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ゴスペルハウスコミュの「忘れない」(レント-2)

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ゴスペルハウスメッセージ 2017.03.11
「忘れない」 創世記 15:9-12,17

9 すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」
10 彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。
11 猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。
12 日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。

17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。

アブラム(後のアブラハム)に対して、神様は祝福の約束をしました。
しかし、子のないアブラムは、祝福されても相続人がないので、下僕に相続されるのかと神様に尋ねました。
その時に、アブラムにもわかるようにと、神様が命じたのがこの箇所です。

裂かれたいけにえの間で契約するのは、「契約を破ったならば、このいけにえのようになる」というあらわれです。
つまり、契約に対して、生命をかけるということです。
アブラムはとても厳粛な気持ちで、この契約の時を迎えたことでしょう。
裂かれたいけにえの肉や血のにおいを嗅ぎつけた猛禽たちがやって来ましたが、アブラムは頑張って追い払います。
それは当然です。
だって、神様との、生命をかけた、厳粛な契約の場なのですから。

しかし、夕暮れ時になっても、神様は現れませんでした。
アブラムは緊張が続いたためか、猛禽がいなくなってホッとしたのか、いずれにしても、油断したかのように眠ってしまいました。

ブラジルにいた頃のことです。
アボカドを食べたあとに、「この種を植えたら、芽が出るかな?」と、庭に種を1個植えたことがありました。
しばらくしても芽が出ないので、「じゃあ、もう1個」と、繰り返し庭の別の場所に植えました。
狭い庭に11個の種を植えても、何も起きなかったので、「ああ、何も起こらなかった」と、がっかりしていました。
ですが、アボカドのことを忘れていたそんなある日、1つの芽生えを見つけました。
喜んでいると、次の日にも、その次の日にも、芽生えが見つかり、狭い庭は11本のアボカドの芽生えでいっぱいになりました。
私はあきらめ、忘れていたのですが、アボカドの中のいのち・神様の与えたいのちは、それを忘れてはいなかったのです。

アブラムが深い眠りに落ちているとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎました。
アブラムは通り過ぎることはできませんでしたが、神様は通り過ぎ、契約を成し遂げたのです。

そう、神様は忘れない方です。
神様の愛は、油断しない愛なのです。

それは、人間の思い通りではないかもしれません。
忘れた頃に、油断した頃に、絶望した頃に、やって来るのかもしれません。
しかし、それは予想以上、想定以上の恵みであり愛なのです。

神様は、アブラムに契約の責任を負わせませんでした。
ただひとりで、裂かれたいけにえの間を通ったのです。
それは、アブラムの足りなさに対してもアブラムの不誠実や弱さに対しても、責任を負わせないという覚悟です。
すべて、神様が責任を負うという覚悟の愛に満ちた契約なのです。

そうです。
それがイエスさまの十字架にあらわされた愛なのです。

あなたにも、この同じ愛が注がれています。
決して忘れることのない愛。
決して油断することのない愛。
いのちがけの覚悟の愛。
イエスさまの十字架から、惜しみなくあふれるばかりに与えられているのです。

あなたは、神様から決して忘れられることはありません。
どんなことがあっても、神様はあなたを見捨てることはありません。
すべてを捨てた覚悟の愛が、あなたに与えられているのです。

この愛の中で生きましょう。

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