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ゴスペルハウスコミュの「痛みとともに」

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ゴスペルハウスメッセージ 2017.03.05
「痛みとともに」 マラキ3:10

10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

この箇所は、聖書の中で唯一「神様をためしてみよ」と書かれているところです。
それは、十分の一の捧げ物をもってためすことで、十分の一献金のすすめも語られることがあるでしょう。
「十分の一で神様をためして、祝福を注がれよう!」

しかし、祝福が捧げた以上に与えられるなら、それは献金ではなくて投資です。
捧げるではなく、もうけ話です。
十分の一でためして祝福されたら、次は十分の二、三、四、五、六・・・と増やしていきましょう。
捧げる痛みに耐えられなくなるまで、どんどん増やしてください。
痛みをともにしない捧げ物は、神様への本当の捧げ物にはならないのです。

創世記4章で、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来て捧げました。
羊の初子、しかも最良のもの、この羊の可愛さと言ったらないでしょう。
また、その羊を残しておけば、群れはもっともっと豊かになるはずです。
しかし、アベルは痛みとともに最良の初子を捧げたのです。

創世記22章で、アブラハムは神様に「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」と命じられました。
妻サラからたった一人生まれた愛する息子、神様の約束を受けたイサクを捧げるアブラハムの心の痛みは計り知れません。

士師記11章で、エフタは、神様との誓いを果たすために、ひとり娘を捧げました。
まさか、自分の娘をいけにえにすることになるとは思わなかったエフタの心は、張り裂けんばかりの痛みです。

ルカ21章では、貧しいやもめがレプタ銅貨を2枚捧げました。
まったく少額な捧げ物ですが、彼女の生活費のすべてだったのです。
1枚残すこともできたろうに、彼女は痛みとともに捧げきったのです。

彼らはすべて、痛みとともに捧げました。
「どうせ戻ってくるから」とか「それ以上になるから」と、打算で捧げた人はいません。
「十分の一でいいなら」と、値切ってもいません。

あなたに求められるのは、痛みとともに捧げる捧げ物です。
憎しみ、ゆるせない怒り、栄誉、自分の正しさ、娘や息子、自分自身のすべて・・・・
捧げれば祝福になって戻ってくるという見返りも求めません。
十分の一なんて値切ることも必要ありません。
十分の十、いえ、十分の十五といえるくらい、すべて捧げるのです。

なぜ、神様は私たちにそんな厳しい捧げ物を要求するのでしょうか。
ここで、私たちは聖書の大原則に立ち返りましょう。
それは「神様は、命令しっぱなしではない」ということです。
・神様は、私たちに命令を成し遂げる力を与えてくれます。
・神様は、私たちに命じた命令を、ご自身がもっと厳格に守ります。

そうです。
あなたのために、痛みとともに、すべてを捧げた方がいるのです。
それは、愛するひとり子を、あなたの罪のために差し出した神様です。
それは、あなたのために、十字架の死にまで徹底的に自身を捧げたイエスさまです。
あなたを愛しているからです。

この愛は、何があっても、どんなときでも、あなたのものです。
あなたがどんな人であっても、何をしていようと、取り去られることはないのです。

だから、あなたもできます。
この愛だけしっかり握っていたら、あなたにはできるのです。
あなたを縛っているすべてのものを、痛みとともに捧げましょう。

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