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ゴスペルハウスコミュの「われらの力」

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ゴスペルハウスメッセージ 2012.08.18
「われらの力」 詩篇 46

指揮者のために。コラの子たちによる。アラモテに合わせて。歌
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ
4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。
7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

「神はわれらの避け所、また力。」(1節)
この箇所にあるように、キリスト者にとって、神様の力がわれらの力であることはいうまでもないことです。
今週は、この「われらの力」を、本当の私たちの力にすることをテーマに御言葉を開きましょう。

外国から来て、日本で活躍するスポーツ選手の中には、キリスト者も少なくありません。
中には、ファンから求められるサインなどに御言葉を書いて、イエスさまを証しする人たちもいます。
すばらしいことだと思います。
そして、キリスト教界は彼らを喜び、、用いられている人と称します。
有名人ゆえに、できるからこそ用いられる器ってことです。

彼らが順調なときはそれでいいのですが、不調になったり、人生に行き詰ったりすることもあります。
人間関係のトラブルだったり、自分自身を死に追い込んだり、さまざまなトラブルがあります。
そんなとき、キリスト教界は、そのことについて沈黙しがちです。
私は、そんなときこそ、「それでこそクリスチャン」と、彼らを励ましてほしいと思うのです。
キリスト者は、品行方正な正しい人ではありません。
「赦された罪人」なのです。

先ほどの続きに、、こうあります。
「苦しむとき、そこにある助け。」(1節)
神様の力は、苦しむときにそこにあるのです。
順調なときや余裕のあるときではないのです。
見栄えのいいときではなく、見栄えの悪いときにこそ、神様の力がそこにあるのです。

ここが見落としがちなポイントです。

ですから、「苦しいときの神頼み」はオッケーなのです。
私たちは、順調なときは神頼みを忘れがちです。
そして、ちょっと思い通りにならないことがあると、神様にお願いします。
でももっと余裕がなくなった場合、もっと苦しくなったとき、私たちは神頼みを忘れてしまうのです。
「苦しいときに神様を恨む」や「苦しいときに神様に嘆く」に陥ってしまうのです。
私たちが、「われらの力」を手に入れ損ねてしまう秘訣が、ここにあるのです。

では、どうしたら「われらの力」を手に入れることができるのでしょうか。
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」(10節)とあります。
「やめよ。」は、新改訳聖書の記述です。
口語訳では「静まって」、新共同訳では「力を捨てよ」です。
この力とは、あなた自身の力です。

秘訣は、「やめて、静まり、力を捨てる」ことです。
このとき、神様の本当の力、「われらの力」が、あなたの人生に生きて働くのです。
あなたが力強い必要はありません。
あなたの力を捨てる必要があるのです。

私たちはイエスさまの十字架によって、神様の子どもです。
神様の力は、どこか遠くの関係ない力ではなく、「われらの力」なのです。

さあ、あなたの力を捨てましょう。
そして、「われらの力」を、あなたの人生に実現しましょう!

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