることになっても、マリアとその子のいのちを守ることを優先しようと考えていました。
そんなときに、神様はヨセフの夢に使いを遣わしました。
そこで示された選択は、第一の選択でも第二の選択でもありませんでした。
そのまま、マリアを妻に迎えるという、第三の選択でした。
しかし、それは正しくないような選択、正しくないような道でした。

そうした場合、
マリアは、「ヨセフ以外のだれかの子を宿した、ふしだらな女」とされます。
生まれたイエスさまは、「本当の父親がわからない子」とされます。
受け入れたヨセフは、「間抜けな夫」「知らぬは亭主ばかりなり」とされます。
つまり、蔑まれて、バカにされる、そんな家族になってしまうという選択なのです。
しかも、聖書の規定からも外れているという、反論もできない、正しくもないような選択なのです。
しかし、神様の使いは、ヨセフに言うのです。

正しくないような道だけど、そこには神様への信頼があり、愛があり、いのちがあり、救いがあります。
でも、他の人には理解されることもなく、バカにされ蔑まれる道でもあります。
しかし神様は、その選択をヨセフに命じ、ヨセフはそれを受け入れたのです。
ヨセフは正しい人なのに、自分の正しさではなく、聖書の規定でもなく、神様の御心を選択したのです。
だれになんと言われようが、ヨセフはそのように生きたのです。
ここに、ヨセフの生きざまがあります。
ここに、ヨセフがイエスさまの父親として選ばれた理由があります。

罪のない神様のひとり子であるイエスさまが、十字架について全世界の罪を身代わりに負うこと。
これは、先程言った「正しくないような道だけど、そこには神様への信頼があり、愛があり、いのちがあり、救いがあります。でも、他の人には理解されることもなく、バカにされ蔑まれる道でもあります。」という、そのものです。

私たちには、自分から見た正しさがあります。
それを生きる人は、自分勝手な人です。
私たちには、だれから見ても正しいということがあります。
それを生きる人は、正しい人と言えるでしょう。
神様の御心の前に、そのすべてを捨てたのがヨセフです。
口ごたえせず、言い訳もせず、相手を論破や説得することもなく、ただ御心に生きた、御言葉に生きたのがヨセフです。

聖書には、ヨセフの語った言葉は、一つも記されていません。
このことは、ヨセフの生涯を、ヨセフの生きざまを、とても良く象徴していると思うのです。
イエスさまの公生涯には、またそれ以降にも、ヨセフの行動は一つも記されていません。
その前に、ヨセフは死んでいたというのが、通説です。
しかし、ヨセフの生きざまは、イエスさまに引き継がれ、それで私たちは救われたのです。

自分の正しさを捨て、御心とともに、御言葉とともに生きた男、ヨセフ。
十字架の死に至るまで、御心に従順だった、神様のひとり子、イエスさま。
クリスマスを迎えるこのとき、この二人の生きざまに、心を向けてみましょう。

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