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ゴスペルハウスコミュの「はじまりのとき」

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ゴスペルハウスメッセージ 2012.07.28
「はじまりのとき」 ルカ 24:52-53

52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、
53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。

今週の聖書箇所は、ルカによる福音書の巻末の言葉です。
イエスさまが復活して弟子たちに現れ、そして、40日後に天に昇っていったときの弟子たちのことが書かれています。
ですから、
「イエスさまの弟子たちは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、 いつも宮にいて神をほめたたえていた。」
というのが、この箇所の意味です。

イエスさまは、歴史の、時代の区切り目になっています。
イエスさまが地上に誕生する前が紀元前(BC)、イエスさまの誕生後が紀元後(AD)です。
この区別は、私たちの日常でよく用いているものです。

今日はさらに、もうちょっと時代を分けて見ましょう。
1.イエスさまが人として地上に来られる前の時代(紀元前)。
この時代のことは、多くは旧約聖書に書いてあります。
2.イエスさまが人として地上にあった時代。
新約聖書の福音書に書いてあります。
3.イエスさまが天に昇って行った後の時代。
キリスト後の時代と言ってもいいでしょう。
新約聖書の使徒行伝以降に書いてあります。
4.イエスさまが再臨して以降の時代。
ヨハネの黙示録に書いてあります。

このように分けると、現代は3の「イエスさまが天に昇って行った後の時代・キリスト後の時代」と言えます。
そして、今週の聖書箇所は、このキリスト後の時代のスタートのときなのです。
つまり、現代に生きる私たちの生活のスタートのときとも言える箇所なのです。
私たちはここから、キリスト者としての原点を見つめていきましょう。

「彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、 いつも宮にいて神をほめたたえていた。」
これが、キリスト後の時代のはじまりのときの姿です。
彼らは、使命に燃えていたのではなく、非常な喜びを抱いていました。
神様を伝えていたのではなく、いつも宮にいて神様をほめたたえていました。
当たり前のことなのですが、ついつい忘れてしまいがちなことです。

私たちキリスト者は、神様の愛によって救われました。
一方的な無限の愛・無条件の愛を受けて、私たちはキリスト者になったのです。
はじまりは、神様の愛です。
イエスさまの十字架によって示された、神様の愛なのです。

誰も、「私には福音を伝える使命があるから、キリスト者になろう」とか、
「誰かを救いたいから、まず自分が救われなくちゃ」とか、そんな理由でキリスト者になったわけではないのです。
福音を伝えることも、救いを宣べ伝えることも、神様の愛に対しての喜びから始まるものです。
無限の愛をもって救われた喜びがスタート。
そこが、はじまりのときなのです。

ここを忘れちゃだめなのです。
「私が救われたのは誰かを救うため」「使命のために神様に召されたんだから」なんて考えていると、自分自身の伝道が誇りになってしまいます。
自分自身の努力やわざに、おごり高ぶってしまいます。
いいことを一生懸命しているのに、「あなたは初めの愛から離れてしまった。」(黙示録2:4)の状態に陥ってしまうのです。

はじまりのときを忘れないでください。
そこにあったのは、十字架の愛です。
そして、愛にこたえての喜びです。
そこが、あなたのはじまりのときだったのです。
非常な喜びを抱いて、神様をほめたたえましょう。
今も、そして、これからも、ずっとずっと!

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