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ゴスペルハウスコミュの「約束の力」2025.02.15

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ゴスペルハウスメッセージ 2025.02.15
「約束の力」創世記21:1-8

1 主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。
2 サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。
4 そしてアブラハムは、神が命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施した。
5 アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。
6 サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」
7 また、彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」
8 その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。

「年老いた サラはイサクを 生みました」
わが家の聖書かるたの「と」の読み札です。
アブラハム75歳、サラ65歳のときに、神様の声に従って旅立って(創世記12章)から25年、アブラハム100歳、サラ90歳での出産です。
当時でも今でも、高齢出産、超高齢出産です。

旅立ちのときから、神様はアブラハムに、子孫の繁栄を約束してきました。
しかも、養子や側女の出産ではなく、妻サラが生むアブラハムの子孫の約束です。
イサクという名前は、神様のサラの出産の予告(約束)を、アブラハムもサラも笑ったがゆえに付けられた名前です(創世記17:15〜、18:9〜)。
それは喜びの笑いではなく、神様の言葉を信じることができないところから出た苦笑・失笑・嘲笑でした。
しかし、イサク誕生の今は、「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」(6節)のサラの言葉のとおり、本当の喜びの笑いになったのです。

ローマ人への手紙4章で、アブラハムのこのできごとと、今を生きるあなたとの関係を、パウロが解説しています。
「すべては信仰によるのです。」(ローマ4:16)
「彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ」(同4:17)
「彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ」(同4:18)
「その信仰は弱まりませんでした。」(同4:19)
「不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく」(同4:20)
「神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。」(同4:21)
いずれも、アブラハムの信仰のすばらしさ、強さ、堅さを表しています。
さすが、信仰の父・アブラハムです。
そして、「アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。」(同4:16)というのです。

では、アブラハムの信仰は、私たちが倣うべき信仰は、どのようなものだったのでしょう。
アブラハムは、揺らぐことのない、確信に満ちた、義なる人だったのでしょうか。

今週の聖書箇所の前の章(創世記20章)では、アブラハムは、人を恐れて、保身のために、妻であるサラを妹と偽りました。
そして、サラは、ゲラルの王アビメレクに召し入れられてしまうのです。
神様から、「あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。」というアブラハムへの約束も、「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」というサラも聞いた約束も、もらっていたのにです。
しかも、サラを妹と偽るのは、今回が初めてではなく、二度目なのです(創世記12:10〜)。

自分の失敗も次の機会の糧にすることもできない、神様の約束を無効にしてしまいかねない、アブラハムの弱さがここにあります。
彼は、信仰の父ですが、弱さを持った普通の男なのです。
彼の資質がすばらしいのではなく、神様に選ばれた普通の男なのです。
つまり、アブラハムの偉大さは彼自身の資質からではなく、神の選びと約束から来ているのです。
「アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。」(8節)とありますが、この宴会でも、イシュマエルを正しく導くことができず、家族関係に遺恨を残してしまうのです。

さて、新約聖書の4つの福音書すべてに記されている奇蹟は、イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人の人々の空腹を満たした「パンの奇跡」です。
これは、イエスさまが十字架で亡くなり復活したこと以外で、4つの福音書に記録されている唯一の奇蹟として知られています。

しかし今日は、4つの福音書すべてに記されている、奇蹟と言っても過言ではないと私が思っている箇所を見てみましょう。
マタイ26:31-35です(並行箇所は、マルコ14:27-31、ルカ22:31-34、ヨハネ13:36-38)。

31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。
32 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
33 すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」
35 ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。

ペテロを含む弟子たちの否認・裏切り・躓きの予告です。
これの何が奇蹟なのでしょう。
それは、この裏切った弟子たちがみな、ユダを除く十二弟子がみな、立ち直って使徒として教会を立てあげていくのです。
「自分だけは大丈夫」と、自分の能力や信仰を誇っていた人たちが、すべて倒され、すべて立ち直るのです。
これ以上の奇蹟は、キリスト教会史にはないでしょう。

では、アブラハムが信仰の父となり、弟子たちが教会の礎として立つことができたのは、なぜでしょう。
彼らはみな、弱く、ずるく、不十分な人間だったのです。

その答えは「主は約束したとおり」(1節)です。
アブラハムやサラの信仰の力ではなく、弟子たちの決心の力でもなく、神様の約束だから、神様の約束に力があるから、アブラハムは信仰の父に、弟子たちは教会の土台になったのです。
そう、約束には力があるのです。

福音書には、「約束」という言葉が、何回か記されています。
・ヘロデの約束(マタイ14:6〜)
悪人でさえ、約束は守るのです。
約束の力は、悪人でさえ支配するのです。
その結果、バプテスマのヨハネは殺されてしまいました。
・ぶどう園のたとえ(マタイ20:1〜)
朝一番に約束した、1日1デナリの給料は、揺らぐことはありませんでした。
神様は、すべての人に十分に気前よく、しかも約束を守る方なのです。
・ルカ巻末(ルカ24:49〜)
イエスさまが昇天するときの、約束です。
この約束どおりに、弟子たちに聖霊様が降りました(使徒2章)。

どれも、約束した人が、責任を持って成し遂げています。
それが、約束の力なのです。

そして今、聖書が、神様が、あなたに約束していることがあります。
ヨハネ3:16-17です。
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
また、ヨハネ6:56です。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。

あなたのための、イエスさまのいのちがけの約束が、ここにあるのです。
この約束を、あなたが笑い飛ばしてしまっても、
自分の力でできると勘違いしてしまっても、
その結果、大きな失敗をしてしまったとしても、
神様は、約束の言葉を捨てることはないのです。
あなたは、約束の力に、守られ、支えられているのです。
約束の力を受けたものとして、いのちがけの約束の受け手として、今日も歩んでいきましょう。


【参考聖書箇所】
☆ イサク誕生の予告
創世記
17:15 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」
17:17 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」
17:18 そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」
17:19 神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。

18:9 彼らはアブラハムに言った。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。「天幕の中におります。」
18:10 すると、そのうちの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。
18:12 サラは心の中で笑って、こう言った。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」
18:13 主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。
18:14 主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」
18:15 サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」

☆ パウロの解説
ローマ
4:16 そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。
4:17 「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。
4:18 彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
4:19 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
4:20 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
4:22 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
4:23 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
4:24 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
4:25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。

☆ アブラハムの弱さ
創世記
20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに寄留していたとき、
20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。

☆ しかも二度目
創世記
12:10 その地に飢饉が起こったので、アブラムは、エジプトにしばらく滞在するために下って行った。その地の飢饉が激しかったからである。
12:11 彼がエジプトに近づいて、その地に入って行こうとしたとき、妻のサライに言った。「聞いてほしい。私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっている。
12:12 エジプト人があなたを見るようになると、『この女は彼の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくだろう。
12:13 私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」

☆ ペテロの姿は、四福音書に記された奇蹟
マタイ
26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。
26:32 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
26:33 すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
26:34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」
26:35 ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。
マルコ
14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。
14:28 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
14:29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」
14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。
ルカ
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ヨハネ
13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
13:37 ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
13:38 イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

☆ 約束 in 福音書
マタイ
14:6 ところが、ヘロデの誕生祝いがあり、ヘロディアの娘が皆の前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。
14:7 それで彼は娘に誓い、求める物は何でも与えると約束した。
14:8 すると、娘は母親にそそのかされて、「今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい」と言った。
14:9 王は心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、与えるように命じ、
14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。
20:2 彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。

ルカ巻末
24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
24:50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24:51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。
24:52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。

☆ あなたへの約束
ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
6:58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」

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