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ゴスペルハウスコミュの「あなたの花」

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ゴスペルハウスメッセージ 2017.07.16
「あなたの花」創世記 18:20-33

20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
26 主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

みなさんは、信仰生活の「松竹梅」を知っていますか。
もともと松竹梅には、上下関係はないそうですが、鰻丼などは松・竹・梅の序列がありますね。
信仰生活にも、同じように松竹梅があるのです。

「梅」の信仰とは、『うめえ話ばかり求める信仰』です。
仕事が成功しますように、お金が儲かりますように、スポーツで優秀な成績になりますように・・・・
人間の欲望にはキリがありません。
そんなご利益を求める信仰は、上等とはいえません。

「竹」の信仰とは、『高ぇ(たけぇ)プライドに凝り固まった信仰』です。
キリスト者と異教徒をことさらに区別し、「私たちは選ばれた人。彼らは滅びゆく魂。」と定義します。
こんなプライドには、愛の香りはしませんね。

最も上等な「松」の信仰とは、『神様のときを、神様の言葉を、待つ(松)ことのできる信仰』です。
聖書の中の信仰の成功者たちは、ことごとく松の信仰を身につけています。
逆に、待ちきれない人たちが、ことごとく失意を味わうことになるのです。
待ち切ること、それは、信仰生活においてとても大切なことなのです。

しかし、待つことは実は大きなエネルギーを必要とします。
それで、人間はトラブルばかり起こしてしまうのです。

今週の聖書箇所のアブラハムも、待ちきれない性格でした。
神様に示された土地へ移住したら、そこに飢饉がありました。
彼はさっそく、そこから再移動してしまいます。
また、外国に行って、妻のサラの美貌のゆえに、わが身に危険が迫るのではないかと考えました。
彼はすぐさま、さらに「妹である」と嘘をつくという小細工をしました。
さらに、子どもが与えられるという約束が与えられたのに、なかなかサラは妊娠しません。
アブラハムはサラの勧めもあり、女奴隷ハガルによってイシュマエルという息子を得ました。

信仰の父と呼ばれるのが恥ずかしいほど、彼は待ちきれない者だったのです。

しかし、待ちきれない、松の信仰を得られない人には、その人ならではの花があるのです。

この箇所は、アブラハムが99歳の頃です。
直前の18章前半で、イサクの誕生が予告されています。

アブラハムは、神様からソドムとゴモラの町を滅ぼすと聞かされます。
ソドムには、甥のロトが住んでいます。
そのためもあってか、アブラハムは神様に聞きます。
「 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。」(24節)
神様は、答えました。
「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」(26節)

アブラハムは、聞き続けます。
「もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。」(28節)
「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」(29節)
「もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」(30節)
「もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」(31節)
「もしやそこに十人見つかるかもしれません。」(32節)

くどいほどの、とりなしです。
何度も何度も、神様に聞き続けるのです。
しかし、神様はそれらをすべて、よしとされました。

アブラハムは、待ちきれない性格なので松の信仰は得られません。
しかし、彼は別の信仰を得たのです。
それは、「菊」の人生、そう、「聞く」の人生です。
松になれない人は、その人生に、菊の花を咲かせればいいのです。

神様は、いま、生きています。
あなたの目の前に、生きているのです。
そして、あなたを愛し、あなたを受け入れているのです。
待ちきれないとき、あなたは、「聞く」べきです、何度でも。
神様が、それを、よしとされているのです。

「菊」の人生にも、注意点があります。
「神様に言うことを聞かせる」ではなく、「神様に聞く」ということです。
また、「あなたの心に聞く」ではなく、「神様の御心を聞く」ということです。
主権者は、あなたではなく、神様なのです。

アブラハムも、聞きました。
待ちきれないから、聞きました。

でも、それでいいのです。
聞くことで、あなたに与えられる役割もあるのです。
アブラハムは、ソドムとゴモラのために、とりなしをしました。
世界中で彼にだけ与えられた役割です。
待ちきれない弱さゆえの、「菊」の人生ならではの役割です。

「松」の人生でなくても、「菊」の人生もありなのです。

あなたの個性を、神様は認めています。
「松」の人生でも「菊」の人生でも、神様を主としたときに、あなたの人生は変わるのです。
あなたの心ではなく、神様の心に従うとき、
あなたの心ではなく、神様の心を待つとき、
あなたの心ではなく、神様の心に聞くとき、
あなたの人生に、神様の御業があらわれるのです。

何かするのではなく、「待つ」「聞く」。
そこに、あなたならではの役割があるのです。

あなたの花を、あなたの菊の花を、立派に咲かせるための秘訣があります。
あなたは、そのままで愛されていることを知ることです。
そのままで認められ、受け入れられていることを知ることです。
そして、その自分を生きることです。
その保証が、イエスさまの十字架です。
あなたは、神様の愛から離されることはないのです。
イエスさまの十字架によって、あなたは愛され、認められ、受け入れられるのです。

待ちきれない弱さの中に、菊の花、あなたの花を咲かせましょう。

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