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ゴスペルハウスコミュの「当事者と傍観者」2026.01.24 

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.01.24
「当事者と傍観者」マタイ8:28-34
(並行箇所 マルコ5:1-20、ルカ8:26-39)

28 さて、イエスが向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人が二人、墓場から出て来てイエスを迎えた。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
29 すると見よ、彼らが叫んだ。「神の子よ、私たちと何の関係があるのですか。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか。」
30 そこから離れたところに、多くの豚の群れが飼われていた。
31 悪霊どもはイエスに懇願して、「私たちを追い出そうとされるのでしたら、豚の群れの中に送ってください」と言った。
32 イエスは彼らに「行け」と言われた。それで、悪霊どもは出て行って豚に入った。すると見よ。その群れ全体が崖を下って湖になだれ込み、水におぼれて死んだ。
33 飼っていた人たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれていた人たちのことなどを残らず知らせた。
34 すると見よ、町中の人がイエスに会いに出て来た。そして、イエスを見ると、その地方から立ち去ってほしいと懇願した。

今週の聖書の場面は、ガリラヤ湖の東岸の地、ガダラの地(マルコの福音書、ルカの福音書では「ゲラサ」と書かれている地です)で起こった出来事です。
悪霊に憑かれた人を、イエスさまが解放し、その結果、豚が2000匹、湖に飛び込み溺れ死にました。
これが、この場面で起こった出来事のあらましです。
ガダラの地は異邦人の地でしたから、豚が飼われていたのですね。

ここで少し本題から離れますが、イエスさまはここまで、ガリラヤ湖の東岸へどうやって来たでしょうか。
イエスさまは向こう岸から、船で来られました。
その途中、船の上で嵐に遭い、弟子たちが慌てている中で、イエスさまは嵐を鎮め、この地に来られたのです。
群衆を残し、弟子たちと船に乗り、向こう岸へ向かい、嵐を鎮めてまでして、ただこの人を悪霊から解放するために、イエスさまは渡って来られたのです。

今日はここから「当事者と傍観者」というテーマで、御言葉を開いていきましょう。
当事者とは、出来事を「自分のこと」として受け取る人のことです。
傍観者とは、出来事を知ってはいても、自分の人生とは切り離してしまう人のことです。

この場面では、大きく2つの出来事が起こっています。
まず1つ目は、悪霊に憑かれていた人が、イエスさまによって解放されたことです。
悪霊は一人(一体)ではなく、集合体、たくさんの悪霊が彼の中に入っていました。
彼らは「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」(マルコ5:9)と名乗っています。
レギオンとはローマ軍の呼び名で、6000人規模の部隊を表す言葉です。
誰もがお手上げだった、この悪霊に憑かれた人を、イエスさまは癒され、解放されました。
イエスさまは、この人を救ったのです。

そして2つ目の出来事、それは豚が2000匹、湖で溺れ死んだという出来事です。
イエスさまがこの人を救うため、悪霊は豚に入り、湖へと飛び込んだのです。
豚1匹は、現在の価値でおよそ5万円と言われます。
2000匹となれば、合計は1億円規模です。
先週のたとえ話に出てきた1万タラント、6000億円には及びませんが、それでもかなりの大金です。

この2つの出来事について、当事者と傍観者がいます。
・イエスさまによる救い。
・そして、大量の豚の死による甚大な被害。

悪霊に憑かれていた人は、もちろん救いの当事者です。
一方で、豚の死と損失についてはどうでしょうか。
彼のために起こった損失であるにもかかわらず、傍観者でした。
あるいは、その場面を見ていなかったかもしれません。

豚を飼っていた人、また町中の人々は、豚の死については当事者です。
まさに1億円分の被害者です。
しかし、悪霊に憑かれた人の救いについては傍観者でした。
「正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。」(マルコ5:15)と書かれています。
まさに、彼らは、ただ見ただけ、ただ驚いただけの人々です。

私たちも、救い、イエスさまの愛、イエスさまの赦し、守り、解放の当事者であるか、傍観者であるかによって、生き方や態度が変わります。
当事者として受け取るのか、それとも傍観者として眺めるだけなのかによって、まったく違った結果になるのです。

今から約30年前、イエスさまを信じる前だった私は「お金だけが自分を支えるものだ」と思っていました。
家族とも交流がなく、関係が断絶していました。
クレジットカードというシステムも信用せず、現金が力だと思っていたのです。
ついには財布の中に、常に300万円を入れて持ち歩かなくては、不安になるほどでした。
しかし、偽りの支えの力には限界が来ました。
どれだけお金を握っていても、心の底の不安は消えなかったのです。
不安と絶望の果てに、私は日本から逃げ出しました。
国外逃亡の際、不安のあまり握りしめていた300万円が、生活の役に立ったのは皮肉なことでした。
そしてそこで救われ、日本に帰り、今度はブラジル・サンパウロへ、伝道のために移住しました。

伝道している最中、サンパウロから約700キロメートル離れたマリンガという町へ、出張伝道することになりました。
高速バスを予約しての、2泊3日の旅でした。
高速バスを降りてマリンガの街に着いた時、ふと財布を見ると、中には15レアル(今のレートで440円ほど)しか入っていませんでした。
私は、キャッシュカードもクレジットカードも小切手も持っていませんでした。
でも、私の心にはまったく不安がなかったのです。
お金が支えの当事者だった私が、イエスさまが支えの当事者へと、すでに変えられていたのです。

悪霊に憑かれていた人も、救いの当事者になり、愛の当事者になったことで、イエスさまについて行きたいと願いました。
しかしイエスさまはそれを断りました。
「あなたの家に帰って、神があなたにしてくださったことをすべて、話して聞かせなさい。」(ルカ8:39)
そして彼は、町中の人々に証しをしました。
彼は、救いの当事者になったことによって、人生の使命も与えられたのです。

一方、救いの傍観者であり、豚の損失の当事者だった町の人たちは、イエスさまの愛を受け取りきれず、「その地方から立ち去ってほしい」(34節)と懇願しました。
彼らは愛の当事者になることができませんでした。
そしてイエスさまは、彼らの願いに従って、その地を後にされました。

2つの大きな出来事の中で、何を当事者として生きるのかによって、生き方は変わります。
しかもそれは、本人が選ぶことができるのです。

悪霊に憑かれていた人も、豚について文句を言うことはできました。
「私を救ったのはいいけれど、なぜあんなにたくさんの豚を死なせたのですか」と言うこともできたはずです。
また、町の人たちも、豚の損失を恐れ悲しむだけでなく、悪霊に憑かれていた人の救いを喜ぶことができたはずです。

当事者かどうかは、本人が選ぶのです。

あなたの前にも、さまざまな出来事が起こります。
その中で、あなたは何の当事者として生きるのかを選ぶことができるのです。
救いと豚の損失のように、分かりやすいものばかりではありません。
ときには、人として、信仰者として、区別がつかず、迷うこともあるでしょう。
また、判断を誤ってしまうこともあります。
それが人間の弱さであり、愚かさであり、罪深さです。
だからこそ、いつでもイエスさまの愛に立ち返る必要があるのです。

赦された者として生きましょう。
その絶対的な事実を、しっかり握り続けましょう。
さあ、あなた自身の当事者としての選択を、当事者としての歩みを、今日から始めていきましょう。
イエスさまは、いつもあなたとともにおられます。

【並行聖書箇所】
マルコ5:1-20
1 こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。
3 この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。
4 彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。
5 それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。
6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。
7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」
8 イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。
10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。
11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

ルカ8:26-39
26 こうして彼らは、舟で、ガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着いた。
27 イエスが陸に上がられると、その町の者で、悪霊につかれている男がイエスを迎えた。彼は長い間、服を身に着けず、家に住まないで墓場に住んでいた。
28 彼はイエスを見ると叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。お願いです。私を苦しめないでください。」
29 それは、イエスが汚れた霊に、この人から出て行くように命じられたからであった。汚れた霊はこの人を何回も捕らえていた。それで彼は鎖と足かせでつながれて監視されていたが、それらを断ち切っては、悪霊によって荒野に駆り立てられていた。
30 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「レギオンです」と答えた。悪霊が大勢彼に入っていたからである。
31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行けと自分たちにお命じにならないようにと懇願した。
32 ちょうど、そのあたりの山に、たくさんの豚の群れが飼われていたので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと懇願した。イエスはそれを許された。
33 悪霊どもはその人から出て、豚に入った。すると豚の群れは崖を下って湖へなだれ込み、おぼれて死んだ。
34 飼っていた人たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や里でこのことを伝えた。
35 人々は、起こったことを見ようと出て来た。そしてイエスのところに来て、イエスの足もとに、悪霊の去った男が服を着て、正気に返って座っているのを見た。それで恐ろしくなった。
36 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人がどのように救われたか、人々に知らせた。
37 ゲラサ周辺の人々はみな、イエスに、自分たちのところから出て行ってほしいと願った。非常な恐れに取りつかれていたからであった。それで、イエスが舟に乗って帰ろうとされると、
38 悪霊が去ったその人は、お供をしたいとしきりに願った。しかし、イエスはこう言って彼を帰された。
39 「あなたの家に帰って、神があなたにしてくださったことをすべて、話して聞かせなさい。」それで彼は立ち去って、イエスが自分にしてくださったことをすべて、町中に言い広めた。

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