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ゴスペルハウスコミュの「喜んでお与えになるからです---父の日礼拝---」

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ゴスペルハウスメッセージ 2014.08.09
「喜んでお与えになるからです---父の日礼拝---」 ルカ 12:22-32

22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。
24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。
25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。
27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。
29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。
30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。
31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。
32 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

この聖書箇所は、『喜んでお与えになる』というよりは、「心配しない、思い煩わない」がテーマととらえられる事が多い箇所です。
ここで、心配しないということは、無茶や無謀の奨励ではありません。
信仰さえあれば、どんな無茶をしても、神様が助けるから突き進めというメッセージではないのです。
ここでの心配(思い煩い)というのは、思い煩いで心をいっぱいにするという意味です。
そのような心配や思い煩いは、不必要であり、無益であり、有害であるというのです。

「自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(25節)
ここでいのちと訳されている言葉は、身長とも訳すことができます。
ですから、こう言い換えることもできるのです。
「自分の身長を少しでも伸ばすことができますか。」
私のように背が低い者にとっては、これは青春時代には切実な悩みでした。
しかし、どんなに思い悩んでも、その次の日に、目に見えるほど身長が伸びることはありませんでした。
思い煩いの無益さを、イエスさまはこのように表現したのです。

そして、イエスさまは、鳥や花を見なさいと言いました。
鳥や花は、確かに人間がするような働きはしていません。
にもかかわらず、神様は彼らを支えているのです。
しかし、彼らは無鉄砲な生き方もしていないのです。
鳥は鳥のように、花は花のように、です。
鳥が花のようになろうとして、地面に足を埋めてじっとしていたら、やがて死んでしまうでしょう。
また、花が鳥のようになろうとして、根を地面から抜いて羽ばたこうとしても、すぐに枯れてしまうでしょう。
彼らは、与えられたいのちをイキイキと生きているのです。
そして、このいのちを与えている主権者は、神様なのです。

イエスさまは続けます。
「これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。」(30節)
異邦人を軽蔑しているのではありません。
異邦人とは、神様を知らない人々、生きている神様に出会っていない人々を指しているのです。
神様の支えを知らない人は、お金や財産や権力に頼ろうとします。
しかし、いのちはそれらよりもずっと尊いので、支えきれないのです。

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」(31節)
神様の国を求めるとは、神様を認め、神様の守りの中で生きるということです。
死に物狂いで伝道して、この地上に神様の御国を実現するという働きも尊い働きです。
しかし、それ以上に大切なのは、神様を認め、その御国を認め、その国民として生きることです。
しかも、神様の奴隷としてではなく、神様にしっかりと愛され守られた宝物として生きることです。
奴隷なら心配してもいいでしょう。
しかし、宝物は心配する必要はありません。

そして、この言葉に注目してみましょう。
「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」(32節)
これは、ここまでの話の根拠であり、確証であり、保証書です。
本当の神様は、私たちに喜んで御国を与える父なる神様なのです。
なんと喜ばしい宣言でしょうか。
しかし、この宣言は簡単な言葉ではなく、いのちがけの言葉です。
なぜなら、罪ある者に、御国(天国)は与えることができません。
それでは、天国が天国でなくなってしまいます。
私たちを愛しているから、神様は大目に見るということはないのです。
罪は呪われるものです。
罪は死(滅び)で支払うしかないものなのです。

そのためにイエスさまの十字架が必要でした。
私たちの罪のための呪いを一身に受け、身代わりとなって罪を処理してくださったのが、神のひとり子・イエスさまなのです。
神様は、私たちのために、もっとも大切なものを捧げたのです。
しかも、喜んで捧げたのです。

聖書では、神様の愛は父親の愛とたとえられることが多くあります。
「主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。」(箴言3:12 口語訳)

この神様の愛は、一番大切なものを捨ててまで、子どもを愛する愛です。
母の日礼拝でお伝えした、母の愛とはまた別の愛です。
この神様の愛が、父親の愛の中に生きているのです。
もちろん、不完全な私たちは、完全に神様の愛を表現することはできません。
しかも、男性は女性に比べ不器用です。
でも、この愛は確かに父親の中に生きているのです。
そして、神様から父親を通して、私たちに与えられている愛なのです。

もう、思い煩いはいりません。
「お父さん、ありがとう!」
父親の愛に心から感謝しましょう。
「神様の愛、ありがとう!」
愛の源、父なる神様に心から感謝しましょう。
与えられた愛の人生をイキイキと生きていきましょう。

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