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ゴスペルハウスコミュの「迷いと戸惑いの中にとどまる能力」2020.11.21

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#ゴスペルハウスメッセージ 2020.11.21
「迷いと戸惑いの中にとどまる能力」創世記4:1-8

1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。
2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。
3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。
4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。
5 しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
6 主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
8 カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。

カインとアベルは、アダムとエバの長男と次男です。
人類史上初の兄弟であり、人類史上初の殺人事件の加害者と被害者です。

兄のカインは、耕作をする人でした。
弟のアベルは、羊飼いでした。
彼らは、神様へそれぞれのささげ物をささげました。
カインはその収穫物を、アベルは羊の初子の肥えたものを。
これらは、彼らの仕事から考えて、当然のささげ物と考えていいでしょう。

しかし、神様はアベルのささげ物だけを受け入れ、カインのささげ物をよしとしませんでした。
この理由については、様々な解釈があるようです。
「羊の初子の中から、肥えたものを持って来たアベルに対して、カインは神様に不誠実だった」とか、
「罪の赦しのためには、血を流すことが必要なのだ」とか。

結果として、神様に受け入れてもらえなかった兄カインは弟アベルを妬み、憎み、殺しました。

来週からアドベントが始まり、来年1月の第1週まではクリスマスのメッセージになります。
実質的に今回が、2020年最後の通常のメッセージですから、今年の総括をしたいと思います。

2020年、この一年を象徴するのは、やはり、「コロナ」でしょう。
コロナによって、さらに、世界の分断も進んでしまいました。
マスコミにもネット上にも、不確かな情報や明らかなフェイクがあふれ、対立も生み出しました。
不安はつのり、心配も増え、孤独を感じた方も多かったことでしょう。

私は、過去のメッセージで、「孤独は神様と対話するチャンス」と言いました。
孤独であることは、祈ることにも、本を読むことにも、適しているのです。

しかし、孤独に不安が加わると、事情が変わります。
孤独と不安の中では、本を読むことができないのです。
神様に祈ることも、集中できません。
ただ不安に振り回され、押しつぶされそうになってしまうのです。

「なんで、こんなことに!」と、叫びだしたくなる方も、少なくないでしょう。
この「なんで、こんなことに!」は、まさに兄カインの叫びです。
「なんで、弟のささげ物を受け入れて、自分のささげ物は受け入れられないのか!」

私たちは、「なんで?」「なぜ?」と、すぐに答えを求めがちです。
しかし、神様は、あえて私たちへの回答を遅らせることがあります。
私たちに、待たせることがあります。
そして、待ち切れないことによって、迷いと戸惑いの中にいられないで、失敗する人間の姿は、聖書に多く見られるのです。

たとえば、
アブラハムとサラは、約束の子どもの誕生を待てずに、女奴隷を側女にしました(創世記第16章)。
出エジプト記で、モーセに率いられた民たちは、「エジプトにいたほうがよかった」「肉が食べたい」「水がない」などと、何度もモーセに不満を言いました。
民数記第13章では、神様の約束の地を偵察し、恐ろしくなり、約束があるにも関わらず尻ごみしました。

他にもたくさんの箇所がありますが、私の印象に強く残るのは、サウル王の失敗です。
サムエル記上 第13章8-10節です。
8 サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。
9 サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。
10 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。

「なんでサムエルは来ないんだ!」「兵が帰っちゃうじゃないか!」と、あわてて自分でささげ物をささげてしまったのです。
解決する答えを、すぐに得ようとしたための失敗です。

詩篇 第81篇10-12節にはこうあります。
「あなたの口を満たす」という神様の約束があるにも関わらず、待つことができない人間の姿です。

10 わたしは あなたの神 主である。
 わたしが あなたをエジプトの地から連れ上った。
 あなたの口を大きく開けよ。
 わたしが それを満たそう。
11 しかし わたしの民はわたしの声を聞かず
 イスラエルは わたしに服従しなかった。
12 それでわたしは 彼らを頑なな心のままに任せ
 自分たちのはかりごとのままに歩ませた。

迷いと戸惑いの中にあると、人間は答えをすぐに求めがちです。
しかし神様は、迷いと戸惑いの中にいられる力、そこにとどまることができる力を、私たちに要求するのです。
要求するだけでなく、その力を育て、そして支えてくれるのです。

ところで、「神様が、正しいことを命じるから従う」と「正しい神様が命じるから、従う」の違いがわかりますか。
前者は、「自分が正しいと思えば」とか「自分の気持ちに合えば」という側面があります。
それに対して後者は、「神様が命じるから」と神様への信頼があるのです。
迷いと戸惑いの中にとどまる能力、これはまさに、神様への信頼がなせるものなのです。

カインは、後者のようには、できませんでした。
「神様が受け入れなかったんだから、やり直そう」とは考えられなかったのです。
迷いと戸惑いの中にとどまる能力が、足りなかったのです。
「なんで!」と、自分の正義にしがみついたのです。
サウル王もそうでした。
アブラハムも出エジプトの民も、その失敗をしました。
迷いと戸惑いの中にとどまることは、簡単ではないのです。

しかし、中にはその力を与えられている人もいます。
ヨセフは、兄たちに奴隷として売られ、エジプトで無実の罪で牢に入れられても、「なんで!」とは、ならなかったのです。
また、ダニエルは、ライオンのいる穴の中に入れられることになっても、「どうしてこんなことに!」ではなく、その状況を受け入れました。

そしてだれより、最大の「なんで!」に直面したのが、イエスさまです。
神様のひとり子でありながら、すべての人の罪の身代わりになって、十字架につくのです。
呪われるはずのないイエスさまが、呪われ、そしられ、むち打たれ、十字架上で苦しんで死ぬのです。
しかしイエスさまは、その状況の中にとどまることを選択し、完全に従順に成し遂げたのです。

あなたにもこの力を、迷いと戸惑いの中にとどまる能力を、神様は与えようとしています。
迷いと戸惑いの中で、神様によって、しっかりと立ちましょう。
不安と分断と孤独の中で、揺るがずに、生きていきましょう。

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