ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「かけずりまわっていた男」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2015.04.26
「かけずりまわっていた男」ヨハネ 20:24-29

24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

トマスというと、見るまで信じることのできない者、疑う者、あるいは信仰の確信がない者と評価されがちです。
あまりいい評価ではありません。
トマスは、イエスさまが選ばれた十二使徒のうちの1人です。
ユダが抜け、その時点で、11人の使徒になっています。
トマスは、復活のイエスさまが10人の使徒に現れた時(ヨハネ20:19-23)に、何をしていたのでしょうか?

聖書にはトマスが何をしていたのか記されていません。
なので、トマスの性格を明らかにすることによって推測してみましょう。
トマスという名前は、四福音書と使徒行伝に記されています。
ヨハネの福音書以外はただ、十二使徒の1人として名前が記されているだけです。
しかし、ヨハネの福音書には、彼の性格をよく表した発言が記されています。

「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」(11章16節)
イエスさまが病気のラザロのところに向かおうとしたときです。
ラザロというのは、マルタとマリヤの兄弟です。イエスさまによって生き返った人です。
その地区には、イエスさまを殺そうとしている人たちがいました。ほかの弟子たちが怖気づく中、トマスはこう発言したのです。
そうです、トマスはイエスさまの死を覚悟し、殉教をも辞さない熱血漢なのです。

「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」(14章5節)
十字架にかかる前、イエスさまの最後の説教でのやりとりです。
イエスさまは弟子たちに、「わたしの行く道はあなたがたも知っています。」とお話しになりました。
そのとき、トマスはわからなかったのです。
彼は知ったかぶりをせずにイエスさまに聞きました。
そのことによって、続くイエスさまの発言はより鮮明になっていきます。(14章6節参照)
トマスは、無知を恥じず、真理を追い求める姿勢を持つ者です。
謙遜な、しかも強い心の持ち主です。

その日、トマスは女性のお弟子さんから、イエスさまの復活の知らせを聞きました。
熱血漢で、真理を追い求めるトマスがじっとしていられるはずがありません。
復活したイエスさまに会おうと、探して、探して、探しぬきました。
トマスはイエスさまに会いたいのです。どうしても会いたかったのです。
日が暮れて、夜、とうとうイエスさまと会えずに帰って来たトマスに、弟子たちの証言です。
トマスは混乱します。当惑します。失望します。
その結果の発言、
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(25節)
まさに、確信、真理を追い求めるトマスそのものの言葉ではありませんか。

しかし、イエスさまはトマスにしかできない役割を備えておられたのです!
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(27節)
イエスさまの言葉は、神様の言葉です、創造の言葉です。
イエスさまはトマスに言ったのです。「あなたは信じる者になります!」
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」(28節)
トマスでなければできない告白です。
イエスさまに直接「神」と言ったのは、全聖書中唯一、トマスだけです。
「神の御子」「キリスト」と言った人達はいますが、「神」と言ったのはトマス1人です。
真理を追い求めたトマスが、真理に到達したのです!

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)
イエスさまの山上の垂訓の一節です。
まさにトマスのための言葉ではありませんか。
私たちが途方にくれるとき、その場所まで来てくださるのが、イエスさまなのです。
私たちの信仰の度合い、スタイル、個性、すべてを受け入れ、その位置まで来てくれるのがイエスさまなのです。

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(29節)
イエスさまはこの言葉でトマスを責めてはいません。
責めている言葉ではないのです。
イエスさまを見て信じる者は、みんな幸いです。
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。」 (ヨハネ6:40)
しかし、これからは見ずに信じることができるとイエスさまは伝えています。
聖霊様の助けで信じることができます。
トマスの告白を聞いて、信じることができるのです。
「見ずに信じる者が、永遠のいのちを持つ」
トマスはその扉を押し開ける役目を頂きました。
彼でなければならない役目です。

イエスさまは、あなたの個性を受け入れます。
イエスさまは、あなたの信仰を受け入れます。
イエスさまは、あなたにしかできない役割を与えます。
あなたが今、悩んでいても、迷っていても、困っていても、
イエスさまはそこに来て、あなたと共にいます。
そして、あなたは神様の栄光を現します。そう、トマスのように!

コメント(2)

主が、そばに来て、支えてくださることに感謝します。
アーメン
>>[1]
弱くっても、強くっても、内気でも、陽気でも、
ぼくらの個性は、神様から見たら、決して呪われたものじゃないんですよね。
愛されちゃってて、ハレルヤです!

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング