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ゴスペルハウスコミュの「家を建てた人のたとえ」2021.08.15

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.08.15
「家を建てた人のたとえ」マタイ7:24-27

24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

今週の聖書箇所は、マタイ福音書の5章から7章にかけての「山上の説教」の締めくくりとして語られたたとえばなしです。
岩の上に家を建てた人と、砂の上に家を建てた人のたとえです。

このたとえの登場人物は2人です。
イエスさまのこれらのことばを聞いて、それを行う人と行わない人です。
彼らは、ほとんど同じような状況でした。
彼らは、同じように自分の家を建てました。
何か特別な特徴のある家とは書いてありません。
また、同じように災難にあいました。
両方ともに雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたのです。

それでは、両者の違いは何でしょうか。
それは土台です。
砂の土台(聞いて行わない者)と、岩の土台(聞いて行う者)です。
もろく、崩れやすい砂の土台の上に家を建てたのか、かたく、頑丈な岩の上に家を建てたのかの違いなのです。
そして結論は、私たちは聞いて行う者になるべきなのです。

それでは、何を聞いて、何を行ったらいいのでしょうか。
聖書の律法をことごとく行うというのなら、私たちには絶望しかありません。
だれも、それを成し遂げることはできないのですから。
ここでイエスさまは、「わたしのこれらのことば」と言っています。
それは、ここまで語られてきた山上の説教のことです。
山上の説教は、次のことばから始まります。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)
このことばを聞いた時、当時のユダヤの人たちは大いなる驚きを持って受け止めたことでしょう。
何の希望もない者が、何の誇るところもない者が、天国を受け取るというのですから。

ここからはじまる山上の説教は、今までのユダヤの価値観を大逆転させていくのです。
それは、新しい時代の到来の知らせです。
大逆転の時の祝砲です。
行いによる救いでなく、イエスさまの十字架による救いの時代の幕開けです。
律法の時代ではなく、福音の時代が始まったのです。
つまり、ここでの行いとは、自分の力で何かをするということではなく、イエスさまの十字架による福音(救い・贖い)を受け入れるということなのです。

この箇所の直前にはこのように記されています。(マタイ7:21-23)
21 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
22 その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』
23 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』

ここに登場するのは、何かを「自分が」したことを誇る者です。
自分の行い、それが彼らの土台になっているのです。
自分の信仰の強さが、彼らの土台になっているのです。
たとえ、それがイエスさまの名によっての善行だったとしても、自分の行いを誇っているのならば、それは神様に受け入れられるものではありません。
それは、はかないはかない砂の土台です。
不完全で弱い私たちには、謙遜が必要なのです。

逆に、このように言う人たちもいます。
「人生にも、自分にも、他人にも過剰な期待を抱かないようにしよう。
期待しなければ、少なくとも失望することはなくなるから。」
これは、にせものの謙遜です。
謙遜に見せかけて、実際は自己流の処世術を誇っているからです。
また、全知全能の神様の力をも卑下しています。
言うまでもなく、もろい砂の土台です。

私たちの本当の岩の土台は、イエスさまです。
救い主イエスさまの救いを受け入れましょう。
自分自身の力では、何もできないことを喜びましょう。
すべての罪を担ってくださった、イエスさまの十字架を誇りましょう。
何の資格もないあなたを、天国に、永遠のいのちに招いてくれた、イエスさまの血潮を誇りましょう。
私たちは、神様に希望を持っていいのです。
イエスさまの十字架によって、神様の愛は私たちに確かに示されたのです。
そこにあなたの家を、あなたの存在を、据えていいのです。

何ができるかによって、あなたの価値を計ることはできません。
あなたの価値は、神様があなたのために払った代償でわかるのです。
神様は、ひとり子・イエスさまのいのちを捧げるほどに、あなたを愛しました。
これが、あなたの人生の土台です。
ゆるぎなく、強い、喜びにあふれた、岩の土台です。
イエスさまの十字架にあらわされた、愛の土台です。

あなたの土台が、あなたの信仰が、あなたの存在が、揺るぎないものでありますように。

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