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ゴスペルハウスコミュの「欠けも弱さも」

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ゴスペルハウスメッセージ 2018.10.06
「欠けも弱さも」列王記下7:3-11

3 さて、ツァラアトに冒された四人の人が、町の門の入り口にいた。彼らは互いに言った。「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。
4 たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
5 こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。すると、なんと、そこにはだれもいなかった。
6 これは、主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、彼らが口々に「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイト人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲って来る」と言い、
7 夕暮れに立って逃げ、自分たちの天幕や馬やろば、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったからであった。
8 ツァラアトに冒されたこの人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕に入って食べたり飲んだりし、そこから銀や金や衣服を持ち出して隠した。また戻って来てはほかの天幕に入り、そこからも持ち出して隠した。
9 彼らは互いに言った。「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」
10 彼らは町に入って門衛を呼び、彼らに告げた。「われわれがアラムの陣営に入ってみると、なんとそこにはだれの姿もなく、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」
11 そこで門衛たちは叫んで、門内の王の家に告げた。

今週の聖書の箇所は、第6章24節からの一連の出来事なので、そこから読んでいただくとわかりやすいかと思います。
ここまでのあらすじは、こうです。
アラム軍が襲来し、サマリアを包囲します。
サマリアには大飢饉もあって、自分の子供を食べて飢えをしのごうとする者まで出ました。
イスラエルの王は、エリシャに対して的はずれな殺意を抱き、侍従をエリシャのもとへ送ります。
エリシャは侍従に、明日、解放されることを告げますが、侍従は信じないで帰ります。

その日のその後のことが、今週の聖書箇所です。

汚れた者とされ、町の中で他の人とともに生きていくことができない、ツァラアトの人たちが、町の門にいました。
町の中を飢饉が襲い、町の外をアラム軍が包囲しています。
サマリア中が、にっちもさっちも行かない状態です。
ツァラアトの彼らには、もはや、何も希望が残っていないように感じられたことでしょう。

「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」(3-4節)

彼らは、欠けを受け入れ、汚れを受け入れ、人の力(自他ともに)に絶望しました。
それで、アラム軍の陣営に入り込むことにしたのです。
それは、自暴自棄がなせるわざだったのかも知れません。

しかし、彼らはそこで、神様の奇蹟の目撃者となりました。
神様の奇蹟の祝福の受け手となりました。
そして、神様の奇蹟の証人となったのです。

彼らは、自分たちだけに利益を貯め込むことを良しとしないで、町の門衛たちに伝えに行きました。
そう、彼らは、良き日の、良き知らせの、伝え人になったのです。
欠けも弱さも受け入れ、絶望の果てに得たもの、それは、神様からの良い知らせだったのです。
欠けも弱さもあったからこそ、彼らはそこに行き着いたのです。

彼らのこの姿は、まさに、今のクリスチャンそのものではないでしょうか。
罪を認め、人の力の救いに絶望し、そこで十字架の赦し、イエスさまの愛に出会う。
十字架の奇蹟の受け手となり、その良き知らせの、伝え人になる。
彼ら4人は、今のクリスチャンの、今のあなたの、ひな型なのです。

さて、この良き知らせを聞いた王は、どうしたでしょう。
彼は、それを、疑いました、ばかにしました。
良き知らせの内容が、王の想定できる範囲を超えていたのです。
だから、彼は信じることができなかったのです。
良き知らせは、事実なのにもかかわらずです。

あなたが良き知らせを伝えたときも、同じかも知れません。
「神様のひとり子が、あなたの罪を赦すために、十字架にかかって死にました。だから、あなたの罪は、完全に赦されているのです。」
この事実は、確かな事実です。
しかし、受け手の想定できる範囲を遥かに超えている場合、受け手は信じることができないかも知れないのです。
事実、救われているのにもかかわらずです。

しかし、希望はあります。
王は疑いましたが、神様の奇蹟の事実は、サマリア中を救ったのです。
あなたが伝える良い知らせも、あなたが思っているタイミングではないかも知れませんが、あなたが思っている方法ではないかも知れませんが、受け手を救う力を持っているのです。
良き知らせを、伝え続けましょう!

あなたの欠けも弱さも、あなたを呪うことはできません。
あなたが絶望しても、他人があなたに絶望しても、構いません。
あなたの欠けも弱さも知った上で、愛してくださるイエスさまがいるのです。
この奇蹟の受け手として、この良き知らせの伝え手として、今日も、神様の言葉と、神様の愛と、ともに生きましょう

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